らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0823

加増城 (小諸市加増)  

◆伝承も城跡も消えゆく田切地形の城館◆

信州の小学生たちの短い夏休みは終わったようだ。

小学生の頃の自由研究、皆さんは何を課題に発表したか覚えてますか?

小生は5年生の時に「後三条天皇の延久の善政と摂関政治の終焉」をテーマに発表した。

今思えばとても異常である・・・(笑) 担任の先生も小生の扱いに困っていたのを覚えている・・(爆)

で、今回ご紹介するのは、加増城。後三条天皇とは何の関係も無い・・・・・・・・・(汗)

加増城 (2)北から見るとチョー城っぽい(笑)

「こんなゴミみたいな城の掲載を何故するの?」と思われる方も多いかもしれない。

歴史に登場するような有名な城だったら、必ず誰かが書いてるでしょ。クドイぐらいにネ(笑)

でも、そんなのありきたりでつまらない。

マイナーどころか3Aにも登録されていない城砦って、誰かが書いてあげないと日が当たらないし、そのうち忘れられちゃうでしょ。

加増城古図長野県町村誌に掲載されている加増城の絵図。

地元のヤツラが紹介しなくちゃ誰が語るの?

それって「今でしょ」(爆)

加増城見取図

かなり古い田切地形の崖淵城で、長野県町村誌の加増村に城歴が書いてあるが、イマイチ的を得ない。

以仁王の令旨を受けた朝皇が打倒平家を画策してこの城に籠ったらしいが、そもそも朝皇とは何者なのか分からない。

挙句の果てには病に罹り、平家との戦の前に没したという。

加増城 (3)城域へは通路があるが後世の加工であろう。

朝皇の没した後は朝皇社として本郭跡に祠があったようだが、現在は加増稲荷神社に移されていると云う。

南北朝時代や室町時代に、比高10m程度の丘の上の居館がどのような使われ方をしたのかは甚だ疑問ではあるが、その後移転してきた小諸大井氏の砦の一つとして兵が置かれたのかもしれない。

加増城 (5)郭に登り東方面を撮影。

長野県中世城郭跡の昭和54年に行われた調査時には東側の郭が残っていたようで略図に記載されていたが、現在は土石採集の為に破壊され消滅してしまった。

この地域の遺跡に対する悲劇は連鎖のように続いているのであろうか。

加増城 (14)無残に破壊された東端の郭跡。

加増城 (10)耕作地だったようだが、居館跡の削平地をそのまま利用したのであろう。

戦時の城館というよりは、普段の生活も営まれていたと思われる。

加増城 (6)郭の北側は円形の土塁の跡がある。写真を撮っても無駄だった。

この城の物見が北500m先にある乙女城(大遠見城)だったという説もある。

まあ確かにこの場所からでは周囲の動きは見えないので、あながち誤りでもなかろう。

小諸周辺の城跡は早めに見ておかなければ、マジでこの世から抹殺されそうだ・・・(汗)


≪加増城≫ (かますじょう 古城)

標高:700.0m 比高:10m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小諸市加増
攻城日:2013年7月15日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:-分 駐車場:路駐
見どころ:郭跡
注意事項:特に無し
参考文献:「定本佐久の城 1997年」「信濃の山城と館①佐久編 宮坂武男著」
付近の城址:乙女城など


加増城 (16)国道18号線のコンビニから見た加増城全景。



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Posted on 2013/08/23 Fri. 12:41 [edit]

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