らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0808

武田信玄終焉地考 (一之瀬義法著 1987年教育書籍)  

◆巨星は何処で墜ちたのか・・タブー視されてきたその核心に迫る解説書◆

戦国の城とか中世史の好きな方の中には、武田信玄公フリークや熱狂的な信者がいらっしゃる。

それは大変結構な事であり、今後の中世城郭ファンの獲得にも心強い援軍であろう・・。

が、誰もが知っている戦国武将の武田信玄が「ご臨終」となった場所を知る人は少ないし、知っていても信州の駒場(阿智村)というのが定説になっている。

カピパラ033
ちなみに今日のBランチは笹の葉でございますw (じゃあ、Aランチは?・・笑)

「今さら信玄公の亡くなった場所を特定したからって歴史が変わる訳じゃあるまいし、どうでもいいじゃん・・・」

なるほど、その通りかもしれません。古傷に触れても過去が変わる訳などありません・・・(汗)

この話題、ある意味で武田ファンにはタブーだったと思うんです。専門家だって取り上げることすらしなかった。

今回ご案内するのは、その謎に挑んだ書籍である。

武田信玄終焉地考の扉

昭和62年の発刊なので既に絶版なのだが、中古はあるようだ。小生は図書館で幸いにも発見する事が出来た。

【おさらい~西上の軍と信玄公の最期】

元亀三年十月(1572)、先に東美濃へ秋山信友を侵入させ織田と徳川を遮断し、自ら西上の軍をおこした武田信玄は二万二千の兵を率いて躑躅ヶ崎~諏訪~伊那谷~秋葉街道と進み青崩峠(あおくずれとうげ 1085m)を越えて遠州に入り、徳川方の諸城を落城させる。

十二月に徳川家康と三方ヶ原で合戦に及び完膚なまでに叩いて勝利すると、そのまま浜名湖畔の刑部村で駐屯し越年する。
開けて元亀四年(1573 天正元年)の正月十一日より三河の野田城に攻めかかるが、一ヶ月を要してしまう。(詳細は野田城の記事を参照)

五十三才で病気を抱えていた信玄にとって、長期間の遠征軍の指揮は過酷であり、野田城攻めの最中に容体が悪化し本部隊は長篠城まで引き返した。(野田城は二月十日に開城)

その後鳳来寺付近で療養し一度は回復に向かうものの再び悪化したために、躑躅ヶ崎(甲府)に帰る事になった。

信玄帰路図
信玄の帰路(武田信玄終焉の地考よりP13の地図を引用)

鳳来寺から愛知県北設楽郡設楽町(田口)・津具村を経て、長野県下伊那郡根羽村・平谷村・浪合村の、いわゆる三州街道の宿場を北上し、駒場(こまんば)・飯田へと戻る道中となった。
しかし彼の西上の夢は叶うことなく、元亀四年四月十二日、五十三才の生涯を閉じた。

武田信玄終焉地考の目次
本の目次。この部分だけ見ても興味をそそられるのである。

【諸文献からみた終焉地は何処か】

著者である一之瀬義法氏は日本史や中世史の専門家ではないが、敢えてアマチュアとして専門家以上の調査と信州伊那の教員としての地の利を生かし、コツコツと足を使い地元の古老などへも聞き取り調査を実施している。
凄いの一言である。
そして最終的に導き出した結論(もちろん氏としての推定ではあるが)も充分に裏付けがありなるほどと納得できるものであった。

ちなみに、諸文献に記されている信玄の終焉地としては

●駒場説
 「当代記」「御宿監物の長状」

●波合説(浪合)
 「徳川実記」

●平谷・波合説
 「三河物語」「三河後風土記茎葉集」

●根羽説
 「甲陽軍鑑」「熊谷家伝記」

●田口説
 「野田城記」「野田実録」
 
となっておりいずれも決定的な決め手を欠いている。その要因としては「三年間死を隠せ」という遺言によるところも大きいと一之瀬氏は見ている。

駒場城(阿智村) (1)
駒場城から見た長岳寺と飯田方面。駒場説はこの長岳寺で信玄が荼毘に附されたと伝わる。

残念ながら小生は何れの地も通過しただけである・・・(汗)

もっとこの本を早くに知っていれば、また行かなくても済んだのに・・・(笑)

というわけで、南信濃の諸城攻略の説には、終焉地巡りを観光敢行する予定であり、楽しみが増えた。

駒場城も近々掲載したいと思いつつ、既に半年が過ぎた・・・・・(ギョ!)

駒場城(阿智村) (99)
長岳寺方面から見た駒場城(こまんばじょう)。車で行けちゃうけど、3ナンバーは止めときましょうネ(死にそうだった・・)

「武田信玄終焉地考」・・・・・ページ数は少ないが、気の遠くなるような調査に基づく核心に迫る渾身の傑作であろう。
スポンサーサイト

Posted on 2014/08/08 Fri. 22:32 [edit]

CM: 11
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top