らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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天伯の城 (下伊那郡高森町山吹)  

◆伊那谷中部の大島城周辺は北信濃の川中島城館群に匹敵する要衝の地だった◆

南信濃を代表する中世城郭の一つは間違いなく大島城で、高遠城と双璧を為す甲州流の築城技術の粋を集めた傑作であるのは承知していた。

その気になれば長野県内なので何の問題も無く行かれる場所なのに「食わず嫌い」の如く避けてきた・・(汗)

「聖地に辿り着いた巡礼者はその後の信心を放棄してしまうかもしれない・・・」

今思えばそんな心境だったのかもしれないが、訪問後のその後は更に病状が悪化し危険な状態である・・(爆)

大島城 (82)
憧れが強すぎて見た瞬間に気絶しそうだった大島城の二重三日月堀!!(笑)

で、今回ご紹介するのは大島城じゃなくて、その西方3kmの河岸断崖上にある「天伯の城」(てんぱくのじょう)

憧れの大島城を語るにはまだ早いかと・・・(汗)

天伯の城 (1)
堀形㋐の残る台地部分を城域と見るか判断が微妙な郭5。平素の居住空間となる屋敷があったのか?

【立地】

天竜川の右岸で西の渓谷(天伯峡)には寺沢川そして東を流れる大沢川の間の南に突き出た河岸段丘上にあり、北方1km上流には原ノ城がある。南方の田沢川の対岸には山吹城があり、往時は伊那谷中部の要衝の地であったようだ。

天伯の城見取図①

【城歴】

史料・伝承がなく不明な点が多い。郭5に清水氏の墳墓があり古い法篋印塔があることから、松岡氏の家臣の清水氏の関連ではないかという説がある。
原ノ城が松岡氏家臣の龍口氏の居城と云われているので、天伯の城も松岡氏に関係した人物の持ち城だったのであろうか。

天伯の城 (2)
巨大な堀切㋑(現在は堀底を横断する土橋っぽいものがある)

天伯の城 (3)
堀底の西側から撮影。

破竹の勢いで武田軍が伊那谷を制圧し松岡氏は武田に降る。その後松岡氏は信濃先方衆八十騎の大将(騎馬一騎に歩兵4~5名なので約四百の兵力)として松尾小笠原氏、下条氏に次ぐ外様の扱いとなった。
武田信玄の西上作戦における伊那谷の拠点として大島城が大改修を受けた時に松岡氏の城砦群も強化されたと思われ、この砦もその時に改修されたのであろう。

天伯の城 (5)
郭1。北東の隅に天伯社があるので「天伯の城」と呼ばれたらしい。

【城跡】

階段を下るように郭を連ねた単純な縄張りだが、三方を急な崖に囲まれているのである意味「城正面」なのだ(笑)
郭1と郭2の間には周囲を石垣で覆われた円墳のような堡塁があり頂上に「山大神、水大神」と書かれた石碑が鎮座している。
一見奇妙に感じるが郭2・3・4を守る「火点」と考えると合点がゆくし、郭1に侵入するには制圧しなければならないやっかいなトーチカなのだ。

天伯の城 (9)
北側から見た堡塁。

天伯の城 (8)
南側から見た堡塁と石碑。土留めの石積みは後世のものだろう。

石碑は文久三年(1862)と記載があるので、幕末の設置らしい。確かその年号では将軍家茂さんが上洛し、薩摩藩が「えげれす」相手に砲撃し薩英戦争を引き起こした年でしたネ・・(汗)

天伯の城 (11)
耕作され果樹園となった郭2。改変されたことを差し引いても切り立った切岸や石積み、井戸もあるので城の中核で屋敷跡だった可能性は否定出来ない。

天伯の城 (13)
屋敷地としての完成度が高い郭2。

天伯の城 (12)
郭3はかつて耕作地だったようだが、今は原野に戻りつつある。

天伯の城 (15)
見張り兵がおかれたであろう南先端の郭4。

松川町と高森町の境界線に約18の城砦群が密集している。

古くは名子氏・大島氏VS松岡氏の係争地で、その後は武田氏の伊那支配の軍事拠点となった場所である。

城跡に立っても往時の緊迫感のカケラも感じる事は出来ないが、確かにここで歴史が動いた事は間違いない。

≪天伯の城≫ (てんぱくのじょう)

標高:510m 比高:70m  
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:下伊那郡高森町山吹上平
攻城日:2013年2月10日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:-分 駐車場:無し、適当に路駐。
見どころ:大堀切、横堀、石積み、堡塁
注意事項:特に無し
参考文献:「信濃の山城と館⑥諏訪・下伊那編 宮坂武男著」
付近の城址:南方の城、南方の城山城、大島城、北の城、山吹城など
Special thanks:ていぴす殿

天伯の城 (16)
江戸時代には座光寺氏の陣屋として遣われた山吹城。

下伊那の名族の松岡氏は南北朝の争乱を経て室町時代~戦国時代の争乱を耐えて家名を存続したが、家臣の坐光寺氏の讒言により徳川家康の逆鱗に触れて改易され断絶となった。

いつの時代も飼い犬に手を咬まれるという「内部告発」は横行したようである。

それにしても、天正壬午の乱における家康の窮地を救った下条氏まで廃絶にした徳川さんの恐るべき陰謀は、またの機会にお話ししましょうか・・・(笑)







Posted on 2014/01/21 Tue. 22:07 [edit]

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