らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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馬曲城 (上水内郡小川村瀬戸川)  

◆千国街道へ抜ける高戸谷道を押えた古山城の支城◆

小川村=おやき、という連想が出来るのは北信州人ぐらいで、そもそもこの村が長野県の何処にあるのかすら分からない人が多い・・(汗)

長野県上水内郡小川村は長野県北部(北信)にあり、長野市中心部と大町市・白馬村を結ぶ長野県道31号長野大町線(通称オリンピック道路)のおよそ中間に位置する(小川村役場地点)。北側にある虫倉山脈と南側の筏(イカダ)山脈がそれぞれ東西に走り、その間を犀川の支流である土尻川が流れる。(ウィキペディアより)

手っ取り早く言えば、西隣は大町市・白馬村で北は旧鬼無里村と旧戸隠村。南は旧信州新町で東は旧中条村。みんな合併して長野市になったので余計わかんないや・・(笑)

馬曲城 (7)馬曲城の登り口のある犬平地籍(標高750m)から見る北アルプス。この日がようやく初冠雪だとか。

小川村を本拠とした大日方氏の本城の古山城(ふるやまじょう)を先に掲載するべきなのだが、大日方氏の経歴を書くと長くなりそうなので、馬曲城(まぐせじょう)からご紹介しよう。

古山城とその周辺古山城と周辺の城・城館

【立地】

旧鬼無里村との境界に近くの高戸谷山(1052.2m)から南東に派生する尾根上にあり東西は小川川と瀬戸川の渓谷となっている。峰伝いに高戸谷道(たかとやどう)という古道が城域のすぐ下を通っており、千国街道に繋がる。
高戸谷山の麓の桐山集落には松代藩の桐山口留番所(きりやまくちどめばんしょ)があった。

馬曲城 (6)看板もあるので、どうやらハイキングコースらしいが、こんな寂しい山の中を4kmも歩いて番所址まで行くのはクーさんぐらいだろうか・・・(汗)

【城跡への行き方】

県道31号線を落合地籍で北へ曲がり土合集落へ入る。下の写真のT字路を左折し20m進み右折する。(看板に表示あり)ここからは一本道をひたすら進んでいく。
城跡の登り口のある大平集落(今では無人)までは狭いが舗装路になっているので何とか車で行かれるが、対向車とのすれ違いはチョー厳しいので注意が必要だ。駐車は緊急避難小屋のある場所が良い。そこから徒歩で遊歩道を10分も登れば城域に達する。クーさんがいる可能性はかなり高いので単独訪問は避けよう。

古山城(小川村) (55)土合のT字路を左折してすぐ右折。

さて、お城へ行きましょうか。

馬曲城 (61)驚いた事に遊歩道のすぐ脇が城域だった。これじゃすぐに落城の憂き目だ。往時はもっと下を通っていたと思うが。


【城主・城歴】

小川村誌には記載が無く、長野県町村誌に記載があるようだ。(登り口の看板にも同じ事が書いてある)

「馬曲城は応永年代(1394年~)に築造(?築城?)されたといわれ、本丸・二の丸・堀などの形があったが、弘化の大地震(善光寺地震・1847年)で崩壊し、今はほとんど形跡が無い。城主は伊藤河内守といわれ、伊藤の性(?姓?)が馬曲をはじめ村内に多い」

どうやら馬曲城は消滅したらしい・・・・(汗) ってか、ちゃんとありますよ!!真実を記載せよ!(怒)

伊藤氏の素性はハッキリしないが、当初この地を領有した小川氏に仕え、その後大日方氏に仕えたのであろうか。

馬曲城見取図①三つの峯に囲まれた窪地を加工した城だ。

【城跡】

へんてこりんな縄張りなので現地ではかなり戸惑った。三角点のある北砦は見張り台と烽火台を兼ねたもので、そこまでは理解出来たが、等高線と尾根の整合性を見いだせず城の中心部の郭の特定に苦しむ。

馬曲城 (17)北砦(郭6三角点有り)烽火台か?

馬曲城 (16)消えかけている「馬曲城跡展望台」の標柱。
平成2年に建てたものらしい。

城域は杉の植林で覆われていて背の低い笹が群生している。北の砦は内側の斜面に切岸を施している。数段の段郭を尾根側に加工しているが、どこまでが往時ものでどこからが植林による加工なのか判別が難しい。

馬曲城 (27)郭3.

馬曲城 (31)
郭3と郭8(植林の作業小屋跡?)の間の横堀。

馬曲城 (32)郭8.朽ち果てた古い廃材が積まれていた。

ていぴす氏とも話したのだが、城というよりは領主一族の隠れ場所か住民の避難場所という要素が強く感じられる。直径25mの巨大な雨水溜めと巨大な城壁(北砦・南砦)に囲まれた居住性の高い空間。食糧を持ち込めば数ヶ月間はひっそりと生活が出来る。

馬曲城 (33)郭4.宮坂武男氏は馬場跡ではないかと推定されている。

馬曲城 (40)主郭跡に建つ朽ち果てた標柱。(このあと真っ直ぐに直しておきましたよ)

馬曲城 (38)郭1と北の郭の切岸の接続部分には円柱の金比羅社。ていぴす氏曰く「この形は珍しい」らしい。

杉林の植林で鬱蒼としているので現在の住宅物件としての評価は低いが、樹木を取り払って視界の開けた往時は見晴らしも良く快適な場所だったと思われる。

馬曲城 (43)巨大な落とし穴天水溜め。

馬曲城 (44)天水溜めと鞍部の間には堀切跡がある。

さて、最終の南砦(郭7)。往時の大手はここを経由したのであろう。二重堀切のような段差をつけているので搦め手のような錯覚を覚えるが、南西の尾根を伝って城内へ入ったと思われる。

馬曲城 (55)郭7.

馬曲城 (53)土塁付きの堀切。

駆け足(ってか写真ばっか)で見てきましたが、杉林を彷徨うと「ここ何処?私は誰?」状態になります。

クーさんらしき気配があり、一瞬緊張がピークになりましたが、退却されたようです・・・(汗)

目新しいものは何一つありませんが、どことなく「のほほーん」とした城も良いものです。

馬曲城 (60)犬平集落からの景色。まさに秘境です。

最近まで、ここの集落に人々が生活していたのも驚きでしたね。

≪馬曲城≫ (まぐせじょう)

標高:820.6m 比高:280m(瀬戸川より)
築城年代:応永年間?
築城・居住者:伊藤河内守
場所:上水内郡小川村瀬戸川犬平
攻城日:2013年10月14日 
お勧め度:★★★☆☆  
城跡までの所要時間:10分
見どころ:天水溜め、堀、郭など
注意事項:クーさんに備えよ。大型乗用車は通行無理。
参考文献:「図解山城探訪第十一集 水内資料編 宮坂武男著」
付近の城址:古山城など
Special Thanks:ていぴす様




古山城(小川村) (60)小川村郷土歴史館から見た遠景。










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Posted on 2013/10/18 Fri. 22:56 [edit]

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