らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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稲葉城 (北安曇郡小谷村中谷)  

◆越後へ抜ける中谷川沿いの間道を押えた平倉城の支城◆

先日の管理人の画像掲載は衝撃笑劇というか刺激的であったらしい・・・(笑)

「こんなヤツが攻城戦記を書いていたとは片腹痛いわ!!」罵声が聞こえそうですネ・・(爆)

そこらへんの山とか博物館とか図書館で見かけたら、エサを与えないで下さいネ・・一生付いていきますよ(笑)

さて、今回ご紹介するのは平倉城の東約3kmに位置する稲葉城。

稲葉城(小谷村) (44)民家の裏山が稲葉城。

【立地】

平倉城から中谷川沿いの街道を東へ進むと、稲葉集落のすぐ東に沿うように、北西に向かって突出する狭い尾根の上に立地している。
小谷温泉から越後へ抜ける間道と、大宮諏方神社から土谷川へ抜ける間道を抑える要衝の地であり、戦国時代には平倉城の支城として機能したと思われる。

稲葉城見取図①

稲葉山城は、室町初期の築城様式を基本にした大小七つの郭に、戦国時代の拡張工事により造成した鞍部の削平地(居住用か?)と搦め手の防御郭、オーソドックスな二重堀切を追加した連郭式の山城である。

登城口(大手口)は、稲葉沢を川沿いに進み橋を渡ると戻るようなコースで尾根筋を登る道があるので、そこから入る。

稲葉城(小谷村) (40)比高50m程度なので気楽に登ろう。

稲葉城(小谷村) (1)大手口の最初にある西端の曲輪。

稲葉城(小谷村) (4)堀切に見えるかは経験次第?

ここの城跡の最大の見どころは、郭2と郭1の間にある塁壁(切岸)であろう。ヘタな堀切以上の堅い防御である。

稲葉城(小谷村) (7)傾斜のある郭3.

稲葉城(小谷村) (16)城内で最大の面積を誇る郭2.

稲葉城(小谷村) (9)郭2から見た背後の塁壁。

段々郭を尾根に積み重ねる手法は信濃の山城に良く見られる縄張である。

中には異常とも異様とも思えるような執念で尾根を切り刻んだ段郭に出くわす事があるが、堀切よりも有効な防御手段だ。

稲葉城(小谷村) (14)切岸の石積みは後世の土留めと思われる。

稲葉城(小谷村) (19)郭1。

当初の城域はここまでだったようだ。砦というよりは烽火台程度だったのだろう。

稲葉城(小谷村) (22)落差のある背後の尾根には何も無い。

稲葉城(小谷村) (23)鞍部の郭4.削平が甘いが東側に土塁を盛り防御を強化している。

小谷村の村誌では、郭4の西側の小郭を本郭と見ている。確かに城域では最も高い場所にあり背後も二重堀切で穿っているが、増設された郭4の背後を守る為の措置であり指揮所では無いと思う。(宮坂武男氏も否定的だった)

戦国時代への突入で風雲急を告げる信越国境の地も大忙しで自己防衛を迫られた事であろう。

稲葉城(小谷村) (30)堀切㋑。結構しっかり掘られてマス。

稲葉城(小谷村) (34)㋑と㋒は北側の斜面で堀底を連結して集合掘りにしたような跡があるが中途半端で終わったようだ(堀底に立ってるのは‘ていぴすさん‘)

位置や大きさ、目視で確認出来るかどうかを含めて平倉城の支城という見方もあるが、元々は中谷川沿いの集落の見張り砦であり、飯森十郎春盛が平倉城に籠城するに及び後詰めの兵士を入れたのかもしれない。

稲葉城(小谷村) (33)北へ続く尾根を遮断する堀切㋒。

冬将軍が来れば身動きの取れない豪雪地帯。このような場所でも敵からの侵略に備えて砦を築く時代とは、いったいどういう時代であったのか?

当たり前の疑問に、今さらながらにその答えを探し続けるのであった・・・・。

稲葉城(小谷村) (41)稲葉城の登城口からは平倉城、そしてその向こうの千束城(せんぞくじょう)が視界に入る。

≪稲葉城≫ (いなばじょう)

標高:654m 比高:84m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:北安曇郡小谷村中谷稲葉
攻城日:2013年9月29日 
お勧め度:★★★☆☆  
城跡までの所要時間:10分 駐車場:適当に路駐
見どころ:土塁、堀切など
注意事項:特に無し
参考文献:[小谷村誌][図解山城探訪 第六集安曇編 宮坂武男著]
付近の城址:平倉城
Special Thanks:ていぴす様

稲葉城(小谷村) (42)








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Posted on 2013/10/08 Tue. 20:20 [edit]

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