らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0510

安源寺城 (中野市安源寺)  

◆未完に終わった高梨頼親の館城?◆

その城の履歴については、「行ってから調べるか、調べてから行くのか・・・・」難しい問題である。

高梨氏館跡 (3)
高梨氏が本拠とした中野小館(なかのおたて 通称:高梨館 県指定史跡)

前知識無しで現地を見て回ると、遺構から情報を読み取るしかないので、純粋に軍事構築物としての価値と周辺の城砦群や本拠地との比較がメインになる。

ある程度下調べをしてから行くと、城主・城歴や時代背景が予め分かっているのでチャンと見れるような気もするが、果たしてその情報(城の履歴等)が合っているとは断定出来ないケースが多いので、思い込みで見てしまう傾向がある。

たかだか600程度の城攻めキャリアしかない小生が云うのもなんですが、「土の城」を楽しむなら

「予備知識や事前学習など不要、だが現地の遺構は隅々までじっくり見るべし」

これに尽きる・・(笑)

高梨氏館跡 (6)
中野小館の土塁は築地塀の上に盛土された特殊構造。

なので、小生のブログに書いてある「城主・城歴」など読まない方がイイ・・(汗)

その城に対する評価は人それぞれでいいと思うし、だからこの趣味は面白いのだ。

今回ご紹介するのは、武田氏滅亡後にやっと帰れた地元なのに高梨家代々の居城である中野小館に戻れなかった「ツイてない後継者の高梨頼親」が仕方なく築城したと伝わる安源寺城。(中野小館は、またそのうちに)

安源寺城(中野市) (56)
西側から見た安源寺城。


【立地】

千曲川の右岸、中野平の西部の高丘丘陵に立地する。ここからの眺望は優れていて、中野地方はもちろん、千曲川沿岸地帯が一望できるロケーションにある。


安源寺城見取図①(中野市)
横堀で囲まれた巨大な城館は戦国末期の設計と見ても良いだろう。

安源寺城(中野市) (2)
高丘配水池の設置で改変された郭5.遥か向こう側に高梨氏代々の本拠地である中野小館と鴨ヶ岳城が見える。

安源寺城(中野市) (5)
堀切が入る予定だったと思われる郭4と郭3の境。土塁があるので堀も掘られたのだと思うが・・・。


【城主・城歴】

武田軍の北信濃侵攻以前より高梨一族の砦があり、永禄二年(1559)に武田軍に攻められ落城したとの伝承もあるがハッキリしたことはわからない。

安源寺が記録に登場するのは、織田信長が本能寺の変に斃れた天正十年六月から二ヶ月後の八月六日で、九死に一生を得た上杉景勝が武田遺領の川中島四郡の奪取に成功し、北信濃の諸将に旧領安堵の書状を発行したときである。

安源寺城(中野市) (6)
郭3の西側には二箇所の平虎口(ひらこぐち)が開いている。

この時、上杉家の家臣団に組み入れられていた諸豪族(村上氏、芋川氏、大岩須田氏、島津氏など)の旧領安堵と、武田方から上杉に降った諸豪族(夜交氏、市河氏、屋代氏、小島氏、尾崎氏など)の本領安堵などを行う。
しかし、謙信公の叔父の高梨政頼の子である頼親は本領に復帰出来なかった。

安源寺城(中野市) (12)
かつての果樹園跡なので、きれいに整地されてます。思わず本郭と間違えそうです・・・(汗)

高梨氏配下の土豪だった小島氏は武田の侵攻と同時に高梨氏を中野小館より駆逐し、その功績として中野領と中野小館を信玄より与えられた。武田滅亡後はいち早く織田に恭順を誓い所領を安堵され、天正壬午の乱では景勝支持を表明する変わり身の早さで家名を存続させている。

安源寺城(中野市) (13)
郭1と郭2の間には素晴らしい箱掘(はこぼり)の遺構が残る。

安源寺城(中野市) (14)
郭も堀も巨大な作りであり、中世初期の要害城の遺構とは全く違うのが分かる。

「信濃高梨一族」(志村平治著 平成19年6月 歴研)によれば、天正四年(1576)に高梨政頼が越後で客死すると、嫡子の喜三郎が跡を継ぐが、謙信死後の跡目争いで勃発した御館の乱(天正六年)において喜三郎は日和見的態度を取り、天正九年には織田信長の誘いに内通の疑いありとして景勝に謀殺されたという。

高梨宗家は、喜三郎の弟の頼親が跡を継いだが、喜三郎同様に、父ほどの聡明さは持ち合わせていなかったようだ。

安源寺城(中野市) (19)
雑木林と化している郭1.

安源寺城(中野市) (25)
中野小館のコピーを作ろうとしたらしい。主郭(郭1)は土塁と堀が全周回している。

安源寺城(中野市) (26)
土塁から見下ろした堀切㋑。

本来であれば高梨家は喜三郎で改易断絶してもおかしくないのだが、謙信公の叔父という家柄もあり景勝の配慮で存続を許されたのだろう。

上杉家に対する過去の功績ということで、天正十年(182)特別に旧本領の内の安源寺で二千貫文を与えらた。(小島は千五百貫文)
だが、頼親はそうした事情に疎かったようで、先祖代々の土地と居館だったことを理由に中野の地への往還を景勝に願い出たようだが却下されている。

安源寺城(中野市) (32)
しっかりした遺構が確認出来るのは堀切㋑あたりまでだろうか・・。

仕方なく古い安源寺の方形居館に居を移した頼親は、引き続き中野小館への帰還に執念を燃やす一方で、安源寺の丘陵に館城の築城を始める。これが安源寺城だという。

安源寺城(中野市) (36)
郭6。削平がイマイチなのは途中で工事が放棄されたせいだろう。

高梨頼親(よりちか)がどういう意図を持ってこの城を築城したのかは現地を見ると分かる。
上杉景勝は、この時期に信濃の土豪が地元の要害を修復したり新設するのを禁じている。自分の故郷の防衛に異様な執念を燃やす信濃の土豪を厄介に思っていたのである。

先祖代々の土地に往還出来なかった頼親の執念たるや、景勝の想像を超えていたと思われる(汗)

安源寺城(中野市) (37)
堀切㋒。

安源寺城(中野市) (39)

その執念で、頼親は最終的に天正十八年(1590)、中野小館の小島氏に居館の明け渡しを承諾させて、上杉景勝の承諾を得る事に成功している。

館城といっても八年もかかるような築城では無いので、意図的に中断または放棄した可能性はあるだろう。

安源寺城(中野市) (46)
中途半端で終了している郭7と8。

その後、高梨家はあっけなく改易される。

その辺のエピソードはまた今度にしましょうか・・(笑)

安源寺城(中野市) (47)
とっても不気味だった雑木林(汗)

安源寺城(中野市) (49)
城域の周囲は横堀で囲む工事が進行していた・・・。


≪安源寺城≫ (あんげんじじょう 小内城・城山)

標高:410m 比高:70m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:中野市安源寺
攻城日:2014年5月5日 
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:10分 駐車場:無し
見どころ:堀切、郭、
注意事項:夏は藪が酷いかも
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井編⑧ 2013年 宮坂武男著」、「信濃高梨一族」(平成19年 志村平治著)


鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (77)
鴨ヶ岳城から見た安源寺城。さあ、助けに行こうか(笑)




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Posted on 2014/05/10 Sat. 23:29 [edit]

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