らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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白山城 (韮崎市神山町)  

◆駿河方面からの侵攻に備えた新府城の支城◆

そのうち「日本むかし話と幻魔大戦」とか「不思議の国のらんまる」にタイトルが変わりそうな勢いである・・・(笑)

軍事構築物の更新記事を待っている方の為にも、本業(?)に戻ろう・・(汗)

今回ご紹介するのは城郭研究者から絶賛されているという甲斐の「白山城」(はくさんじょう)。

シロウトに毛が生えた程度の小生が掲載するのも恐れ多いが、百聞は一見に如かずという事で。

白山城(韮山市) (3)
白山城の搦め手方面に位置する武田八幡宮二ノ鳥居(県指定文化財)

なんせ猪武者なものですから「山梨は拙者のウサギ小屋の庭のようなものよ!!」と嘯いてロクに下調べもせず突入。

案の定、武田八幡宮の入口を右往左往して近所のオバちゃんに「白山神社」から登りなさい」と教えを請うた・・・(汗)

白山城(韮山市) (2)
全部見て廻るには半日かかりそうなので、また今度じっくり出直す事にします。

【立地】

南アルプスの広大な裾野の東端で釜無川の右岸に位置する独立峯のように見える通称「鍋山(なべやま」)の山頂に築かれている。新府城は釜無川の対岸約4km北側にある。

せっかくオバちゃんに教えてもらったもののチンプンカンプン。農道脇に車を捨てて神社らしき建物を探して10分徘徊。
ようやく見つけました。国指定史跡なら誘導看板ぐらい建てて欲しいものです。この時点ですでに15時30分。間に合う?

白山城(韮山市) (80)
神社の手前に「通せんぼ」のフェンスしたら、近くに行かないと分かんないでしょ!(怒)

白山城(韮山市) (5)
神社から城跡までの比高は約70m。

白山神社の入口には先客がいて、やはり入口が分からず迷ったという。聞けば既に夕暮れが近づいているので登城は諦めるらしい。

「これから登城するのですか??」 初老のいかにも歴史好きといった風情の方が小生に尋ねる。

「せっかく来たのですから、登りますよ・・」

ここまで来て妖怪が出ようがクーさんが出ようが引き返したのでは「男が腐る廃る」・・・この事である・・(笑)

白山城(韮山市) (7)
一応説明板にある縄張図を頭の中に入れようとするが、ザックリとした感じで・・・

白山城(韮山市) (8)
残念ながら白山神社の縁起は未調査です。

【城主・城歴】

白山城がある武田の集落には武田八幡社がひっそりと森の中に静観しているが、この地は武田氏の祖となった武田信義入郷の地である。信義は甲斐源氏の惣領的地位になり、館を構えて発展に努め鎌倉幕府の創立の功労者でもあったが、巨大な勢力ゆえに頼朝に警戒され失意の日々を過ごしたと云う。
白山城は信義の要害として築城されたと伝わるが、仮にあったとしても見張り程度の簡素なものであろう。

白山城(韮山市) (12)
登り始めて最初に現れる門跡。その裏側は空堀というよりは塹壕仕様であろう。

白山城(韮山市) (18)
大手口方面の斜面を八の字で守る竪掘㋑。横移動を制限し敵の攻め口を限定させている。

その後、武川衆(むかわしゅう)の中心的な人物に青木氏がいたが、青木氏は武田氏に仕え、この白山城を守備していたといわれている。青木信種のとき、二男信明が分派して山寺氏を称し、この辺りを領有するようになった。
武田氏滅亡後、山寺氏は徳川氏に従い、もとの本領を安堵されている。(甲州古文書)
このことから武田氏滅亡後も白山城が使用されていたことは事実であり、天正壬午の乱における徳川VS北条の戦いの時にも修築されたとみるべきであろう。

白山城縄張図(山梨県韮崎市)
一生懸命描くと雑になる縄張図(笑)

白山城(韮山市) (20)
屈折とか屈曲とか横掛り。攻め手にとっての難関には違いないし、少数精鋭で守るには技巧を駆使した要害だ。

【城跡】

白山神社からしばらく上ると左右に土手の付いた土塁が目に入る。恐らく門が置かれ、周囲は逆茂木の柵で囲まれていたと思われる。本郭の内枡形の虎口との間にもう一ヶ所門があったようだ。
独立峰に築かれているので防御指向は全方位で、搦め手の郭3(馬出しか?)にも内枡形の虎口が設置されている。
主郭は高い土塁で覆われ、周囲の北と東には武者走りを置き、大手方面には郭2を置く。

白山城(韮山市) (22)
芸術的な落書きである・・(笑)

白山城(韮山市) (33)
意図的に敵の侵入を誘う構造の内枡形(うちますがた)。罠と気づいた瞬間に死に至る恐ろしい構造である。

さらに横堀を周回させ、感覚を開けて放射状の長い竪掘を斜面に落とし横移動を制限している。
残念ながら北~東方面の横堀は埋まりかけていて往時の面影は消えつつある。

白山城(韮山市) (32)
主郭西側の高土塁。攻め登る敵に狙いを付けるには効果的な高さである。

白山城(韮山市) (37)
南側から見た主郭(26×28)。掘立小屋があったという説もあるが、短期決戦の城には邪魔だというのが持論である。

突拍子もないシロウトの暴言を許して頂けるとするなら、築城技術や縄張設計における武田と上杉の格差は雲泥の差だったと思われる。謙信公や景勝時代の城を全て見た訳ではないが、北信濃の城は特に武田流の築城技術のテイストが強い。
連続畝掘を特徴とした上杉方の築城技術だが、城造りに関してはかなり遅れていたようである。
領土拡大の野心など無い清廉潔白の義の人にとって、城をネチネチとこねくり回す暇など無かったと思われる・・(笑)

白山城(韮山市) (40)
これだけ写真に妄想で落書きする城郭探訪家はいないと思われる・・・・(汗)

白山城(韮山市) (42)
郭3の枡形虎口。(ってか補助線の引き方が雑・・・汗) 搦め手側の北からの侵入に備えている。

本来の防衛の主旨から云えば、防衛拠点の外側で敵を殲滅するのが理想であるが、敵を油断させて郭の内部へ誘導し閉塞空間でより多くの敵を討ち取る。
内枡形虎口(うちますがたこぐち)というこの防御構造は一見危うい構造に思えるが、少数で守る側には理に叶っている。

白山城(韮山市) (48)
搦め手方面最終の堀切。これより北側に防御構造はなく、武田神社へ下りていく道があるだけだ。

白山城(韮山市) (52)
郭3の北側(武田神社方面)の削平地。増築または修築の途中で放棄されたのだろうか?

よく観察して見ると、城域の東側は西側に比べると傾斜が緩いので、10本の竪掘で警戒している。
対する西側は八幡沢川が流れる急斜面なので、犬走りも置かずに横堀に数本の竪掘で凌いでいる。
この防御構造から考察すると、やはり東からの敵を想定し新府城への行軍を遮断する意図が見て取れる。

白山城(韮山市) (54)
郭3の西側の横堀。

白山城(韮山市) (55)
主郭の西側の横堀。傾斜がキツイのでこの程度でも落差があるので充分な防御構造である。

白山城(韮山市) (56)
郭3の南にある堀切㋔から見た東斜面。気合の入った切岸と二段の構え、放射状の竪掘に圧倒される。

白山城(韮山市) (61)
現在は帯曲輪のように見えるが、かつては横堀だったと思われる。

この城を踏査していて思い出したのが、高遠城の支城として急遽築城されたと想定される的場城であった。

的場城は雌山の尾根を利用して築かれているので雄山の白山城とは立地が若干違うが、防御指向や縄張りにおける基本的なコンセプト、そして使用しているパーツも極めて類似している。

恐らく築城(改修)時期も同時期と推定され、織田・徳川の武田領侵攻に備えた防御ライン構築の一環として武田流築城を受け持つプロの設計施工であると思われる。

白山城(韮山市) (30)
郭1から見下ろした郭2.

白山城も的場城も長期間の籠城に耐えうる作りではない。

この二つの城の果たすべき役割は「敵の攻撃を分散化する」事であり「後詰め到着までの時間稼ぎ」であろう。

高遠城においては上原城から出撃する武田勝頼本隊の後詰めであり、新府城においては同盟軍である上杉景勝の援軍だったと思われる。

白山城(韮山市) (72)
郭1と郭2の間には堀切があったようだ。

白山城(韮山市) (74)
郭4との間にある堀切㋘。独立峰にするために南西の尾根を断ち切ったのであろう。

【らんまるの考察】

もともとは砦程度のものが新府城の築城に伴い、その支城として大規模な手を入れられたものと推定する。
非常にコンパクトでありながら、二、三百人が籠る城としては技巧に優れた城であり寄せ手もかなり手こずる城であろう。

がしかし残念な事に、高遠城の落城をもって武田軍の織田・徳川への抵抗は終止符が打たれ、勝頼も天目山にて一族郎党とともに自刃して果てたと云う。

その後、信長が本能寺の変で死ぬと、武田氏の旧領を巡り天正壬午の乱が勃発し、新府城と白山城は徳川方の城として対北条戦においてその縄張の有効性を実証する。築城ヲタクの北条を相手に徳川如きが勝利するのだから、本家本元の武田が織田相手に奮戦する様を見たかった様な気もする。

諸説あるものの、信濃の山城にその血統を受け継がれた「武田流の放射状の竪掘の元祖」としては必見であろう。

今回は夕闇が迫る中での調査で細部を見ることが出来なかったが、もう一度来てキチンと調べてみたい秀逸の山城である。

白山城(韮山市) (76)
白山神社脇の削平地。ここに居館など平時の施設があったと推定される。

≪白山城≫ (はくさんじょう 鍋山城)

標高:567m 比高:110m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:山梨県韮崎市神山町鍋山
攻城日:2013年9月21日 
お勧め度:★★★★☆  
城跡までの所要時間:15分
見どころ:放射状竪掘、土塁、横堀など
注意事項:特に無し
参考文献:「戦国武田の城」(中田正光著)、「甲斐の山城と館㊤」(宮坂武男著)
付近の城址:新府城

白山城(韮山市) (87)
南東の白沢川方面から見た白山城遠景。









Posted on 2014/06/24 Tue. 22:51 [edit]

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