らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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原ノ城 (下伊那郡高森町山吹)  

◆松岡領の北限を守る境目の城◆

正月休みが連続したので、今月は日曜日しかお休みが無い・・(ん?それでも贅沢だって?)

しかも昨晩雪が降ってしまったので、お出掛けも不可能になった・・なので雪はキライだ(笑)

佐久方面の在庫はまだあるのだが、いい加減小生も飽きてきたので気分転換で南信州をチョコッと連載しよう。

今回ご紹介するのは昨年2月に「ていぴす」殿にアテンド頂いた下伊那郡高森町にある「原ノ城」(はらんじょう)

原城 (45)
改修された道路は主郭を囲む堀切㋗の堀底を貫通している。

元々城域を道路が貫通していたらしいが、法面の崩落の危険があるため改修工事前に緊急発掘調査が行われた(平成21年~平成23年)

この発掘調査により埋もれていた堀切の姿が明らかになり、城跡の年代を示す遺物が出土したという。

原城 (4)
郭1の脇に立つ説明板に城歴・宮坂氏の縄張り図、発掘調査の写真と説明(出土品等)がある。さすが高森町である。

【立地】

松川町との境になる大沢川が天竜川に合流する1km北の河岸段丘上にあり、大沢川の対岸には名子氏の出城といわれる南方の城、南方の城山状が対峙している。また、名子氏の同族の大島氏の北ノ城は北東へ2.3km、同じく大島城(台城)は南東へ3kmの距離にある。

原ノ城見取図①

【城歴】

「南信伊那史料」の原城跡の項には、「応永二十五年、松岡氏ノ分流龍口藤三郎始テ居館ヲ構ヘテ住及名ヲ以テ屋号トナシ」と記述がある。また、応永七年(1400)の大塔の戦いに小笠原長秀率いる守護軍に加わった伊那衆の一員として「大島嫡流家伝記」にその名があるた辰ノ口次郎は龍口氏の一族と考えられている。

原城 (2)
県道から回り込む郭1と郭2の間の堀切㋗は途中から東へ迂回する竪掘㋓と北へのびる横堀㋖に枝分かれする。

原城 (1)
西方面へ向けた段丘上に築かれているのが分かるでしょうか。

原城 (6)
中城と呼ばれる郭1(58×38)

郭2の畑で作業していた地主さんに一応敷地内の見学の許可を貰う。

「あんた上田から来たんかね。そんじゃ松尾高校出身の信州大学の教授さんずら。そりゃ御苦労さま」

何か勘違いされたようだが、説明するのも面倒なのでここではプロフェッサーと云う事になって大爆笑。

原城 (12)
北側から見た堀切と郭の位置関係。郭3の入口は「もん」という地名が残るという。

【城跡】

大沢川に突き出した断崖上の東端の楕円形の郭が城域で最も高い位置にあり主郭と見る。背後を㋗の横堀で断ち切り周回させるように竪堀㋓を東に落としている。南側(現在の県道)は㋔(若宮のある場所)で二重堀切にしていたようだ。

郭2は湾曲した短冊形で北の部分は山林で稲荷社・浅間社・白狐の碑がある。周囲を堀切で防御し北側の横堀は土手付きだったようだ。郭の南側は段差がついて2分割されているが、耕作地による改変を受けていて元々は同じ高さだったという。

郭3は本城と呼ばれ、現在は果樹園。周囲を巡る堀切㋕は南側で堀底に土塁を迫り上げた二重堀切で厳重に防御されている。寛政十一年の古図には郭2との間に堀が描かれているというので、㋗と㋐と㋕は連結した堀だったようだ。

原城 (9)
郭1と郭2の間の横堀㋖は土手を付けたり這わせたりして幾何学的な処理が施されている。東の土手に警戒している。

原城 (11)
郭2は県道側より「果樹園」「墓地」「山林」という構成。墓地はその昔は屋敷地だったらしい。

原城 (13)
山林の中にある祠。高森町に唯一伝わる白狐(びゃっこ)の石碑があるというが、どれだろう?

原城 (14)
郭1の東で横堀となる堀切㋓

ちょっとした輪郭式の縄張りを持つ砦なのだが、名子氏や大島氏との領地争いを意識した龍口氏時代というよりは、武田氏によって大規模にリニューアルされた大島城(台白)の支城として、同様に武田軍が手を入れたように思える。

横堀を多用し、特に堀切㋕と堀切㋔をわざわざ二重堀切に改修している念の入れようは凄い。

原城 (18)
土手(土塁)を付ける事で斜面からの敵に対する塹壕効果を上げている。

原城 (21)
堀切㋐と㋑の間に堡塁を作り狙撃用のスペースを確保している。堀底を移動しても郭2との狭間で挟撃出来る仕組みだ。

原城 (22)
東の沢に落ちる竪堀㋑。

郭2の北側は幅広い堀切㋐で防御されている。県道と合流する手前で宅地の為に埋められてしまっているが、郭3の西側へ貫通していたものと見て取れる。

原城 (24)
堀切㋖との合流地点から東の沢に下りる堀切㋐。

原城 (26)
北側から撮影した堀切㋐。上巾20mはあろうか。

原城 (29)
おー、何てこった、堀が埋められて民家になっちゃったあー(汗)

郭3はナッシー畑なので見るべきものは無いが、周囲を囲む堀は圧巻である。

原城 (34)
堀切㋕の西側。私有地なので見学には気をつけましょう。

原城 (37)
郭3は広大な果樹園。周囲には土塁があったのだろうか?

原城 (35)
南信濃では初めて見た横堀の二重堀切。感動ものである(笑)

原城 (42)
堀切㋕は沢を利用しているので防御力は高い。


原城 (44)
県道の東側のコンコン様の祠(堀切⑤)付近も二重堀切だというが、微妙だ(汗)

さて、つらつらと写真で誤魔化して参りましたが、久々の勉強不足を露呈した原ノ城如何でしたか?

そうは言ってもこの城だけは「なんちゃってプロフェッサー」ですもの頑張りましたよ(爆)

ちょっと小さいけど見どころ満載の貴重なお城です、ハイ。是非お出かけ下さいませ。


≪原ノ城≫ (はらんじょう 本城)

標高:520m 比高:40m  
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:下伊那郡高森町山吹
攻城日:2013年2月10日 
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:-分 駐車場:無し、適当に路駐。
見どころ:二重堀切、横堀、竪堀、切岸など
注意事項:民家もあるので撮影注意。
参考文献:「信濃の山城と館⑥諏訪・下伊那編 宮坂武男著」
付近の城址:南方の城、南方の尉山城、大島城、北の城、名子氏館などキリがない・・。
Special thanks:ていぴす殿

原城 (33)
もん跡からみた城域主要部。





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Posted on 2014/01/19 Sun. 17:40 [edit]

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