らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0813

硲城 (小諸市耳取)  

◆そしてまた城が一つ消えた◆

お盆休みも暇すぎるので、昨日は小諸市にある森山城をもう一度調べてみたいと思い付き、小諸市山浦の県道142号線から小諸大橋を渡り県道78号線を目指す。

ここは千曲川左岸広域農道(通称:千曲川ビューライン)と呼ばれ、平成八年に開通した道路である。

この道路工事により、耳取城の北の防衛拠点として三つあった城のうち「硲城」(はざまじょう)が半分削り取られてしまった。

硲城周辺図
千曲川沿いの古道「塩川街道」を抑える三つの城。塩川城以外は城歴不詳の謎の城である。


小生は三年前にこの欠けてしまった城跡を見に来ているのだが、夏場で藪も酷いので秋から冬に再訪するつもりだったが、そんな事も忘れてしまっていた。

車を走らせながら、「確かこの辺りに硲城があったような・・・・」

通り過ぎてから思わずギョッとした。「何かチョー低くなってねえ?」

硲城 (9)高さが半分以下になった主郭のあった山。

思いっきり削られていた。見るも無残であった。

「城がまた一つ地上から消えた。謎も解けないままか。」

藪があろうが暑かろうが、三年前に踏査しておけばよかった。後の後悔先立たずとは此の事であった(悔)

硲城(定本佐久の城より)

↑上の写真は小生の佐久攻めのバイブル「定本 佐久の城」(1997年発刊 郷土出版社)に掲載されていた在りし日の硲城の写真である。

城に関しては以下の記載があるので引用します。

【硲城】

耳取本城の北約800mにある。佐久の玄関口東山道大室から分かれて、南に伸びる千曲川沿いの古い道筋が、塩川地区をすぎて耳取に入る地点の山合い(狭間)に硲城(はざまじょう)がある。小諸方面から耳取へ行く時の要衝で、この地を抑えたら耳取城域に一歩も入る事のできない地形である。
現在千曲川左岸道路建設により、半分ほど切り取られ往時を偲ぶ姿はないが、頂上には矢玉を防ぐ土塁の形跡が今でも残り、当時のようすを知る手がかりとなっている。

硲城見取図①

残念ながら現地は土建屋さんが土石採集の真っただ中で立ち入り禁止である。

仕方が無いので、宮坂武男氏の縄張図(信濃の山城と館①佐久編)とYAHOO地図の航空写真(幸い破壊前の写真)を組み合わせて見た。赤線が現在破壊が進んでいる箇所である。

硲城 (1)南側から見た硲城の現在。

硲城 (3)郭1に半分残っていた土塁も壊滅。

小諸市教育委員会は事前に発掘調査したのだろうか?

土地を所有する業者は「埋蔵文化財」に該当するのか小諸市に調査を依頼したのだろうか?

硲城 (4)郭2も破壊が止まらない。

せっかくここまで風雪に耐えて生き延びてきたのに、とどめを刺す必要があるのか。

なんでもっと大事にしてもらえないのか・・・・

悲しい気持ちになった。もう二度と見る事も調査する事も出来ないのである。何と愚かな・・・・・・・・



≪硲城≫ (はざまじょう)

標高:660.0m 比高:35m(二次破壊の前の標高) 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小諸市耳取
攻城日:2013年8月12日 
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:路上駐車
見どころ:無し
注意事項:消滅するのは時間の問題
参考文献:「定本佐久の城」「信濃の山城と館①佐久編 宮坂武男著」
付近の城址:森山城、塩川城、北の城、耳取城など

硲城 (6)硲城から見た塩川城方面。

塩川城も土砂採集で破壊が進んでいる。小諸市の早急な調査と対応を望みたい。








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Posted on 2013/08/13 Tue. 10:26 [edit]

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