らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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鳥羽山城 (愛知県浜松市天竜区二俣町)  

◆戦後は新二俣城として居館機能を施された付け城◆

鳥羽山城は標高108mの鳥羽山(本城山)に築かれ、二俣城とは別郭一城の関係で城館的色彩の濃い平山城だという。

天正三年(1575)の二俣城の攻防戦では、徳川家康が本陣を鳥羽山に本陣を置き、天竜川の対岸和田島と二俣川の向こう毘沙門堂に砦を置き包囲網を敷いたと云う(砦は合計五ヶ所とも)

鳥羽山城(三河) (3)大手門の石垣と枡形。

鳥羽山城から二俣城へは約300mの至近距離である。

「そんな場所に付け城なんて置けるの?」と思う諸氏も多いと思う。当然でしょう。

地元の話で恐縮ですが、善光寺平の葛山城と旭山城も隣り合わせに立地していても、上杉VS武田の臨戦状態(汗)

敵の兵士が立ちションしているのすら見える位置なんで、当時は何の不思議も無かったんでしょうね。

鳥羽山城(三河) (6)大手門に残る野面積み(乱積み?)

本郭は土塁+石垣で補強されているが、石垣が積まれたのは堀尾忠氏(吉晴の弟)が二俣城主を務めた時代で1590年~1600年と云われる。二俣城の石垣も同時期の改修工事と見て良さそうだ。

鳥羽山城見取図②

「別郭一城??」

大久保忠世が二俣城主として入城した際に、政庁としての機能を出丸のような位置にある鳥羽山に持たせたと考えたいのだが、如何であろうか。

二俣城は小数の兵士を率いての籠城戦用の城としては申し分無いが、居住性や眺望には欠けいる。

地続きの鳥羽山は、南の浜松方面を含めたロケーションも良く、天竜川のL字に背後を守られ、詰めの城として二俣城を置く発想にすればこれ以上贅沢の云えない縄張りとなる。

なるほど、別郭一城というのはこういう発想の事であろう。

鳥羽山城(三河) (8)平時における居館の置かれた本郭。

鳥羽山城(三河) (9)何故か嫌味を感じない物見台(笑)

昭和五十年の発掘調査では、本郭周辺に侍屋敷や蔵屋敷、岩盤を利用した枯山水の庭園などが発見されたという。

恐らく戦乱の止んだ堀尾氏時代の遺構で、来客をもてなす為の武家の暮らしをそこに感じる事が出来る。

鳥羽山城(三河) (10)物見櫓からみた浜松城方面。確かに二俣城からは見え無い景色だ。

鳥羽山城(三河) (12)本郭の土塁上にはタイムマシーンがあった(笑)

鳥羽山城(三河) (14)基本単郭と見るので、本郭の北側はすぐに搦め手門になる(汗)

浜松城主だった堀尾さんは、関ヶ原の前哨戦で武功を立て、戦後に出雲松江24万石を拝領し転封となる。

関ヶ原の戦の前に、東海道を進む家康の軍に掛川城を献上し戦場での働きも無しに土佐二十万石を得た山内一豊は、戦後東軍の諸将から散々バカにされ悪口を言われたが、その原案は堀尾吉晴が考案したものと云われる。

「やったもん勝ち」??(笑)

鳥羽山城(三河) (17)埋め門説もある東側の虎口。

鳥羽山城(三河) (18)「わんぱく広場郭」??

堀尾氏の転封後は廃城になったという。

しかし、平成の大合併でここも浜松市となってしまった。

静岡県の半分ぐらいを浜松市が占めているので、浜松県として分離独立しそうな勢いである(汗)

それでも凄いと思うのは、浜松市の遺跡に対する執念。

長野県も浜松市に見習って欲しいと思うのは、私だけであろうか・・・・(爆)

鳥羽山城(三河) (20)二俣城方面の出丸「笹郭」

≪二俣城≫ (ふたまたじょう)

標高:108.0m 比高:56m
築城年代:天正三年(1575)
築城・居住者:徳川氏、堀尾氏
場所:静岡県浜松市天竜区二俣町
攻城日:2012年10月9日 
お勧め度:★★★☆☆ 
城跡までの所要時間:5分 駐車場:有り
見どころ:郭、堀切、石垣など
注意事項:特に無し
参考文献:-
付近の城址:沢山あります(笑)

鳥羽山城(三河) (21)笹郭から見る青谷集落を見ながら鳥羽山城とはお別れです・・・・(パクリは販促ですか?・・笑)





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Posted on 2013/09/02 Mon. 22:20 [edit]

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