らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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南信州最果て「下條氏VS関氏 仁義なき戦いの山城巡り」弾丸ツアー  

◆城の新築・移転を繰り返し、領民の恨みが元で滅亡した関一族◆

残念ながら戦国時代の下伊那地方(南信濃)は早くから武田氏の領地に組み込まれたせいか、この地域の城跡や時代背景について語られる事が少ない。

反逆を繰り返し蹂躙された佐久地方、甲越戦争の舞台で脚光を浴びた北信濃、守護の小笠原と周辺豪族の抵抗が空しく終わった中信濃。WEBサイトを見ても南信州は登場する機会が無い。

「ならば、我ら信濃先方衆が案内せねばなるまい」・・・このことであった。

今回「ていぴす」殿に同行頂き取材したのは、下伊那郡下條村、そしてお隣の阿南町(あなんちょう)。

吉岡城(下條村) (42)
吉岡城を貫通し阿南町へと通じる国道151号線。この辺境の地においても領土の争奪戦が繰り広げられたのだ。


【吉岡城】

室町時代初期に甲斐源氏小笠原の庶流が下條に移り、下條氏を称したのが始まりとされる。(当時の居城は大沢城)
五代目で絶家となるも、信濃守護小笠原政康の子が後を継ぎ居城を吉岡に移しこの地に築城したと伝わる。

吉岡城(下條村) (15)
主郭背後の大堀切。典型的な河岸段丘の城だが、周囲を総構えにしていた痕跡が残る。

松尾小笠原家との確執に加え、新野の新興勢力の関氏との抗争をやり過ごした下條氏は、戦国時代をくぐり抜けるゴール直前で、徳川家康の謀略による家臣の虚偽の直訴で改易されてしまった。

【大沢城】

初代~五代目まで下條氏の本城だった城で、現在は国の重要文化財に指定されている古城八幡社(ふるじょうはちまんしゃ)が鎮座している。

大沢城(阿南町) (7)
最近は参拝者も少ないようで、神社跡は廃れているのが残念。


ここでは竹藪の中にある堀切を探して難儀する(汗)神罰が当たりそうだったが、無事発見(笑)
下條氏の居館一体型の城館を見る事が出来る貴重な遺構が残っている。


【日差館】

関氏の初代遠江守盛春が居館を構えた場所とされる。伊勢平氏の末流と云われた関氏は、新野の地に辿り着きこの地の領主となり掻き揚げの居館を築き、日差城(ひざしじょう)と名付けたと云う。

日差館(阿南町) (3)
現在の日差館跡。耕地整理により遺構は残っていない。明治初期には水田の中に石垣の遺構が確認出来たと云わる。


【新野八幡城】

関氏三代目の清春の弟で、四代目春仲の後見人として関氏を支えた関右馬充春光の居館跡。この山麓は八幡原と呼ばれる為に八幡殿とも云われたと伝わる。

新野八幡城(阿南町) (7)
この日、偶然にも関氏の葬儀が執り行われていた(汗)

寺院跡=居館跡というのは慎重な判断が必要だが、この場所は改変があったにせよ、城館があったと思われる。


【八幡城】

関春仲が大永五年に下條氏と戦いこれに勝利すると、下條氏の領地である早稲田(わせだ)に進出を図り築城したという。
急ごしらえの砦だったようで、現地を見てもかなり雑な作りである。

八幡城(阿南町) (11)
堀切に残る石積み。主郭周辺にも石積みの跡が残るが、縄張りは単純で中途半端だった。

矢草城の築城工事が終わるまでの臨時の砦だったようで、最低の工事で済ませたような感じを受けた。


【矢草城】

関春仲が上田城に移るまでの約十年居城した城で、その後は一族の金田盛形が守ったと云う。城というよりは山の上の城館という感じで、関氏が城を立て続けに作った割りには完成度が低い城である。
急激な領土拡大に対して軍事は追いつかず、築城に関する知識や技術も極めて低く、無意味に試行錯誤を繰り返した事が
人心の離反を招いたと思われる。

矢草城(阿南町) (62)
矢草城の堀切。定本伊那谷の城では訪問困難としているが、遺構はキチンと確認出来るレベルで問題無い。


【上田城】

春仲が新たに築城し、矢草城から移転し本城としたのが上田城である。
縄張は矢草城に似ているが、急造したが為に雑な作りで全く酷いものだ。築城にあたり領民を酷使し、その怨嗟に耐えられず三年で退去したというが、真実であろう。

上田城(阿南町) (8)
中途半端な造成で終わった主郭。縄張図を見ても防御の意図など感じられない。

領民の反発で下條氏との境界線であった上田城のある早稲田を退去し、和知野川流域まで防御ラインを下げた関春仲は、息子の盛永に家督を譲るが、遺伝子はそのまま受け継がれ、彼はまたしても和知野集落に権現城を築くという暴挙を行う。

【権現城】

今回の取材ツアーの最大の目的は、関氏最後の居城であった権現城の調査だったが、先月の大雪で通常ルートが土砂崩れで通行止めとなり、それでも執念で迂回路の林道を2時間近くも彷徨うが辿り着く事は出来ず断念した・・・(汗)


まあ、そのうち今回取材した城砦群は掲載したいと思います。

上田市から往復500km・・(汗) 日帰りでは限界の距離かと・・・。 県外からお越し頂くツアーの皆さんの気苦労は何となく分かったような気もしますが・・・(笑)

八幡城(阿南町) (48)
上田城から見た八幡城、矢草城。

山城巡りは、お金のかからない趣味だという方もあるが、燃料代と高速道路料金は馬鹿にならないものである(汗)

今回ご紹介した城は、そのうちアップしますんで、あんまり期待しないでお待ち下さいませ・・(笑)







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Posted on 2014/03/25 Tue. 23:33 [edit]

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