らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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掛川城 (静岡県掛川市掛川)  

◆信玄も捨て置いた遠江に刺さる徳川領境目の堅城◆

見出し(サブタイトル)には結構こだわっているので、それが決まらないと(ってか気に入ったタイトルでないと)記事も書く気になれない・・(笑)

日本100名城巡りの様相を呈してきたようで恐縮だが、田舎ネズミの「オノボリサン」の道中日記として読んでいただければ幸いである(汗)

掛川城 (2)大手門番所。安政六年(1859)の建築。何故か掃除中(?)


大手門が現存する城郭は多いが、大手門番所が残っているのは非常に珍しいという。小生も初めてお目にかかった。

廃藩の際に建物を藩士が譲り受け移築したものを、大手門の再建に伴い寄贈を受けたという。ありがたい。

掛川城 (1)復元された大手門の奥に見えるのが番所。

「いきなり番所かい!」

だって、現存する建物の中では一番お気に入りですもの。二番目は太鼓櫓。まして山内一豊は嫌いだし(爆)


【城主・城歴】

掛川古城は現在の場所から東へ500mの逆川の北側にあり、駿河の守護大名今川氏が遠江支配の拠点として重臣朝比奈泰煕(やすひろ)に築城を命じたのが始めと伝わる。(1497~1501)

その後、今川氏の勢力拡大に伴い、永正九年(1512)に現在の地点場所に新たに縄張りをしたという。

桶狭間の合戦で今川義元が討ち取られると、武田と徳川は今川領に侵攻し今川氏真は駿府を逃れ掛川城へ籠城。

徳川家康はこれを攻めるが、容易に落ちない為、力攻めを諦め和睦にて開城させる。

家康は掛川城の城将を石川家成(石川数正の従兄)に命じ、武田軍の侵攻に備えた防御拠点とした。

掛川城 (12)相変わらずアングルがヘタクソ極まりない(笑)

不思議な事に、信玄は遠江侵略において高天神城を囲み、諏訪原に砦を築いても掛川城は無視し続けた。

蹴鞠しか能の無い氏真でも守れる城を徳川が守れば手強い・・・そう感じたのであろうか?

その後、家康の関東入国に伴い、掛川城には秀吉子飼いの武将山内豊一が天正十八年(1590)五万石で入城する。

慶長六年までの10年間で彼は戦乱に明け暮れた領国の治世と城下の整備に努め、掛川城も石垣と天守閣を持つ近世城郭に変貌を遂げた。

掛川城 (13)打込みハギが美しい太鼓櫓の石垣。

掛川城 (14)四足門から見た太鼓櫓。

江戸時代の掛川城は徳川譜代大名の城として石高では2.5万石~7万石程度の11の大名家の居城となった。

天守閣は嘉永七年(1854)の東海大地震で倒壊し再建されることは無かったが、幸いに二の丸御殿、太鼓櫓、蕗の門は無事で、明治二年の廃城まで残ったという。(御殿は現在も残り公開されている)

天守閣の再建は平成六年で木造による。

掛川城 (15)俗に言う「日の丸撮影」(笑)中心に撮影の被写体を取り込む手法だが、城の撮影ではアングルをうまく使えば充分に「有り」だという。

「青空の背景」「白亜の天守」「石段」「切岸」「打込みハギの石垣」

これだけ揃ったら、近世城郭に夢中になった過去を充分思い出せる。

「しかし、過去は振り返らない。振り返るな、君は美しい・・・・」(何か歌の歌詞にあったなあー・・爆)

掛川城 (18)天守閣入り口から「振り返る」

地震は起きてしまったが、幸いにして徳川の支配以降は、戦乱に巻き込まれる事が無かったのは幸いであろう。

籠城戦で派手に活躍した城ばかりが有名になる傾向があるので、掛川城を擁する市民としては姫路城バリの有名税が欲しいというのは文句が言えない。

しかし、小生、この日に掛川城へ入城する際にとても嫌な思いをした。

今流行の「お・も・て・な・し」の心など、窓口で対応した職員には微塵もなかった。

開門時間は9:00、小生が辿り着いたのは8:55.

入場券売り場には職員らしきオバさんがいたので、入場券を買い求めようとしたら拒否された。

「9:00までお待ちください!」

小生の他にもう一人観光客がいたが、小生の問答を聞いたらしく引き下がった。

掛川城 (24)天守閣の展望台から見た二の丸御殿。

小生が立腹したのは、小山城の方は10分前でも「嫌な顔一つせずに入れてくれた」事実と比較してしまったからである。

お役所の役人根性か・・・時間正確に始まり、どんなに仕事が残っていても時間通りに止めてサッサと帰るのだろう。残念だった。

山内一豊が嫌いだったので、掛川市も余計に悪い印象となった。

掛川城 (25)

遠くから足を運んでくれた観光客にこのような対応をいつもしてるのか心配になった。

上田市も他人事じゃないよなーって思った。

掛川城 (10)十露盤堀(そろばんほり)のアップ。由来はもちろん「巴の算盤」(笑)

掛川城 (11)武田流の三日月堀なのだが、山内一豊が監修?

掛川城 (37)十露盤堀と太鼓櫓。

まあ、あまり良い思い出が遺せなかった掛川城だったが、「戦国の城」の一部分が残っている。

それは、二の丸御殿の東側の「黒塀」と呼ばれる土塁であった。

掛川城 (42)

害した気分が救われました。(ホッ!)

掛川城 (40)近世城郭ファンには垂涎の一枚だろう。

≪掛川城≫ (かけがわじょう)

標高:50.0m 比高:27m
築城年代:不明
築城・居住者:朝比奈氏、徳川氏、山内氏、他
場所:静岡県椿原郡吉田町片岡
攻城日:2012年10月9日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:-分 駐車場:有り
見どころ:大手門番所
注意事項:開館は絶対に9:00です(笑)
参考文献:
付近の城址:高天神城、諏訪原城、小山城など






Posted on 2013/09/18 Wed. 22:53 [edit]

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