らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0923

設楽城 (愛知県北設楽郡東栄町)  

◆別所街道を見張る要塞◆

先日は甲斐国へ遠征し五ヶ所攻め落とす予定が移動時間を読み違えて三ヶ所で終了するおバカな遠征軍(笑)

然らば返す刀で山布施、七二会にある四つの城へ攻め入るが、得体の知れないケモノの威嚇に恐れおののく(汗)

「真面目にブログ更新しろよ!!」     仰せの通りでござる・・・・(爆)

今回ご紹介するのは、奥三河の隠れた名城の誉れ高き「設楽城(したらじょう」

設楽城(三河) (28)素敵な地名です。

この城、元々今回の攻城戦ツアーのリストには無くて、湯谷温泉で一泊して別所街道経由で信州へ帰る途中で偶然看板見つけて攻め込んだ次第。

お城の匂いがすれば、何処でも攻め込むってワケさ・・(笑)

設楽城(三河) (4)道広げ過ぎでしょ!

説明板によれば、建久元年(1190)設楽資時が設楽八名の領主となり、正和元年(1312)に設楽重清が岩瀬郷へ配置換えとなるまで約120年間を設楽氏が治めたという。築城時期もその頃らしい。

そんでもって気になったのが駐車場の説明板に書いてあった最初の文。

「この城跡は、三河山間部に多い山城のうちの最古のものの一つで、鎌倉時代初期の形式を良く残している。設楽氏の居城であったと云われ、戦国時代にはすでに城がなくなったと推測されている」

設楽城(三河) (1)

「へえー、鎌倉時代の山城なんだあー(汗)」

鎌倉時代初期の形式ってどんな定義なんだろう?教えて欲しいなあ・・・

戦国時代には無かった?小生のようなシロウトが見ても、戦国時代末期までバリバリ現役だったと思えるんですが、どうでしょうか?

設楽城(三河) (5)郭2背後の大堀切。

【立地と概要】

大千瀬川が北へ大きく蛇行する場所に突き出た半島状の小山でまさに要害の地である。現在は国道151号線が城域の南側を通っているが、往時の別所街道は川の北側であり三河と信州を結ぶ間道としても重要だったと思われる。
城域は南北約300mで四つの曲輪からなり大手は鞍部付近であろうか。
城の東側にある加賀野集落と先林を繋ぐ橋の名は「戦橋」と呼ばれ、籠城時には破壊され敵の侵入を防いだものと思われる。

設楽城縄張図①まさに「背水の陣」の縄張りである。

三河の城は川を背後にした造りが多いと思うのは気のせいであろうか?

長篠城も吉田城も二俣城もそんな感じ(笑)

設楽城(三河) (16)南側の高土塁が丸馬出しを彷彿とさせる郭2全景。

設楽城(三河) (6)堀埋めちゃったみたいです。

設楽城(三河) (12)東側の沢に残る堀切。


この城の最大の見どころは「郭2」であろう。

武田流を思わせる丸馬出しっぽい半円形の土塁。三日月堀だったら最高なんですが残念!!・・(爆)

設楽城(三河) (7)イイねえー。

えっ?他も一応見たいって?

本郭は慰霊碑建立で改変されたようで、唯一残っているのは背後の土塁が一部分。全周していただろう土塁は削られたんでしょうか。

設楽城(三河) (14)こんなんイランわ!

設楽城(三河) (9)土留めの石積みの残る土塁跡。

設楽城(三河) (23)細長いだけの郭3。

設楽城(三河) (26)鞍部の最終の堀切。大手はこの方面だったか?

城域はそんなに大きくないが、三方を川と断崖絶壁に守られた要塞である。

その気になればある程度の期間は敵を引きつけておけるだけの機能は充分にある。

武田統治時代に大幅な改修を受けて戦国末期まで使われたと思われるが、如何でしょうか?

≪設楽城≫ (したらじょう 城山)

標高:294.0m 比高:47m
築城年代:不明
築城・居住者:設楽氏、大勢力?
場所:愛知県北設楽郡東栄町
攻城日:2012年10月11日 
お勧め度:★★★☆☆  
城跡までの所要時間:- 駐車場:有り
見どころ:土塁、堀切
注意事項:特に無し
参考文献:
付近の城址:

設楽城(三河) (29)城市(しるいち)からみた設楽城全景。













Posted on 2013/09/23 Mon. 12:02 [edit]

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