らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

1016

大日方氏の城館ツアーのご報告  

◆山村に生きた武将たち~西の大日方~史跡を訪ねて◆

長野市立博物館第56回特別展「山村に生きた武将たち~東の真田 西の大日方~」(平成25年10月5日~11月24日)については前回記事にした通りで、現在も開催中なので是非お近くの方はご覧頂きたいと願っております。

そうは云っても、大日方氏の領有した小川村とその周辺の城跡や居館を知らなければマズイと思い、先月28日と昨日の2回に分けて訪問してきました。(2回目は、ていぴすさんとの同行訪問)

馬曲城 (1)馬曲城(まぐせじょう)の登り口からみた古山城。

先月28日は古山城訪問の後、小川村郷土歴史館の館長に大日方氏とその周辺の関連施設について色々と個別にレクチャーしていただき有意義な時間を過ごす事が出来ました。

古山城(小川村) (19)古山城の主郭跡の金吾さんの社。

武田晴信に恫喝された大日方兄弟は四人いて、次男以下の三名は武田に徹底抗戦を唱える長男(金吾介直経)をやむを得ず殺害し、晴信に恭順を誓い所領を安堵された。

兄弟は長男の霊を鎮めるために古山城に社(地元では金吾さんと呼ぶらしい)を建てて祀ったという。(千見城にも同じような伝説がある)

馬曲城 (42)住民の逃げ込み城だったと思われる馬曲城。クーさんの恫喝に恐れおののいたが、何とか調査は終了した(汗)

「小川村を全て山の中である」

島崎藤村の「夜明け前」の序文を想い出すような山村で、まさに高地性集落の典型的なパターンであろうか。

立屋城(小川村) (36)信州新町との境にある立屋城の本郭。城は廃城となったが江戸時代には松代藩の口留番所が置かれた。

信濃の土豪や豪族の中でもマイナーな扱いの大日方氏であるが、武田晴信の信任は厚く絶大なものであったという。

真田幸隆とともに信濃先方衆として戦場を駆け回り、故郷に帰る事は少なかったのであろう。

武田滅亡後は上杉に仕え小川城や千見城を守備するが、会津転封の際には上杉に同行せず帰農したという。(その後真田松代藩に200石で仕官、明治に至る)

大日方氏館(小川村) (4)下末の大日方氏館(根小屋館)

ダメ元で最後に行った大日方氏居館で、大日方家当主の大日方英雄氏にお逢いできたのは幸運でした。氏は現在長野市に移住され、館は時々帰って来て手入れをされているとの事でした。

居館見学の為の無断侵入者が跡を絶たず困っているそうで、色々対策しても効果が無いとのお話でした。

今回は気持ちよく邸内を見学させていただきました。史跡とはいえ民家ですので法に触れるような侵入撮影行為は厳に慎むべきでしょう。気を付けたいものです。

大日方氏館(小川村) (15)邸内に祀られている毘沙門堂。云わずと知れた「戦の神」である。

個々の城や大日方氏の経歴については、近日中にアップしていきたいと思ってますが、いつになるやら・・・(笑)




スポンサーサイト

Posted on 2013/10/16 Wed. 07:13 [edit]

CM: 2
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top