らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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式部の館 (佐久市布施)  

◆円形館では何故ダメなんだろう?◆

泣く子と地頭には勝てないと言うが、歯痛にはもっと勝てない・・(汗)

長年連れ添った奥歯と本日やむを得ず惜別の別れをしたのだが、半日も出血が止まらず難儀した。

それは「失って気がつく親の有難み」と同じかもしれない・・(ってかまだ両親元気だし・・・笑)

式部城(佐久市) (121)
集落の東を流れる布施川。対岸の尾根を越えれば広大な佐久平だ。

今回ご紹介するのは式部集落の中心にある「式部の館」(しきぶのやかた)

式部城見取図①(佐久市)

式部城(佐久市) (106)
南の式部城方面から見た居館推定地。

【現地説明板より】

南方に築城されている式部城跡の麓にある居館跡は、方形に設計されているのを基本とし、かつて四方に土塁が巡っていたものと推定されるが現在は東北部に見事な土塁が残存している。また西側には幅の広い空掘が構築されており防御を考慮した構造になっている。中央部にはかつての井戸が水をたたえて存在しており、そこから移動したと思われる丸く刳り抜いた方形の井戸框が残っている。本居館跡の構築年代は定かではないが、式部城跡の居館跡と見るむきがあり、室町時代と云われている。しかし構造上さらに古く位置づける説もある(望月教育委員会)

式部城(佐久市) (109)
居館西側

式部城(佐久市) (112)
祠が三つ並ぶ北東の残存土塁。

式部城(佐久市) (115)
北側より撮影。L字なのが分かる。奥に式部城が見える。

最近の定説として「方形館=鎌倉時代」なのだというが、根拠に乏しいように思う。

シロウトが何を証拠にノタマウか?と笑われそうだが、平安時代末期に貴族から凶暴な番犬呼ばわりされていた武士がわざわざ自分の屋敷を武装化するのであろうか?

集落や自分の屋敷を戦場(砦)にして戦う必要もなかったし、都でもなければ緊迫した情勢では無かったように思える。

居館を武装化する必要が生じたのは、説明板の推測する通り室町時代からだと思う。

幕府の権威が衰退し地方の統治が崩れ、地場で力のあるヤクザ(土豪や地侍)が集落の防衛と称して多額のミカジメ料を住民から徴収している訳だから、勢力拡大するなら、そのヤクザの屋敷を襲撃して無き者にするのが手っ取り早い。

式部城(佐久市) (118)
北側の土塁。

「自分の身は自分で守る」

屋敷を武装化したものが館となり、館城に進歩し、純粋な軍事施設としての必要性が要害を生み出したのだろう。
(小生の勝手な推測であるが)

式部城(佐久市) (116)
居館跡に建つ民家の脇には説明板があり、ここが史跡である事を示している。

城館と山城のセットを否定するような学説を唱える方もいらっしゃるが、どうであろうか。

隣村から数人のチンピラが襲撃してくる程度なら、平地の館で迎撃すればよいし、隣の国の大親分が手下をたくさん連れて乗り込んできたら山の要害へお誘いすればよかろう(笑)

≪式部の館≫ (しきぶのやかた 布施式部館・坪ノ内)

標高:728m 比高:2m  
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:佐久市布施式部
攻城日:2013年11月23日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:-分 駐車場:県道脇に適当に路駐。(集落内は狭いので駐車は止めましょう)
見どころ:土塁
注意事項:私有地につき内部への無断立ち入りは不可
参考文献:「信濃の山城と館①佐久編 宮坂武男著」
付近の城址:春日城、布施城、天神城、望月城、小倉城など

式部城(佐久市) (111)
北東の土塁の上の「祠三兄弟」(笑) 遷りゆく郷土の歴史を見ていたのであろうか・・・

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Posted on 2014/01/07 Tue. 22:38 [edit]

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