らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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矢留めでござる  

◆北信濃といえども、伸びる新緑に矢尽き刀折れる◆

例年だと5月中旬ぐらいまでは何とか北限の城を攻めていたが、残念ながら今年は一昨日をもって「矢留め」(停戦)と相成り申した。

場所によっては既に1mを超す藪に覆われ、藪漕ぎ必須ばかりか新緑による視界不良、それにもまして何が出てくるかお楽しみの笹藪三昧では意気消沈というものであろう・・(笑)

では、山城オフシーズン手前に攻め落とした最後の「悪あがき」の城と館をかいつまんでご紹介しよう。


【枡形城】(上高井郡高山村) 4月27日 

間山峠の南に位置し謙信道を監視する位置にある。高梨氏配下の山田氏の居城と伝わる。独立峰に近い地形の城で、背後の切岸は圧巻。堀切など不要の天然の要害だ。外周する石積みも見どころである。

枡形城(高山村) (50)
主郭。

枡形城(高山村) (59)
主郭背後の切岸。この角度なら堀切は不要であろう。80m下の三連続の堀切を見る為に下りてみたが後悔した(笑)


【福島居館跡】(須坂市) 4月27日

二派に分かれたうちの須田郷須田氏が新たに築城したという居館城。長沼城と海津城の中間地点にあり、武田軍が築城に関与したとも云われるが、城跡は須田氏の改易で廃城となりその後壊滅。現在は標柱のみ。

福島城(須坂市) (14)
江戸時代には大笹街道の起点となった福島宿の外れに標柱が立つ。戦国時代も上州との重要な間道だった。

福島城(須坂市) (12)
現在の居館跡の土地所有者にお話を伺いましたよ。素晴らしいロケーションです。


【山田高梨居館跡】(上高井郡高山村) 4月27日

高梨家の分家で枡形城(山田城)を中心にこの辺りを領有していたが、高朝の代の時に高野山へ参拝していた留守に本家の高遠政盛が攻め込み奪取。高朝は戻る事が出来ずに小県郡に落ち延びたと云う。

山田高梨居館(高山村) (4)
居館跡の標柱。


【大岩須田氏居館】(須坂市) 4月27日

大岩須田氏の居館跡と伝わる連生寺とその周辺。背後の大岩城のかつての大手道はここからだったというが、現在は道も不明瞭で崖に阻まれて登攀困難らしい。
当日は、新車のお祓い儀式の最中でお寺に入る事は出来ずウロウロして帰った・・(笑)

大岩須田居館(須坂市) (1)
居館跡と伝わる連生寺の参道から見た大岩城。ここから登ろうという気にはなりませんネ・・(汗)


【中山城】(上田市武石) 4月29日(再訪)

大門峠と和田峠へ通じる依田川沿いの依田窪(よだくぼ)地域には、信玄が宿城とした長窪城だけでなく、個性的な城の宝庫である。特に上田市武石(たけし)には五連続の堀切が見事な鳥屋城と、土の城の基本と迫力が学べる中山城があり、必見だ。

中山城2(上田市上武石) (45)
主郭背後の二重堀切は長さ・深さ・加工度ともに一級品であろう。

中山城2(上田市上武石) (75)
土留めから進化していった石積み。


【鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城】(中野市) 5月3日

旧式の山城(鴨ヶ岳城)に、籠城用の居館スペース(鎌ヶ岳城)を増築した特殊な構造である。鎌ヶ岳の巨大な堀切は石垣を多用しており、二十端城(つつはたじょう)とその周辺における城の堀切に良く似ている。
京都の文化人との交流を盛んに実施した高梨氏は、軍事的な情報の収集にも熱心だったのだろう。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (65)
主郭が見通せないように背後に高土塁を迫り上げて思いっきり堀切を刻む。この荒っぽさ、イイねえ(笑)

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (68)
郭2から見た北信五岳と周辺の諸城。このロケーションを見ると苦労も吹き飛ぶと云う単純思考・・(爆)

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (77)
善光寺平から怒涛の如く押し寄せる武田軍がここからも見えたのだろう。

しかし、我ながら地形と山を見るだけでよくもまあ、これだけの城や山の名が掌握出来たものだと感心する。
前世は戦国時代の斥候でもやってたんだろうか・・(汗)

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (127)
熊笹が腰の高さまで生い茂る鎌ヶ岳城の本郭。ここまで見学に来る人は希少価値の高いビョー人の部類だろう。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (152)
上巾15mの石積みを伴う巨大な堀切。この堀切りだけでも見学する価値はある。


【箱山城】 5月3日

鴨ヶ岳城の北側の尾根の鞍部は山ノ内町に通じる箱山峠とよばれる大事な間道で、ここの尾根の北側には箱山城が築かれている。峠からの登路はかなりキツイが、途中補助ロープなども張ってあり付近の住民の皆さんが整備しているらしい。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (212)
表向きは合議制だが、トップダウンのようである・・

箱山城(中野市・山ノ内町) (37)
箱山城の主郭。心臓破りの急坂を喘ぎながらようやく到達。

箱山城(中野市・山ノ内町) (69)
縄張の古さは否めないが、峠と周辺の城の監視砦としては絶好の位置にある。


【二十端城・滝ノ入城・雁田大城・小城】 5月5日

最近、信濃先方衆の同士である「ていぴす」殿が攻め入り、縦走コースタイム4時間30分だったと聞き及び、無謀にも同じコースにチャレンジ。やはり道草し過ぎて全く同タイムでゴール。
高梨氏とその一族や家来がvs武田信玄用として築いた城砦群は、「基本コの字型」となるように繋ぎ合わせた城である事に気がつく。

滝ノ入城(小布施町) (13)
2時間の孤独な戦いの果てに辿り着いた滝ノ入城の本郭は石積みだった。

二十端城AB(小布施町) (48)
二十端城(つつはたじょう)の堀切の底の石塁。色々と想像出来る面白い遺構である。

二十端城C(小布施町) (66)
とりあえず利用出来たのが石だった・・という説に「なるほど!」と思う石積みの郭。美しい。

雁田大城②(小布施町) (35)
何年かぶりの再会に感動した雁田大城の堀切。

雁田小城②(小布施町) (18)
これ以上高く積む技術が無かったからこそ美しい段構えの雁田小城。


【岩井城・蓮城】 5月11日

武田軍が飯山口の前線の抑えとして強化した、まさしく境目の城である(笑)
上杉謙信にとっては、目障りな砦であったろう。
残念ながら訪れる人も絶えた岩井城の本郭には朽ちた説明板が残るが、それも世の習いというべきか。

岩井城(中野市) (70)
歴史の向学心に燃えた児童が描いたものであろうか・・(汗)

岩井城(中野市) (81)
もはや、藪に覆われて堀切を撮影してもただの緑が萌えているだけにしか見えない・・(苦笑)


飯山城を総攻撃して一時陥落させた武田軍が前線基地を置いたと云う蓮城(はちすじょう)。
こんな場所にひっそりと遺構が残っているのには驚いた。

蓮城(飯山市) (12)
主郭の切岸。加工度はかなり高い。

蓮城(飯山市) (1)
蓮城の全景。緑のアフロヘアーのようである(爆)


山城シーズンがオフになるからといって、「駆け込みご乗車、ご遠慮下さい!!」状態の無謀なGWであった。

それぞれの城の詳細は、いずれまた「ぼちぼち」とご案内するとします・・・(笑)



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Posted on 2014/05/13 Tue. 23:58 [edit]

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