らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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吉田古城・吉田本城 (下伊那郡高森町吉田)  

◆縄張り図を描いてみないと解けない防御の指向性◆

健全なる(?)上田市民なのだが、圏外の長野市と松本市の図書館も利用させて頂きお世話になっている。

先日お邪魔した長野市立図書館で「信濃の山城と館」全8巻が揃っていたのには感動した。(もちろん上田市立図書館も全て揃っているが)

活字離れが加速しているニュースを聞き心が痛むが、子供たちで賑わう図書館を見るとホッとします。
なので、用も無いのにが館内で居眠りしているしている中高年を見ると腹立たしくなります・・(怒)
(奥さんに追い出された帰宅難民の緊急避難場所だとしたら、それも悲しい・・)

しばらくの間は高森町・松川町の攻城戦記になるので、以下の地図でそれぞれの城の位置関係をご参考願いたい。

松岡城とその周辺の支城配置図
小生はこの地図を見た瞬間に頭の中で「進軍ラッパ」が鳴り響くのです(またはパブロフの犬とも・・笑)

今回ご紹介するのは上記地図のNo11吉田本城、No12吉田古城。

吉田本城・古城(高森町) (2)
やる気満々の高森町の道標。しかしその先の表示が無くて3回も行ったり来たりして不審者そのものとなる・・・(汗)

【立地】

天竜川右岸の胡麻目川沿いの段丘先端にある。南の大島川との間が吉田地籍となり、南方約400mに吉田南城がある。
天然の沢と堀切を組み合わせることで要害の地としている。

吉田本城・古城(高森町) (5)
城跡の標柱と宮坂先生の鳥瞰図。ケチは付けたくないが現地説明板としては縄張図を示した方がありがたい(汗)


【城主・城歴】

この城(後に記載する吉田南城も含めて)は、応永七年(1400)の大塔の戦に松岡氏と共に参戦し、永享十二年(1440)の結城合戦の「結城陣番帳」に記載される吉田氏の居城と伝えられている。

吉田本城・古城見取図①
崖淵の台地と入り組む沢を取り込んだ奇妙な縄張の城である事がご理解いただけるだろうか。

吉田氏の記録は、「吉田村村方改帳」に「竹之内と申す所に、寿永の頃、原見五郎光季の次男、在名を化合西吉田七郎之に住す。その後新井備前と申す人之に住す。東原と申す所に、康永の頃、光季六代の孫源五左衛門孝之次男信光と申すもの之に住す」とある。
竹之内というのは「古城」の位置であり、東原というのは「本城」か「南城」かと思われる。これら三つの城は一連の城か砦であろうが、それぞれの築城年代はわからない。
(定本 伊那谷の城より引用)

【吉田古城】

吉田本城・古城(高森町) (16)
吉田古城の南側には堀切があり周回していたものと想定される。

古城は、本城の西北約150mほどの所二」方形状の平場がある。西縁に土塁の残欠が僅かに残されているほかは耕作地となっていた。
北側と東側は胡麻目沢に落ち込む急崖で、西側と東側に空堀(㋗と㋐)が設けられ、西側の堀は特に深く胡麻目沢の谷へ竪堀となって落ち込んでいる。里人はこの城を古城と呼んでいるが、本城築城以前の城という説と、本城の支城という説がある。

吉田本城・古城(高森町) (10)
古城(55×48)。耕作地だったようだが、現在は桜の木が植樹されている。写真中央の左側に土塁の跡がある。

吉田本城・古城(高森町) (14)
郷愁を誘う嘗ての標柱。背後は堀切㋗が横堀となり北の沢へ落ちる。

吉田本城・古城(高森町) (17)
隣の畑の石積みは立派だが、近世のものであろう。

吉田本城・古城(高森町) (21)
堀切㋗と切岸。竹藪に覆われているが、堀切はかなりの急崖で竪掘となり人を寄せ付けない。

記事の作成に当たり「定本 伊那谷の城」(1998年 郷土出版社)の文献を参考にしているが、本に収録されている写真は藪と竹林しか写っていない(汗)

その後、高森町の教育委員会によって城跡は整備されたようだが、最近は手入れがされていないようで本城周辺は原野に戻りつつある。残念だ。

吉田本城・古城(高森町) (6)
古城の縄張の指向性を解くカギは堀切㋐を観察すると分かる。

吉田本城・古城(高森町) (22)
古城の東側の沢に対して横堀で続く。

吉田本城・古城(高森町) (26)
堀底に高土塁を築いてクランクを作り堀底から攻める敵の迎撃用の堡塁としている。

吉田本城・古城(高森町) (34)
攻城兵は、北側の崖から堀底に侵入してもダミーの横堀に惑わされ高土塁の上の堡塁から攻撃されてしまう。

例の如く写真ばかり並べてしまったが、この古城の縄張の防御の指向性は東の沢だ。
古城も本城も名前の相違はあっても築城時期はほぼ同時期で、吉田地籍の最も警戒すべき北東の崖を挟む形で縄張が施されているのだ。

吉田本城・古城(高森町) (35)
この堀の処理は戦国時代の緊迫感を感じる。そろそろ原野に戻りそうなので見ておく必要があろうか。


【本城】

窪田井に沿って三つの郭が並び、主郭は台地の東先端部になり、北は松川町以北から龍東方面を展望する位置にあるが、現在は周囲の断崖部や曲輪内に樹木が密生して眺望は良くない。
主郭の北・西縁に土塁の跡が残り、南縁には高さ3m、長さ30mほどの雄大な土塁がある。

吉田本城・古城(高森町) (45)
主郭の小口。

吉田本城・古城(高森町) (58)
主郭南側の土塁。

吉田本城・古城(高森町) (59)
その昔は地元の信者の信仰の中心であったろう稲荷社(郭1の南隅)

吉田本城・古城(高森町) (60)
郭1から覗き込んだ南側の堀切㋓。かなりの落差がある。

吉田本城・古城(高森町) (49)
数年前にはチャンと整備されていたらしい本郭。高森町も財政難なのだろうか?

吉田本城・古城(高森町) (51)
本城の郭1の西端から堀切㋓方面。

吉田本城・古城(高森町) (52)
堀切㋒にある「御姫様の井戸」。竹藪が酷くて突入を断念する。


【郭2・郭3・周辺の堀切】

西側には郭2・郭3があり、共に雑木林や竹藪・杉林になっている。道路で区切られた郭3は竹垣に囲まれているが、中央を横切る堀状の窪みに切られていて、ふたつの曲輪が並列する特殊な構造になっている。

吉田本城・古城(高森町) (38)
郭3付近。

吉田本城・古城(高森町) (3)
竹垣に囲まれた郭3。この郭だけ防御指向は全方位になっている。

吉田本城・古城(高森町) (40)
郭2は「タケヤブヤケタ」状態(笑)

吉田本城の縄張の指向性は北と南の沢であり、郭3はその司令塔的な役割を果たしていたように思える。

吉田本城・古城(高森町) (61)
郭2の南側の通路。横堀とも塹壕ともいえる作り。

吉田本城・古城(高森町) (64)
本城の郭1の南側は変則的な二重堀切だったと思えるが、どうであろうか?(土手付きの横堀が交差している)

吉田本城・古城(高森町) (65)
堀切㋓の終点から見上げた郭1の稲荷社。

吉田本城・古城(高森町) (69)
本城の郭1の東側を遮断する横堀㋔。

さて、如何でしたでしょうか?

書いている小生も飽きてきました・・・(笑)

本城と古城は沢を挟撃するような造りだし、本城の連郭も吊るし雛のような変則的な縄張で個性的でしたよね。

集落や古道が台地の上から崖下の天竜川沿いへ移っていくとともに城の防御方向が変化していったことがくみ取れると思います。

「崖下から押し寄せる敵を想定」

松岡城の改修もそこが急務だったのかもしれません。

吉田本城・古城(高森町) (75)
総構えと呼ばれる城域の東側。

≪吉田古城・吉田本城≫ (よしだこじょう・よしだほんじょう)

標高:512m 比高:65m
築城年代:不明
築城・居住者:吉田氏?
場所:下伊那郡高森町吉田
攻城日:2014年2月1日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:有り
見どころ:堀切、土塁、堡塁など
注意事項:竹藪突入の際は竹の切株でケガをしないように厚底の靴がお勧め。(そんなとこ入るのは小生ぐらいか・・)
参考文献:「信濃の山城と館⑥諏訪・下伊那編 宮坂武男著」「定本 伊那谷の城(1996年 郷土出版社)」
付近の城址:記事の地図参照

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Posted on 2014/02/04 Tue. 23:13 [edit]

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