らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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藤ヶ城 (佐久市岩村田)  

◆幕末に築城着手するも未完で終わった内藤氏の居城◆

しかし毎週毎週こうも正確に天気予報が当たると腹が立つ。雪はスキー場だけ降るように調整して欲しい・・(汗)

松岡氏の城砦群ツアーもあと3箇所で一応終わるのだが、飽きてしまったので今回は佐久に一度戻る事にした(笑)

全国的に調べても珍しいと思われるのだが、何故か佐久地方には幕末に新たな築城申請が幕府に出されて許可されている城が二つもあるのだ。

一つは信州の五稜郭として有名な田野口藩の竜岡城(佐久市臼田)であり、もう一つは岩村田藩(佐久市岩村田)の藤ヶ城である。

taguti (6)
田口城から見下ろした竜岡城(ズーム5倍)。函館の五稜郭のミニチュア版だが、星形稜堡として西洋式の防御構造を持つ美しい城である。

竜岡城はほぼ完成と同時に明治維新を迎えたので辛うじてその姿を現代に残せたが、藤ヶ城は上棟時点で廃藩となり未完のままで放棄され、僅かな痕跡が残るだけである。

奇妙な事に、それぞれの城跡には小学校が建てられ今日に至っている。

母校が城跡だなんて羨ましい限りだが、そんなこと考えている小学生はいないだろう・・(笑)

藤ヶ城(佐久市) (2)
本丸(岩村田小学校)の北側にある招魂神社は独立した曲輪で防御の要であったようだ。


【立地】

佐久市の岩村田地区の南、湯川の段丘崖を利用して築城されている。湯川からの比高は20mほどあり、北・東・南にかけては断崖となっていて、いわゆる「後ろ堅固」の要害の地である。
北500mには中世大井氏の居城だった王城(大井城)がある。

藤ヶ城見取図(佐久市)
「岩村田御新城分間縮図」(元治元年 1864)を現在の地図の航空写真に当てはめるとこんな感じになる。

【城主・城歴】

岩村田藩一万六千石の内藤氏が幕末に築城を開始し、途中で明治維新を迎えた為に、未完成に終わった城として田口城とともに特異な例として注目すべき城と言えよう。

「長野県町村誌」の「藤ヶ城墟」に「黒岩城より南へ距る事四町余、往昔より上ノ城と唱ふ。大井氏累世居館の古跡にして、南北三町余、東西四町余、東西四町余、堀形橋台僅かに残れり。東南崖高く湯川を帯び、西北は平坦なり。後内藤氏這地を用いて居城新築す。尚地の狭隘なるを以て、旧幕府の税地を買い上げ内藤氏へ附す。故に又士卒の邸坊を設く。元治元年(1864)甲子四月移て此に居住す。明治四年七月正誠東京へ移住す。同五年二月正誠の旧住居を以て、長野県支庁と成す。其他郭孵(かくふ・くるわ)の門、砲台等統て廃し、耕地、宅地に復せしむ。今士族の住宅のみ存在す。」とあり口絵がのっている。

藤ヶ城(佐久市) (4)
招魂社の境内入口には「上の城跡」として説明板が残る。

藤ヶ城(佐久市) (1)
西側から見た本丸北側。本丸の四隅に隅櫓を建築し天守閣も設置する予定だったらしい。

岩村田は、中世大井氏の居住地として栄えた所で、近世に入ってからは初頭から小諸領内の中山道の一宿駅となっていた。後に幕府領となり、更に元禄十六年(1703)より内藤正友がここを領するようになって初めて岩村田陣屋が置かれた。この陣屋は領内六ヶ村(岩村田・長土呂・赤岩・猿久保・上平尾・小田井)から木材や労力を徴して造ったという。

藤ヶ城(佐久市) (7)
唯一往時の曲輪の面影を残す招魂社とその周辺。現在は公園になっている。

藤ヶ城(佐久市) (15)
招魂社の裏側に残る土塁跡。幕末の新規築城でありながら石垣ではなく土塁というのは予算の問題だろうか。

藤ヶ城(佐久市) (16)
城の面影が残る城域の西側。

岩村田の陣屋は皆に取り巻かれていたために拡張もままならず、藩士たちの居住に事欠いていたために、早くから上ノ城地籍に藩士の住居が構えられていたようである。
元治元年(1864)の「岩村田御新城分間縮図」のような築城計画が藩主内藤正誠によって進められたが、事半ばで廃藩となり、ついに落成を見ないで終わった城である。

藤ヶ城(佐久市) (18)
岩村田小学校の正門が本丸の虎口と重なっている。現在は正門の東側のみに土塁が残る。

藤ヶ城(佐久市) (24)
藤城神社も曲輪跡だろうか。岩村田城の石碑も置かれている。

藤ヶ城(佐久市) (27)
北側には嘗て大井宗家が城館を置いた王城があり、その先に浅間山の雄大な景色が見える。

江戸幕府の統制力も無くなった幕末においては、武家諸法度による築城制限など有名無実となり、その中で進められた築城計画であったようだ。

藤ヶ城(佐久市) (36)
城域の南東方面。耕作地の向こうは湯川の断崖。

藤ヶ城(佐久市) (38)
城域の南端に残る土塁跡。

竜岡城が西洋かぶれの洒落たミニチュア砦だったのに対して、藤ヶ城は「後ろ堅固」の極めてオーソドックスな土塁の城というコンセプトで設計された城であった。

藤ヶ城(佐久市) (29)
藤城神社から西側の城域境界線。河岸段丘を利用した縄張りであることが分かる。

太平の世に「もはや城など無用の長物・・・」

そう言われても「城持ち大名」は陣屋暮らしの諸候にとってはやはり憧れだったに違いない。

アパート暮らしから思い切って35年ローンを組んで一国一城の主となる現代の男性諸氏と変わりないと思うが(笑)

≪藤ヶ城≫ (ふじがじょう、岩村田城・上ノ城)

標高:710m 比高:20m
築城年代:1864年
築城・居住者:内藤正誠
場所:佐久市岩村田
攻城日:2014年2月9日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:児童会館の駐車場等利用
見どころ:土塁、堀切など
注意事項:周辺は耕作地、民間の住宅地なので注意。小学校は立ち入り禁止、撮影にも充分注意。
参考文献:「信濃の山城と館①佐久編 宮坂武男著」
付近の城址:王城など

藤ヶ城遠景①
王城から見た藤ヶ城とその周辺。





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Posted on 2014/02/14 Fri. 22:44 [edit]

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