らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0309

窪寺城 (長野市安茂里)  

◆大塔合戦の時に大文字一揆が作戦会議をした城◆

久々の連休だし、城にも行けずストレスで太ってきたし(笑)、無理を承知で久々に長野市へ進軍。

そうは言っても標高の高い山城など攻められないので楽に登れそうな山城2箇所と既に壊滅した居館2箇所(汗)

今回ご案内するのは、本日取材したばかりの窪寺城。(他の溜まってる在庫の城はどうするの・・・汗)

窪寺城(長野市) (6)
登城口がイマイチ不明だったが、説明板の脇を強制的に登るのが正解だった・・(笑)

実はこの城、2回目の訪問。1回目はすれ違いも出来ない細い路地が続き、挙句の果てに駐車スペースが見当たらず疲れ果てて「ヤーめた」(笑)

リベンジとなる今回は早々に幹線道路で車を乗り捨て「おとといきやがれ!!」(爆)

窪寺城見取図①

小柴見城、旭山城と並びこのあたりでは知名度もある城なので、さぞかし沢山の方の城の記述があると思ったが、帰還してから調べてみると意外と少ないのにはビックリ・・・(汗)

登り口が明確でないのも原因の一つであるが、直登に慣れ親しんだ我々はそんな事は理由としない。

この城が記事にならない最大の原因は、恐らく行く手を遮る「藪(やぶ)」であり、特に棘(いばら)系はやっかいだ。

窪寺城(長野市) (9)
郭4と北側の堀。

【立地】

長野市安茂里(あもり)の窪寺観音堂の南に位置し、富士ノ塔山から南東へ派生した尾根の末端の山に窪寺城がある。登路は正覚院の南より、城山の西側の堀中へ道があり、そこから㋑の堀中へ登る。(現在この道は不明瞭なので、城の説明板がある場所の脇から登り郭4に入る)

この北の山との間の自然地形を生かした㋐の堀中には井戸があり、城の水の手になったと思われる。館は南麓の殿屋敷で、太田沢を堀としてそれに面して土塁が残る。

窪寺城(長野市) (10)
城域西側の河川の氾濫原(堀切㋐)を堀として加工している。

窪寺城(長野市) (13)
「郭3‘」から見た主郭方面。

残雪とぬかるみに悪戦苦闘しながら城域を徘徊する。朽ち果てた雑草と藪の残骸を見て「夏場は無理だろう」と思った。

窪寺城(長野市) (16)
郭2と郭3の間の堀切㋑。


【城主・城歴】

この地を支配した窪寺氏の要害城である。居館は正覚院のあたりか。大塔の合戦のときに大文字一揆が集まって相談したのが、この城とされる。(「大塔物語」)後に小田切氏に属したが、甲越の戦いの時に、武田軍に攻められ落城したという。

窪寺城(長野市) (20)
堀切㋑から見た南へ走る横堀㋐。堀中の土塁で仕切られた二重堀切であった可能性があるという。

窪寺城(長野市) (21)
主郭手前は二連続の堀切だったようだが、耕作化により断定は出来ない。


【城跡】

比高は国道より90mほどであるが、ここからは善光寺平は一望に出来る。北東1.5kmに小柴見城があり、旭城(朝日山城)、善光寺の横山城も視野に入る。

窪寺城(長野市) (25)
郭1(35×19)。藪に阻まれて夏場にこの場所へ辿り着く事は出来ないと思われる。

自然地形を生かした㋐の堀は、西側の様子からすると、二重の堀であった可能性がある。主郭1は、35×19ほどの長方形をしていて、これを取り巻いて「1‘」と2の曲輪があり、これらが主郭部を形成している。1と2の間にはことによったら堀があったかもしれない。

窪寺城(長野市) (27)
長野市内を一望出来る抜群のロケーションだ。

窪寺城(長野市) (28)
南西に展開する「郭1と「郭1‘」の関係。

㋑の堀は大きく2側の城壁は10mになる。3は2段になっていて、その北東下に4と5の曲輪があったと思われる。この2郭の間の道は重要な登城路になろうう。東側の斜面に幅1mにも満たない細長い削平地があるが、これは往古のものであるかどうかハッキリしない。

また、正覚院との間の平地も気になるが、一帯は全山耕作され、果樹園等に使われているために、下部のものは城域に含まれるか不明。
畑に物された割りには、旧態がよく残ったほうである。館の北西に窪寺氏の菩提寺西雲寺、北東に諏訪社がある。

窪寺城(長野市) (31)
南側の腰郭。

窪寺城(長野市) (32)
北西斜面の「あれ」(自然地形の沢の事)

【らんまるのお勧め見学ポイント】

連郭式の何の変哲も無い城のようだが、この城の特徴は自然地形を利用した堀切㋐だと思う。

特に北西の沢に二重堀を収斂させる加工度の高さは戦国時代の流れを汲むものであろうか。

窪寺城(長野市) (37)
耕作地化により堀切㋐の二重堀における土塁は消滅したが、その痕跡を北西端に見る事が出来る。

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堀切㋐からみた主郭の切岸周辺。

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堀切㋐から見た堀切㋑。

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正覚院(しょうかくいん)方面に続く堀切㋐。

大塔合戦の頃から使用された割りには進歩していない在地土豪の城であり、城攻めに長けた武田軍の攻撃の前にはひとたまりも無く落城したと思われる。

最近は城跡にある畑や果樹園が耕作放棄され、だいぶ荒れてしまい主郭付近は藪化が酷いようだ。
スッキリと見学したい方は雪解けの春先に訪れるのがお勧めだ。

窪寺城(長野市) (56)
登り口付近から見た窪寺城(東側から)

≪窪寺城≫ (くぼでらじょう、城山)

標高:448.8m 比高:90m
築城年代:不明
築城・居住者:窪寺氏
場所:長野市安茂里
攻城日:2014年3月8日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:5分 駐車場:無し(町内は狭いので路駐は厳禁、お寺の駐車場を借りましょう)
見どころ:堀切、郭、ロケーション
注意事項:耕作地なので荒らさない事。夏は藪が酷いのでお勧め出来ない。
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編 宮坂武男著」
付近の城址:小市館(小田切館)、吉窪城、小松原城、小柴見城など

窪寺城(長野市) (60)
国道19号線から見た遠景(ズーム3倍)




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Posted on 2014/03/09 Sun. 07:28 [edit]

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