らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0322

羽場城 (上伊那郡辰野町伊那富)  

◆戦国末期の様式を残す未完に終わった巨大な城館◆

大雪の為に失われた山城トップシーズンの一ヶ月を挽回するために三連休を取った。

まだまだ居座るつもりの冬将軍の吐息のような時折り粉雪の舞う大門峠を越え、茅野市を通過する。

「懐かしいなあ」

茅野市~諏訪市の湖南にかけては、城跡が多く点在し二年前には毎月のように通った・・が飽きた・・(汗)

大熊城 (23)
諏訪湖南の大熊城から見た茅野市方面。

飽きた場所は捨て置く方針なので(笑)、県道16号線に入り県道50号線で有賀峠を越えて辰野町へ。

今回ご紹介するのは、知名度はメジャー級だが評価はマイナークラスだという辰野町にある羽場城(はばじょう)。

羽場城(辰野町) (56)
踏切を渡った正面の手長神社の境内とその周辺が城跡。南側からは平城にしか見えないが平山城の部類になるという。

【立地】

JR飯田線の羽場駅から北を見ると、鬱蒼とした森が目に入る。その森を中心に約三ヘクタールにわたる羽場城の遺構が残されている。
森のすぐ北は、南流する天竜川が東方に直角に流れを変える深い淵で、淵の南・西岸は流れに洗われ、切り立った岸となっている。この淵を羽場淵と呼び、羽場城館の主であった柴氏にまつわる河童の駒引き伝説(「小平物語」)が残されている。

羽場城(辰野町) (28)
主郭背後から見た羽場淵と天竜川。川が直角に折れる河岸段丘上への立地条件は伊那大島城と全く同じ。

羽場城はいわゆる平山城で、南から見ると堀と土塁で守られた平城であるが、北からは天竜川と高い崖に守られた山城の姿である。平山城は、段丘の発達した伊那谷に多く見られ、羽場城はそれがもっとも洗練された末期の姿といわれ、城というより館としての地割を今に伝えている。

羽場城見取図①


羽場城(辰野町) (23)
主郭跡に鎮座する手長神社の本殿。ここから南の手長の森にあった神社が明治43年に移転されたのだという。

【城主・城歴】

「長野県町村誌」では「天文年中小笠原十郎居住すと伝あり」と伝えているが、「小平物語」には、近世初頭に「上伊那十三騎」の一騎として活躍した地侍、柴氏の居住を記している。この城館は未完に終わったと伝えられており、戦国の終わった時期、主郭部のみを柴氏が居館としたものであろうか。柴氏は後に保科正之の移封に従って出羽山形に移った。

羽場城の西北には、北の沢を隔てて古城と呼ばれる舌状の台地があり、小笠原長時旗下の草間肥前居住の跡と伝えている。

羽場城(辰野町) (25)
現在の鳥居あたりには左右の土塁を連結するように大手の正門(木戸)があったと思われる。

羽場城(辰野町) (19)
西側の土塁は鉄道の堀割りで先端が破壊されてしまい、スロープのような傾斜がついてしまった。

神社脇には羽場高砂会の説明板もある。それによると、松尾小笠原貞宗の四男重次郎が天文年間に築城し、武田軍の伊那侵攻に際しては小笠原長時が草間肥前守時信を城代として配備し防戦したという。
その後、武田氏により制圧されると柴氏が入ったが甲州征伐の際に織田軍に攻められ落城したという。

「箕輪記」によれば、柴氏は武田氏による藤沢城攻めの際に羽場在住の伊那籠城衆として名前が見える。草間肥前との関わりは不明である。

羽場古城(道路と鉄道の改修により現在は壊滅した)では手狭になった柴氏が、古城の南側に新たに縄張りをしたというのが事実のようだが、どうであろうか。

羽場城(辰野町) (43)
西側の土塁の上はその広さ故にゲートボールのコースとなっている。(東側も設置されているが・・汗)

羽場城(辰野町) (74)
東側の堀切。上巾20m、深さ6mは圧巻だ。

【城跡】

主郭は南北、東西とも約50mの方形で、北側は羽場淵の崖を背後の要害とし、田の三方は土塁と空堀を設けている。土塁と空堀は南側の中央が切れており、ここに大手の木戸があったと思われる。

羽場城(辰野町) (14)
東側の堀底から南方面。ここにもマレットのコースがあるが朽ち果てている。もう撤去したら?(笑)

主郭東側の土塁と空堀は往時の姿をよく残し得いる。土塁は主郭面から3mほどの高さに盛られ、その外側の堀は3mほど掘りこまれているので、堀底から土塁の頂部までは約6mの高さ、堀の幅も20m以上に達している。

羽場城(辰野町) (17)
L字に曲がり主郭の虎口へ続く堀。遺構がしっかり残っていて嬉しくなる。

空堀の東に隣接して、南北70m・東西35mほどの方形の郭が設けられ、現在は桜が植えられ、公園となっている。北東の隅には10×10の方形の櫓台と思われる土壇があり、村内から集められた祝殿の祠が並んでいる。

羽場城(辰野町) (75)
二の郭の面影を残す主郭の東側の公園。

羽場城(辰野町) (7)
方形の櫓台。ここで願い事すれば全て叶いそうな勢いで祠が並んでいる(笑)

羽場城(辰野町) (76)
城域の東境だったことを示す土塁。防御手法の「折れ」が作られているのが分かる。

主郭西側も土塁・空堀が東側とほぼ対称に設けられている。しかし残念な事に、今はここに飯田線の鉄道敷が通り、その堀割りによって大きく削られてしまっている。

羽場城(辰野町) (35)
堀底の土橋から南側を見る。飯田線が通らなければ立派なL字の堀が見れたはず。

羽場城(辰野町) (40)
三角形に残った「2の郭」の一部。


さらに、主郭と東西の郭を囲み、南北140m東西220mにわたる大きな範囲に土塁が巡っている。この外土塁は住宅と畑の削平によってかなり破壊が進み、今は僅かな高まりによって確認出来るのみである。しかし道山と呼ばれる無量寿庵跡地付近には、二箇所の小山が残されていて、築城当時の外土塁の規模を知ることが出来る。
また、地元では、土塁南側の小道を堀跡と伝えている。

羽場城(辰野町) (57)
「堂山の十月桜」のある場所が二の郭の外土塁跡。来月にはきれいな桜が咲くらしい。(本郭の南西)

羽場城(辰野町) (65)
10m西の、もう一か所の外土塁には新築の住宅が建ってしまい破壊されたが、奥に続く土塁は辛うじて残っていた。

羽場城(辰野町) (66)
南東に残る土塁跡。


今回、辰野町で一番見たかった城がこの羽場城でした。

「こんなちっぽけな、しかも未完で破壊されてしまった城館に、何故?」と思われる方も多いのではないでしょうか。

実は、回字形の城館跡って南信濃ではほとんど見られない(ってか残っていない?)ので、貴重な遺構だと思うんです。

この場所隅々まで見て1時間も彷徨って「あっ、真田町にある真田居館跡(お屋敷)に似てるのか?」って。

まあ、あそこは単郭なんだけど(笑)、堀穿って背後は川で回字形の城館・・背水の陣か・・(汗)

南信濃へ行ったら、是非訪ねて欲しいらんまるお勧めの場所です。

羽場城(辰野町) (53)
未完に終わった二の郭を電車が走る光景もありかと・・・(笑)

≪羽場城≫ (はばじょう)

標高:720m 比高:18m
築城年代:不明
築城・居住者:柴氏
場所:上伊那郡辰野町伊那富羽場
攻城日:2014年3月21日 
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:無し(邪魔にならない場所へ路駐)
見どころ:全部。(隅から隅まで見て欲しい)
注意事項:二の郭は民家が多いので撮影注意。線路で遊ばない事(笑)
参考文献:「信濃の山城と館⑤上伊那編 宮坂武男著」「定本 伊那谷の城」(三浦孝美氏の記述一部引用)
付近の城址:竜ヶ崎城、荒神山陣場、天白の城など

羽場城(辰野町) (80)
天竜川を渡った北側から見た羽場城。こっちから見ると平山城。奥の舌状台地には古城跡があったという。


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Posted on 2014/03/22 Sat. 13:31 [edit]

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