らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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吉田城山城 (下伊那郡高森町吉田)  

◆松岡氏の家臣だった吉村氏が形成した政庁としての城館◆

先日の大雪で今月一杯は平地の城館ですら探索が難しくなった・・(汗)

過去に取材した城館が不良在庫にならないように頑張ってアップせよ!との天の声であろうか・・(笑)

今回お届けするのは松岡支城群の一つである吉田城山城。

城山城(高森町) (1)
城跡の東端にある光専寺。吉村氏の建立と伝わる。

【立地】

吉田上段地区のほぼ中央に独立した残丘状の台地がある。ここが城山で、台地の東側傾斜面に曹洞宗光専寺があり、その裏山一帯が城山城である。現在丘の上には城山公園が造成され、遠くからも東屋を見ることができる。
大島川を越えて南400mに大丸山物見、その先400mには古御家、北東800mには吉田古城・吉田本城吉田南城があり、松岡城の防衛においても重要な拠点だったようだ。

城山城(高森町) (2)
主郭(郭1)と郭2には明治時代に吉田学校が建てられていたという。(写真は主郭の東側)

城山城(高森町) (3)
郭1の南側には土塁が残る。(石積みは吉田学校時代のもの)


【城主・城歴】

松岡氏の家臣吉村氏の居城と伝えられている。吉村氏の由緒については、「吉田村村方改帳」によれば「永正の頃美濃の人某、松岡右衛門大夫の家臣となり、吉田玄蕃と称して吉田の城山に居住した」とあり、「松岡家略史」によると、「吉村氏の館跡は市田村吉田に在り。吉村次郎なるもの知行三十貫文を領し、松岡に属し此に居館を構えて居住す。其子同中務・平六・治右衛門を経て永禄中吉村小次郎元貞」とある。
「光専寺過去帳」によると、「智光院殿覚室良悟大居士 当城主事吉村本亭」とあり、本亭と元貞は同一人物で光専寺を建立し、その墓は同寺本堂の西裏手の丘上に現存する。

城山城見取図①(高森町)

城山城(高森町) (6)
郭1から東方面。吉田神社周辺にも中世の遺構が発見されたという。

【城跡】

主郭は丘陵の東南部にあり、空堀一(㋐)と二(㋑)を挟んで郭2・郭3が丘陵上に続いている。主郭から光専寺境内の北側斜面にも横堀があるので、寺境内にも曲輪があったと思われる。

城山城(高森町) (9)

城山城(高森町) (12)
主郭からみた北側の堀切㋐。遠くに吉田古城も見える。

主郭は80mほどの長さを持つ平場であったが、明治時代に吉田学校の校地となり、郭2まで削平されて原形が失われている。主郭の南側に土塁の名残があり、住宅の周辺に腰郭らしい所は残っていた。

西側の郭2・郭3も耕地や宅地になって昔の面影はないが、郭2の北側には道路に使用されている空堀㋑が残されており、北側斜面には腰曲輪・竪堀が残されている。

城山城(高森町) (16)
公園造成の際に発掘調査したらしいが、堀切は埋められた。残す設計は出来なかったのだろうか?

城山城(高森町) (19)
標柱と共に地中に眠る土橋の発掘場所も示すべきだろう。(東屋のある場所は郭2)

城山城(高森町) (15)
復元して欲しい堀切㋐(南側より撮影)

城山城(高森町) (21)
東屋から南方面。大丸山砦と古御家との連携も重要だったと思われる。

城山城(高森町) (30)
郭2の西側は耕地(果樹園)。御嶽社や太子堂が勧進されている。

城山城(高森町) (32)
北側から見た堀切㋑(二の堀)石積みは明治時代のもの。

城山城(高森町) (34)
道路利用の為に石垣仕様になったが、これはこれで迫力がある(笑)

城山の北東約200mの場所に塩屋敷・蔵屋敷といわれる古字がある。城山付属の蔵があったといわれるが確証はない。その西側を通る広域農道用地内の発掘調査で、中世陶器の集中地・大形な掘立柱建物跡群が検出され、さらに下方の吉田神社あたりからも中世陶器を伴う大形な溝跡が発見されているので、城山城の城下につながる遺構群があるように思われる。

城山城(高森町) (36)
郭3に建つ七面社。参拝者も途絶え修繕の見込みも無く朽ち果てそうである。

城山城(高森町) (37)
七面社の背後にはL字の土塁が確認出来る。

平成元年に、城山公園造成に先立つ発掘調査で旧吉田学校の礎石群が検出されたが、その下層から掘立柱建物跡や竪穴跡のほかに主郭と二郭の間の空堀が発見された。この堀は主郭の西側を取り巻くように掘り込まれていて、検出面で幅7~10m、浅い所で2.2m、深いところでは5m以上の大規模なものであり、時代が異なると思われる二つの土橋が発見された。西側の土橋には石積みの列やピットがあったり、段差を持つ堅い面があることから土橋の橋脚が西側にあったと思われ、堀を渡る主郭への虎口であることは間違いない。
発掘調査された空堀は、山砂で埋められているが、その市が公園内で明示されていない。
(「定本 伊那谷の城 今村善興氏の記述を引用)

城山城(高森町) (40)
郭3の西側にはS字形の土塁がある。七面社のL字土塁と繋がっていた可能性もある。

城山城(高森町) (44)
念のため南から撮影してみたが、S字は表現出来ない・・(笑)

なんせ全長400mもあるものですから歩いて調査するもの大変。城山公園で遊んでいた家族連れには不審者に思われるし、郭3は民家の裏側なので不法侵入で通報されるかと思い冷や汗もの・・(汗)

城山城(高森町) (47)
西側先端も土塁が確認出来る。通行車両からは「おかしな人」に映ったであろう・・。

単純な連郭式の縄張であり、軍事施設というよりは普段の政庁としての機能が主目的の城館だったと思う。

武田さんが攻めてくる前は、どこにでもある長閑な城下町で、武田侵略後は吉村氏も松岡氏と共に信濃先方衆として各地を転戦しコキ使われたと思われる。

そんでもって挙句の果てには取り潰し(改易)とは、洒落になりませんなあー。

≪吉田城山城≫ (よしだじょうやまじょう 城山城)

標高:560m 比高:24m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:下伊那郡高森町吉田
攻城日:2014年2月1日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:城山公園に駐車場有り
見どころ:土塁、堀切など
注意事項:耕作地、民間の住宅地もあるので注意。
参考文献:「信濃の山城と館⑥諏訪・下伊那編 宮坂武男著」「定本 伊那谷の城(1996年 郷土出版社)」
付近の城址:吉田古城の記事参照。

城山城(高森町) (17)
東屋から見た伊那大島方面。遥か先には南アルプスも見える。



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Posted on 2014/02/11 Tue. 17:40 [edit]

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