らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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北の城 (下伊那郡松川町元大島)  

◆武田の軍事拠点になった大島城を追い出された後の大島氏の居城◆

記録的な大雪から一週間が過ぎた。

通常の3倍の通勤時間となり毎日早起き。そして会社に着いたら駐車場の雪カキが業務前の日課になった。

市内の道路の除雪作業もようやく急ピッチで進められているようなので、来週あたりから普段の生活になるかしら(汗)

今回ご案内するのは、武田さんに本店を追い出されて支店住まいを余儀なくされた大島さんちの「北の城」(笑)

大島城2 (48)
かつての本拠地だった大島城の本郭から見た北の城の位置。対岸には大島氏の配下だった福与氏の福与城が見える。

ってか、肝心の大島城の記事を作成せずして支城群の記事を掲載するのは無謀とも言えるが、やってみないと分からんでしょ!と嘯いて(うそぶいて)みるか・・(汗)


【現在の状況】

北の城は松川町新井部落の南端、古町境の国道153号線沿いにある曹洞宗林叟院の北側に接した城で、北は相の沢の渓谷が天然の堀となり、東は崖淵となり天竜川の氾濫原に落ちる要害の地である。
残念ながら国道153号線の改良工事によって主郭の東側は削り取られ、西側は民間会社の用地の為に削平され、西南側の空堀も順次埋め立てられて、出郭と堀の一部が残るだけで、往時の面影がなくなってしまっている。

北の城(松川町)見取図①

元亀二年(1571)三月、武田氏が大島城の大修築(というよりは新規築城に近い)に着手すると、大島氏は大島城の西北1kmほどのところにある北の城と沼ノ城に移っている。

戦国時代以前の「北の城」は武田改修前の大島城の支城であったが、元亀二年以降に大島氏の本城となってから手が加えられたのかは定かでない。

この城は、新井の段丘面が間の沢によって浸食された深い谷に沿って、東側へ突出する台地先端部にあって、東側には主郭が設けられ、西側には空堀を隔てて二郭がある。

北の城(松川町) (13)
国道153号線の北側から見た城跡方面。

北の城(松川町) (16)
右側の自動車工場が主郭跡。国道が貫通した為に左側の出郭は破壊され現状を留めていない。

北の城(松川町) (17)
工場建設前には周囲に土塁が巡っていたと伝わるが、ここが城跡と云われても「??」である。

改変前の記録によれば、主郭の広さは南北約50m・東西約30mあって、周囲を土塁で囲み、土塁内側に沿って堀状の溝が巡らされているのも特徴の一つであったらしい。(そういえば、名子城も土塁手前に横堀があったので、往時の流行だったか?)北・東・南は断面となっていて、東側斜面には腰郭・出郭状の平場が設けられ、その東側は比高差50mほどの急崖となって天竜川氾濫原へ落ち込んでいる。

北の城(松川町) (18)
主郭南側の堀跡。工場の土地造成と国道153号線の北条橋の設置工事で往時の姿は消滅した。(奥は林叟院の寺院建物)

北の城(松川町) (26)
北条橋より主郭南の失われた堀切跡を見下ろす。かなり深い沢を利用した堀だったと思われる。

北の城(松川町) (22)
国道建設によって潰されたかつての出郭跡には今も稲荷社が残る。(道路の往来が激しくお参りも命賭けだった・・笑)

北の城(松川町) (27)
主郭北側の堀切跡。僅かだがその痕跡が残る。

空堀(現在は埋められ消滅)の西側には主郭の三倍ほどの広さを持つ二の郭がある。西・北側と東側は「間の沢」の谷に面し、南側は浅い堀底状の低地がある。住宅や耕地になっていて城郭の遺構らしきものは見当たらないが、周囲の地形状況から郭と判断される。小規模な城郭ではあるが、東側の段丘崖はとくに高く、北・南の谷も深いので、要害の地が選ばれている。

北の城(松川町) (2)
郭2全景。字名は「北の城」。耕地化されているが本郭よりはマシだ。

北の城(松川町) (3)
飯田線と並行する堀跡(現在は道路になった)

北の城(松川町) (4)
堀跡を進む。沢を挟んだ南側の曹洞宗林叟院も郭と勘違いしそうだが、城域ではなさそうだ。

北の城(松川町) (6)
堀跡を辿りながら急坂を下り、国道の北条橋の陸橋を潜ると主郭の東斜面の脇に帯郭がある。ここまで空堀だったようだ。

北の城(松川町) (10)
郭2の隅には大島家墓所がある。城守としてそのまま在住していたようだ。

昭和四十六年(1971)に、国道153号線の改良工事に伴う緊急発掘調査が行われている。道路予定地に限られ、他の遺跡と兼ね合いの調査であったので、部分調査に留まっているが、飯田・下伊那地方では最初の城跡発掘調査であった。

掘立建物址・土塁状の柵または塀のビット列・土塁に沿う溝址・後世の墓墟等が検出され、土塁と主郭内の造成には外部から赤土を持ち込んで突き固めたことが検証されている。

発見された遺物は、火打ち金・飾り金具・釘類・砥石・火打石・青磁椀・瓶・瀬戸天目椀・黄瀬戸系の平鉢・皿・常滑系の甕・内耳鍋等の破片が相当量出土している。

※以上、出典は「定本 伊那谷の城 今村善興氏」の記述。文章については発刊より年月が経過しているため一部修正を加えたがご了承願いたい。

北の城(松川町) (24)
東側の天竜川方面には支城の福与城が見える。

改修後の大島城の北の抑えとして引き続き大島氏がその役目を担った事は想像に難くない。

武田滅亡後の大島氏の動向については定かでないという。

≪北の城≫ (きたのじょう)

標高:500m 比高:45m
築城年代:不明
築城・居住者:大島氏
場所:下伊那郡松川町元大島
攻城日:2014年2月1日 
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:無し (近くのコンビニ借用)
見どころ:-
注意事項:私有地なので無断侵入禁止。国道は往来が激しいので横断注意
参考文献:「信濃の山城と館⑥諏訪・下伊那編 宮坂武男著」「定本 伊那谷の城」
付近の城址:大島城、沼ノ城、名子城、福与城など

福与城01
福与城から見た北の城。段丘の崖にあることが分かる。



Posted on 2014/02/23 Sun. 09:27 [edit]

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