らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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千国城峯 (北安曇郡小谷村千国)  

◆千国集落背後の見張り砦か?◆

攻城戦記の記事を信州に戻すとアクセス数は飛躍的にアップするという驚愕の真実を目の当たりにする。

信玄に蹂躙された信濃の田舎ネズミが他府県の記事を書いても信憑性は無いらしい・・(笑)

今回紹介するのは「千国城峯(ちくにじょうみね)」

「千国城」と紹介する文書やサイトもあるが、貧相な単郭の物見なので「城峯」というこの地域の独自の呼び方が似合っているので、ここでは千国の城峯としておく。

千国城(小谷村) (24)尾根筋の入り口を探すヒマと余裕がない場合は直登が最善の策である(笑)

小谷村誌によれば、小谷村で「城(じょう)」と名のつく地名は村内に24ヶ所あり小屋は7ヶ所あるという。

「そんなにあったの????」

そういう疑問の声も聞かれそうだが。境目の領域とは集落防衛の為にあちらこちらに物見を置く過酷な運命に翻弄されたのである。

千国城峯見取図①

【立地】

親沢と黒川沢が姫川へ合流する手前の突き出した半島状の尾根にある。千国集落の北側に位置し、北西200m(比高60m)には立屋の城峯がある。ここからは千国街道は無論、対岸の黒川館、黒川城が良く見通せる。

千国城(小谷村) (3)尾根上に長さ100m巾15mの削平地が続く。

峯の先端には堀切を穿った単郭があるだけで、他には何も無いようだ。

この砦の唯一の見どころはその単郭の切岸で、実に見事な削りっぷりである。

千国城(小谷村) (6)「ていぴす」さんも納得の加工度の高い切岸。

千国城(小谷村) (11)祠2つが鎮座する狭い曲輪。

縄張りとしては貧弱なので、立屋城峯の出城か物見台だったと思われる。(立屋の城峯は後日掲載予定)

千国城(小谷村) (15)曲輪背後の堀切。要害性は低い。

さしたる見どころも無い見張り砦なのだが、記録に残さなければ存在した場所すら忘れ去られるだろう。

千国城(小谷村) (17)尾根の付け根にも堀切が残る(現在は墓地)

名門仁科一族の派生である千国氏。ここら周辺には結構千国という名字の方が多いので、帰農し土着したのであろうか。

千国城(小谷村) (19)目と鼻の先にある立屋の城峯。千国城峯が支城(出城)としては最適な位置にある事がわかる立地である。

一族が敵味方に分かれようとも、家名を残す事こそ肝要。そんな時代を生き残れた事は幸運だったと思われる。


≪千国城峯≫ (ちくにじょうみね 千国城)

標高:680m 比高:60m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:北安曇郡小谷村千国
攻城日:2013年9月29日 
お勧め度:★★☆☆☆  
城跡までの所要時間:10分 駐車場:道路脇に路駐。
見どころ:切岸、堀切。
注意事項:尾根手前からの入り口は私有地で分かりづらい。適当に直登するのが最適である。
参考文献:[小谷村誌][図解山城探訪 第六集安曇編 宮坂武男著]
付近の城址:立屋の城峯、黒川館、黒川城。
Special Thanks:ていぴす様







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Posted on 2013/10/11 Fri. 20:59 [edit]

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