らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。
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信濃の山城と館➐安曇・木曽編 
◆信濃の名族仁科氏の辿った運命と飛騨国と隣接し抗争に明け暮れた木曽氏の宿命◆
まあね、一冊10,000円近くもする書物など近年ではあり得ないので、全巻8巻を揃えるとなると、奥方の不満が爆発し背水の陣に追い込まれるのは仕方の無い事であろうか・・・(汗)
孫に投資する軍資金の使途不明は無罪放免のようだが、中世城郭に関する支出は金融庁への届け出よりも辛く厳しいものがある(笑)
で、一昨日届いた「信濃の山城と館➐ 安曇・木曽編」(宮坂武男著 戎光出版)
扉の鳥瞰図は堀金氏の岩原城。
大町・白馬・千国と言えば名門仁科氏とその一族に関わる城が多く、武田侵略以降は上杉との境目の城として改修された砦や城が多いので必見だ。
そして木曽谷は、武田への抵抗と飛騨からの侵攻に対して苦労の絶えなかった山間部であり、中京圏との境目の場所でもあった。

裏面は木舟城の縄張り図
この本が届くとまず「コラム:山城の歩き方」をすべて読む(笑)
尊敬してやまない宮坂武男氏の山城踏査のこぼれ話は実にいい。失礼ながら小生も似たような体験をしているし、このような趣味を持つ者しかわからない共感のようなものが書かれているので親近感が沸きますネ。
この本が出た事で、「信濃の城跡を訪ねてみたい」と思う方が増えたのはとても嬉しいことである。
その反面、「そんな乱暴な掲載をしていいのか?」と思うようなブログに遭遇し残念に思う事も多くなった。
宮坂武男氏の地道な努力が無ければ場所すら特定出来なかった山城が、精密な縄張図と美しい鳥瞰図、そして解説付きで見れるのである。もっとキチンと引用元を表示し、宮坂氏の業績に敬意を払うべきだと思うのは私だけだろうか。
それはさておき、下記の図は三歳児のお絵かきよりもヘタクソと言われた縄張図の現地調査下書きである・・(汗)

自分が実際に現地を訪れて見た時のだいたいの堀切の位置を描いている。
落書きと写真と当時の記憶を頼りに縄張図を描いていくのだが、元々縄張図のある城跡についてはなるべく見ないようにしている。(時々カンニングに近い行為はある・・・爆)

小生の描いたこの図が示す城跡が分かる方は重症を越えて危篤であろう(笑) ご応募お待ちしています!
城の最終形を見ても感じ方は人により千差万別である。
確かに城の場所に辿り着く事は一つの目標かもしれないが、ゴールでは無い。
二度め、三度めと訪問して初めて気が付く事もあり、ようやく全体像が見えてくるケースもある。
郭一つ浅い堀切一つのゴミのような砦でも間違いなく戦国の世を見てきた証人なのだ。
訪れた際は是非隅々まで見学していただき、往時の緊張感を感じて欲しいと願うばかりである。
この時期しか見られない和合城の雄姿。戦国の世を駆け抜けた美しい山城で、間違いなく信濃を代表する中世城郭である。(2012.10月撮影)
まあね、一冊10,000円近くもする書物など近年ではあり得ないので、全巻8巻を揃えるとなると、奥方の不満が爆発し背水の陣に追い込まれるのは仕方の無い事であろうか・・・(汗)
孫に投資する軍資金の使途不明は無罪放免のようだが、中世城郭に関する支出は金融庁への届け出よりも辛く厳しいものがある(笑)
で、一昨日届いた「信濃の山城と館➐ 安曇・木曽編」(宮坂武男著 戎光出版)

大町・白馬・千国と言えば名門仁科氏とその一族に関わる城が多く、武田侵略以降は上杉との境目の城として改修された砦や城が多いので必見だ。
そして木曽谷は、武田への抵抗と飛騨からの侵攻に対して苦労の絶えなかった山間部であり、中京圏との境目の場所でもあった。

裏面は木舟城の縄張り図
この本が届くとまず「コラム:山城の歩き方」をすべて読む(笑)
尊敬してやまない宮坂武男氏の山城踏査のこぼれ話は実にいい。失礼ながら小生も似たような体験をしているし、このような趣味を持つ者しかわからない共感のようなものが書かれているので親近感が沸きますネ。
この本が出た事で、「信濃の城跡を訪ねてみたい」と思う方が増えたのはとても嬉しいことである。
その反面、「そんな乱暴な掲載をしていいのか?」と思うようなブログに遭遇し残念に思う事も多くなった。
宮坂武男氏の地道な努力が無ければ場所すら特定出来なかった山城が、精密な縄張図と美しい鳥瞰図、そして解説付きで見れるのである。もっとキチンと引用元を表示し、宮坂氏の業績に敬意を払うべきだと思うのは私だけだろうか。
それはさておき、下記の図は三歳児のお絵かきよりもヘタクソと言われた縄張図の現地調査下書きである・・(汗)

自分が実際に現地を訪れて見た時のだいたいの堀切の位置を描いている。
落書きと写真と当時の記憶を頼りに縄張図を描いていくのだが、元々縄張図のある城跡についてはなるべく見ないようにしている。(時々カンニングに近い行為はある・・・爆)

小生の描いたこの図が示す城跡が分かる方は重症を越えて危篤であろう(笑) ご応募お待ちしています!
城の最終形を見ても感じ方は人により千差万別である。
確かに城の場所に辿り着く事は一つの目標かもしれないが、ゴールでは無い。
二度め、三度めと訪問して初めて気が付く事もあり、ようやく全体像が見えてくるケースもある。
郭一つ浅い堀切一つのゴミのような砦でも間違いなく戦国の世を見てきた証人なのだ。
訪れた際は是非隅々まで見学していただき、往時の緊張感を感じて欲しいと願うばかりである。

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Posted on 2013/10/24 Thu. 21:55 [edit]
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