らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0413

福島正則居館跡 (上水内郡高山村高井)  

◆左衛門大夫正則が晩年を過ごした居館◆

桜前線の急速な北上に伴い、信州上田城で開催されている「千本桜祭り」も今週がピークとなりそうだ。
毎年のことながら周辺の駐車場がメッチャ狭いので、アリオ上田当たりに捨て置くのが懸命かもしれない(汗)

花見なんぞ遠い昔に卒業した(?)小生は、昨日は北信濃を代表するメジャー級の旭山城に籠城し、本日は須坂市と高山村の思いっきりマイナーな城を各個撃破という過密スケジュール。急がないと山城のシーズンは終了するしネ(汗)

今回ご紹介するのは、安芸広島49万石から1/10の石高に改易され北信濃のへき地高山村でその激動の人生を終えたメジャー武将の福島左衛門大夫正則の居館跡。

福島正則居館跡(高山村) (6)
福島正則というネームバリューだけで僅か数年しか居住しなかった場所も「県指定史跡」になるらしい・・(笑)


【立地】

雨引城(明覚山958m)の北麓、堀之内集落の県道沿いに「福島城」と呼ばれる福島正則の居館跡がある。大岩系須田氏の本城だった大岩城は南南西1kmの山上で、相対する月生城(つきおいじょう)は南南東1.2kmである。ここの近くに越後から川中島を結ぶ「謙信道」と呼ばれる間道があり、それらに接する交通上の要衝である。

福島正則居館跡(高山村) (8)
標柱のある県道54号線の火の見鉄塔を南に折れるとカッコイイ石垣に見とれる。

残念ながら、この立派な石垣は安政二年(1855)の工事で作られたものだという。

また、福島正則という武将が何者で何故この場所に改易された経緯について知らない方は、小生が2009年に掲載した奇跡の秀作福島正則終焉の地をご参照願いたい・・(爆)

福島正則居館跡 001
久々の航空写真落書きシリーズ。yahooJapanの地図データの盗用と云われているので異議申し立て中である(汗)

【居館跡】

福島正則が移住し居館とする前には、近くの大岩城や月生城の関係から何らかの屋敷地などがあったと思われる。
元和二年(1616)に幕府直轄領となった時に、井上新左衛門がここで高井野陣屋として政務を執ったようである。

福島正則居館跡(高山村) (9)
居館跡は高井寺の敷地となっている。

なので、福島正則氏はそこを改修して入った事になり、福島氏の後、再び幕府領として高井村陣屋が置かれたが、元文元年(1740)に陣屋が廃され、高井寺が移って来た事になる。

福島正則居館跡(高山村) (10)
往時の居館の門もこの程度の簡単なものであったのだろうか?

福島正則居館跡(高山村) (18)
高井寺。敷地は103.5m×72mの規模だったと伝わる。(高井寺の敷地を撮影)

本堂裏に僅かに土塁の跡が残っているが、明治時代の絵図には北東の隅に結構残存している様子が描かれているという。

福島正則居館跡(高山村) (24)
削除された土塁跡と奥に残る土塁の欠損。

福島正則居館跡(高山村) (25)
奇跡的に一ヶ所残る土塁跡。残念ながら私有地にあるので間近に見る事は出来ない。

福島正則は、高井村の居館で政務を執り領内の検地を実施するとともに、高井野原の用水堤を治水や新田開発に力を注いだと云う。

世間のイメージでは「戦バカ」的な扱いが多いが、地道な内政面で取り上げられる事は少なく残念である。

ひたすら徳川に恭順し続けたのに、徳川秀忠の福島家に対する扱いは余りに惨過ぎる・・(悲)

福島正則居館跡(高山村) (12)
この道路は堀だったんだろうなあー。

≪福島正則 居館跡≫ (ふくしままさのりきょかんあと)

標高:460m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上水内郡高山村高井
攻城日:2014年4月13日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:-分 駐車場:近くの公共施設を借用(路駐厳禁)
見どころ:土塁、石垣
注意事項:私有地なのでお寺と参道以外は無断侵入不可。
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井編⑧ 宮坂武男著」
付近の城址:城山城、真山城、月生城、雨引城など

福島正則居館跡(高山村) (4)
対岸にある城山城から見た居館跡。

スポンサーサイト

Posted on 2014/04/13 Sun. 22:33 [edit]

CM: 4
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top