らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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森山城 (小諸市森山)  

◆森山のお殿様はいったい何処に住んでいたのか?◆

連休の最後ぐらいは比高差のある山城に登りたかったが、明け方の降雪で万事休す・・(汗)

増え続ける在庫(踏査済みの城跡)の処理でもすりゃあいいのだが、テキトーな記事とはいえ労力と根気がいる(笑)

それに真面目に書こうと資料を読み始めてしまうと、面白くて最後まで読んじゃうのでいっこうに進まないし・・(爆)

柳町の看板①
粋な看板みっけ!「与三郎 発芽そば 喰らう」(上田市の旧北国街道沿いにある そば屋 おお西)

今回ご紹介するのは城主がハッキリしているのに城跡がグダグダで良くわかんない小諸の「森山城」(もりやまじょう)

【立地】

現在森山集落のある台地で、南北を深い田切地形に囲まれて、これが自然の堀となっている。
西隣には硲城(はざまじょう)があり、北ノ城、塩川城と連なる。南西700mには耳取城がある。

森山城見取図①

ここを訪れたのは昨年のお盆前で、地図を片手に集落をウロウロ。

ハタから見れば絶対怪しいので、不動産鑑定士のような身振り手振りで徘徊する(余計ヤバイってか・・笑)

森山城(小諸市) (2)
森山公民館に隣接する薬師堂。基礎がずれて左に傾いているんだけど大丈夫かしら?(汗)

【城主・城歴】

「定本 佐久の城」(1997年発刊 郷土出版社)では森山城と西城は分けて記載されているので引用してみた。

●西城
文献によれば、寛元の頃(1243~47)大井庄庄官大井光長(岩村田の大井宗家)の五男宗光が森山を分治したといわれるが、その城館跡ではないだろうか。
この宗光は三兄行光が宗家を相続した事に不満を持ちその代官を殺害した。よって鎌倉幕府の祭壇により佐渡へ流刑に処せられたと云われる。
その後を受けて戦国時代に森山氏が入居。これを修復して再利用したものであろう。東西67.5m、南北40.5m、北面は田切の断崖東西南に土手を巡らせたというが今はない。古いかたちの掻き上げ城である。

森山城(小諸市) (11)
北から見た西城。田切の段差を防御としている。

森山城(小諸市) (12)
現在の田切地形は水田になっているが、往時は泥沼か湿地帯だったのだろう。

森山城(小諸市) (14)
森山大井家の居館があったとされる西城跡。


●森山城(定本佐久の城では公民館の敷地を森山城の跡地として断定している)
公民館の一隅には「信州森山故城碑」の石碑が立っている。碑面によれば時の森山城主豊後守俊盛(ぶんごのかみとしもり)が天正年中に構築した旨が記され、その事績を顕彰している。
俊盛は近江守山から入村して当地を支配したとあるが、その来歴は不明である。あるいは耳取大井氏との従属関係によるものであろうか。

森山城(小諸市) (1)
薬師堂の脇の石碑。この裏面に顕彰事跡が記載されている。

この俊盛は傑出した武人で、初め武田信玄に仕え、川中島の合戦など各戦に活躍、天正十年(1582)勝頼の最後まで随順し、同年信長の死による佐久争乱の際に俊盛は耳取大井氏とともに芦田信蕃(依田信蕃)に属して徳川家康の旗下に参じ、北条勢の進行を阻んで軍功を挙げ、家康から与良氏の遺領を含む恩賞、朱印状を賜っている。
そののち、小田原の役にも信蕃が戦死した岩尾城の攻撃にも参陣したが、文禄二年(1593)に死んだ。その嗣子兵部丞盛房(ひょうぶのじょうもりふさ)は、慶長八年(1603)、江戸開府ののち、信蕃の次子康真(康勝)が上州藤岡に移封の際これに従って森山城を去った。このとき森山城は、その支城西古城とともに廃絶となった。
(定本佐久の城~阿部照雄氏記述より引用)

森山城(小諸市) (5)
森山公民館の西側の通路は堀跡だろう。(見取図では郭1と2の間の堀)

森山城(小諸市) (7)
郭2と3との間の通路も元々堀だったようだ。

「森山故城碑」は森山俊盛(守山⇒森山に改姓したと思われる)の十一世の子孫で当時幕府の旗本であった森山孝盛が寛政四年(1792)六月に俊盛没後二百年を記念して此処に建碑したもので、森山氏の出自、俊盛の偉業などを顕彰している。

森山城(小諸市) (6)
城域の北側の田切地形。天然の堀を形成している事が分かる。

森山城(小諸市) (18)
何処までが往時の遺構なのか分からん(汗)

戦国時代の城は城主不明なケースがほとんどで、このように城主の経歴の分かるケースは稀である。

しかし、これとて、小生の尊敬する西股氏に云わせると「江戸時代に先祖探しが流行した事例である」とするようだ(笑)

森山城(小諸市) (23)
郭2の南側の空堀に連結する場所。立派な石垣は何か意味があるように思えるのだが。

森山城(小諸市) (24)
どことなく城下町の風情が残る森山集落。L字クランクの名残もある。

森山城(小諸市) (26)
郭5手前の空堀。夏は藪茫々なのでご勘弁願いたい(笑)

さて、森山氏の居館(政務を司る役所)は公民館敷地にあったとしても、軍事施設としての森山城の全体の縄張りはどうだったのだろうか?

実のところ「軍事的な城など作る暇など無かった」のではないかと思う。

信玄の信濃先方衆の酷使は現在のブラック企業に匹敵していたように思えるが、どうであろうか・・(汗)

真田幸隆ですら自分の居城など整備している余裕は無く、乗っ取った戸石城も本格的な整備が為されたのは昌幸の代になってからのことである。

信玄が亡くなると真田幸隆も後を追うように死んだと云うが、本当は過労死だったのではなかろうか・・(笑)

森山城(小諸市) (30)
南側の縄張りに関しては解明の余地があるように思えるが。

≪森山城≫ (もりやまじょう)

標高:681m 比高:7m  
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小諸市森山
攻城日:2013年8月12日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:-分 駐車場:森山公民館借用。(集落内は狭いので路駐不可)
見どころ:堀切跡、田切地形など
注意事項:プライバシーに注意
参考文献:「信濃の山城と館①佐久編 宮坂武男著」「定本 佐久の城」
付近の城址:耳取城、北ノ城、塩川城など

信濃先方衆のそのほとんどが最後まで武田家を見捨てる事無く忠誠を尽くした。

その忠誠心が家名を存続させた最大の要因だと小生は信じて疑わないのである。

森山城(小諸市) (9)
中途半端な堀切よりは効果絶大な田切地形。





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Posted on 2014/01/14 Tue. 08:00 [edit]

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