らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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城山城 (須坂市仁礼)   

◆街道を見張る物見砦が拡張された痕跡の残る貴重な遺構◆

最近、ブログの作風が随分ふざけた砕けた事に疑義を持つ方も多くいらっしゃるのではないかと思う。

中世城郭の聖域に面白半分、ふざけ半分なヤツが乱入している事態を忌々しく思っている方のお怒りも承知の上の愚行である。

でもネ、小生は立派な石垣や櫓、巨大な水堀に代表される近世城郭ばかりがモテハヤサレルお城ブームに対抗したい。

「土の城って、案外面白いのかもしれない・・・」 ファンの獲得は既成概念の打破にヒントがあると思っている(笑)


【山城巡りの店じまいへのご褒美は豪華絢爛な桜の競演】

枡形城(高山村) (157)
特別に花見の席など設けなくとも、山城訪問のご褒美は満開の桜が毎年出迎えてくれる。

枡形城(高山村) (158)
まあね、桜の気持ちを代弁してみましたあー(高山村枡形城の八幡神社にて2014.4.27撮影)

今回ご紹介するのは、秘境温泉として全国区の知名度を誇る須坂市仁礼の仙仁温泉(せにおんせん)近くにある城山城。
※この温泉、現在では予約待ち1年らしい(汗)。有名になる前のガキの頃、洞窟の温泉で泳いだ記憶がある。

城山城(須坂市仙仁) (1)
僧行基(668~749)の開基と伝わる慈眼院妙徳山高顕寺。寺の墓地の南側の尾根に城跡がある。

【立地】

鮎川の左岸の妙徳山から東へ派生した尾根の先端部に城山城(じょうやまじょう)がある。ここは仁礼地区(にれいちく)の谷へ張り出した形になるため、谷筋の見晴らしは良く、南方1.4kmには仙仁城があり、谷口の米子の蓑堂山が視界に入る。

城山城見取図①(須坂市仁礼)
連郭式に堀三本を穿った単純な縄張りである。そこが素敵なのである(笑)

城山城(須坂市仙仁) (6)
観音堂から見上げた城跡。この場所からの比高差約50m。墓地の脇を上がり左側の尾根筋を5分も登ると城域になる。

城山城(須坂市仙仁) (62)
大手筋を段々畑段付きの削平地で防御するスタイルはこの地域の城のトレンドであろう。

【城主・城歴】

ハッキリした史実は不明だが、もともとは豪族井上氏の勢力下にあった地域で、武田氏進出に伴いその統治下に組み込まれると、井上系仁礼の集団だった地侍50人が須田少輔支配下として500貫文の地を与えられている。
その仁礼衆に関係のある城と考えられている。

城山城(須坂市仙仁) (16)
高顕寺側の沢の傾斜が緩いので、主郭の土塁は西側へのL字となっている。

城山城(須坂市仙仁) (19)
南側から見た郭1。段差が作られている。

天正十年(1582)五月、武田が滅亡すると、上杉方の直江兼続は織田の新領主森長可に服属しない須坂地方の地侍集団の十七騎に持ち城の築城を許可している。
その中の一人が大峽覚兵(おおばかくべえ)でこの人の持ち城であるとされる。

その後本能寺の変で織田軍が川中島四郡から撤収すると、上杉景勝が川中島四郡を接収し、この地方の地侍にも領土を安堵したといい、その時にも大峽氏の名が見えるという。

城山城(須坂市仙仁) (25)
上巾11mの薬研掘の堀切㋐。

城山城(須坂市仙仁) (27)
堀の巾を写真で表現するのは難しい。郭2から堀切㋐を隔てた郭①背後の土塁。

【城跡】

高顕寺の裏山で寺の場所が居館跡ではないかと推察される。城跡は山頂ではなく、下り坂になった尾根状にあり、三条の堀切で尾根を切断し、そこに主要な曲輪四段がある。

通常、最高位の場所にある郭が主郭という定義なのだが、今回の城は二重堀切とL字土塁に守られた郭1が主郭と想定される。大手筋の切岸と段郭の防御の厳重さも考慮にいれるべきであろうか。

城山城(須坂市仙仁) (28)
上巾4mの堀切㋑。かなり埋没している。

城山城(須坂市仙仁) (30)
そんな会話するか!!(笑)

当初は尾根の先端に簡単な見張用の砦を築いた程度であったと思われ、戦国時代が風雲の急を告げると共に拡張されていったと思われる。

コンパクトながら、少数の兵でも充分に機能するように工夫された堅固な縄張りである。

城山城(須坂市仙仁) (37)
南側から見た長方形の郭3。

城山城(須坂市仙仁) (39)
長大な竪掘となり斜面を分割する堀切㋒。

城山城(須坂市仙仁) (53)
堀切㋒の東側。鮎川に連なる斜面にも念を入れている。

この砦、良く観察して見ると背後の敵というよりも、大手筋からの攻撃で陥落した主郭からの撤収に備えた造りをしているのだ。

つまり、防御の指向性は北のみ。背後に回り込まれたら全滅を覚悟している。少人数の守る砦とは、こうあるべきという見本だ。

城山城(須坂市仙仁) (48)
最終の造成地である郭4。

城山城(須坂市仙仁) (45)
郭4の尾根先には何の防御構造も無い(汗)

城山城(須坂市仙仁) (59)

小豪族の意地が感じられる砦である。


≪城山城≫ (じょうやまじょう 瀬之脇城)

標高:692m 比高:100m (高顕寺門前より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:須坂市仁礼大峽
攻城日:2014年4月13日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:5分 駐車場:高顕寺駐車場借用
見どころ:堀切、土塁など
注意事項:墓地なのでルールは守りましょう。
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井編⑧ 宮坂武男著」
付近の城址:仙仁城、源太入城、米子城、木曾殿城など

城山城(須坂市仙仁) (65)
高顕寺入口の参道からの遠景。



城山城遠景①(須坂市仁礼)
須坂から菅平高原を越える大笹街道(国道406号線)の南側より見た城山城跡。街道監視にはもってこいの立地である。







Posted on 2014/04/28 Mon. 23:55 [edit]

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