らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0812

中山城2 (上田市武石小沢根 リテイク)  

◆小規模ながら豪快な二重堀切に圧倒され、思わず溜め息の出ちゃう要塞◆

丸馬出しや三日月堀、内枡形などを特徴とする甲州流築城の城ばかり見ていると、それが当時の主流であったなどと誤って書きそうになる・・・(汗)

信州の山城の主役は、やはり在地土豪衆が一生懸命汗水たらして時間をかけてこしらえた「ブサイクな城」である。

大勢力が大量の資本と人足を投下した軍事要塞に比べると、「しょっぱい」し「ヘボイ」のだが、そこが素朴でイイ。

でもね、時々トランスフォーマーみたいに戦国末期まで改良に改良を重ねてに変身しちゃったであろう山城に出くわす事がある。それがまたイイ・・(笑)

中山城2(上田市上武石) (3)
上田市武石小沢根にある子壇嶺神社(こまゆみねじんじゃ)の裏山が城跡。4/29の桜吹雪の舞う神社表参道。

今回ご紹介するのは、上田市指定史跡の中山城。中世城郭マニアには評価の高い隠れた名砦である。

リテイク記事でその魅力に迫ってみようと思うが、果たして上手くお伝え出来るのでしょうか、チョッと不安・・・。

中山城2(上田市上武石) (145)
城の登り口に鎮座する子壇嶺神社から見た鳥屋城と小山城。

【立地】

美ヶ原を源流とする武石川が小沢根川と合流する場所の東西にせり出した山尾根の先端に作られている。更に東へ2km進むと依田川沿いの大門街道に通じる要衝の地である。

中山城(上田市)見取図①
熱意が足りず我ながら「ヘタクソ!」と叫びたくなった縄張図(笑)

中山城2(上田市上武石) (7)
神社の右側の脇から80m登ると「木戸」跡と推定されるような土塁付きの郭が現れる。(落書きは想像図)

ここから二段程度の平削を経て登って行くと三連の堀切がお出迎えしてくれる。傾斜がきついのでこの程度でもそれなりの防御効果はあったと思われる。

中山城2(上田市上武石) (16)
西側より見下ろして撮影。かなり埋まりつつある。

中山城2(上田市上武石) (22)
上巾5mの㋑。

中山城2(上田市上武石) (24)
チョッと変形気味の堀切㋒。

【城主・城歴】

小県郡史(大正11年)には「中山城址」として以下の記載がある。
「中山城は武石村小澤根區小字城山の頂きにあり。其北麓には武石川流れ、南麓には小澤根川過り、天成の濠をなす。本西は東西三十間、南北十四間あり。此内郭を巡りて四方に土手を築き、其外方来た、東、南の三面に削平地あり。東方はこれより堀切一条を以って山の背に続き、北方は更に削平地を作り、西方は堀切二条、土手一所を以って山の背に続き、南方には石垣をめぐらしたる跡あり。又依田川下流方面に対して防御工事の施されたるを見る。
城主は大井氏にして寛永郡絵図にも大井大和守城と記載あり。地勢を考えるに平城なる武石城は大井氏の屋敷にして、山城なる中山城が其戦時の拠所なりしなるべし。今日尚山中鐡製刀柄、鏃(やじり)等をうることあり。

中山城2(上田市上武石) (25)
何故か途中にある三角点(751.6m)

【城跡】

大手は神社からの登路で途中に木戸跡が確認出来る。急な登り坂から尾根筋に三連の堀切㋐㋑㋒を穿ち、上巾9mの堀切㋓へ続く。

中山城2(上田市上武石) (27)
片側W堀となっている堀切㋓の東側。上巾3mで北斜面に向けて土手(土塁)が下っている。

中山城2(上田市上武石) (32)
南側斜面を100m近く竪堀となって下る堀切㋓。大手口からの横移動を阻止している。

中山城2(上田市上武石) (34)
堀切㋓の北側斜面。

この手の尾根に突き出した砦の縄張方法のスタンダードは、城の大手口方面には段郭を重ねて、主郭背後の搦め手には二重ないし三重の堀切を穿つ方法である。
が、この砦、岩盤が硬過ぎて郭が設置出来ず堀切を多用して、主郭前後を強烈な大堀切で断ち切った潔い仕様に加え、北斜面に横堀㋗を増設して前後の堀切を接続している。

ゴミのような砦に甲州の白山城のような輪郭式の縄張りが見い出せるのである。

中山城2(上田市上武石) (35)
堀切㋓から見た郭2。郭3と接続して主郭を囲む副郭になっている。

中山城2(上田市上武石) (43)
郭2の北斜面の切岸の先には横堀㋒が確認出来る。こんな高度な縄張りが出来るのは彼しかいないだろう。

この城の見どころは、キチンと主郭を周回している土塁と前後を守る大堀切だが、甲州流の築城方式に影響を受けているところまで妄想出来たら素晴らしい・・(笑)

中山城2(上田市上武石) (64)
主郭(22×12)。周回する土塁と土留めの石積みが現存する貴重な遺構である。

中山城2(上田市上武石) (66)
主郭から見た郭3。キチンと平削されている。

中山城②元ネタ
主郭背後の二重堀切(北斜面)。この城の一番「ふつくしい」芸術作品であろう。

中山城2(上田市上武石) (69)
竪掘経由で攻め込む敵兵を抹殺する監視郭4。

小県郡史に記述があるように、当初は武石城の詰め城または物見砦だったものが、この地方を支配した武田、そして真田により改修が加えられたのであろう。

天正壬午の乱以降、徳川軍に一時的に属していた真田昌幸が依田窪の平定にあたり、徳川に服属しない逆臣討伐の為の拠点として改修し、徳川を裏切った時は対徳川の前線基地として使用したのであろうか。

中山城2(上田市上武石) (75)
郭3の土留めの石積み。

中山城2(上田市上武石) (85)
主郭の平虎口。内枡形にするスペースはなかったと思われる。

中山城2(上田市上武石) (91)
主郭南側の土塁。「ふつくしい・・・」

一時的に敵を引きつけておく使命を帯びた砦で、中世城郭の最終形のような気がする。

信長亡き後の武田の遺領を巡る戦争は徳川VS北条VS上杉の直接的な大勢力の戦いというよりも、明日は滅亡するかもしれない信濃の小豪族同士の代理戦争の色合いが濃く反映されていたと思う。

武田と云うバックボーンを失った真田昌幸は、上野国における既得権である沼田を確保しつつ、小県郡における支配権を徳川の後ろ盾で奪取することに成功する。この身のこなしは小信玄と呼ばれた機転と強運の持ち主であることを物語っていて、決してフロックではないのである。

中山城2(上田市上武石) (99)
中央に土塁痕のある堀切㋖。既に埋まりかけている。

中山城2(上田市上武石) (92)
主郭背後の土塁から撮影した二重堀切㋔と㋕。(北側斜面)

依田窪と呼ばれる依田川流域の大門街道において、丸子氏の居城である丸子城の出城として根羽城と共に重視されたと推定される。
土手付きの長大な竪掘は丸子城にも同じ仕様を確認出来る。

中山城2(上田市上武石) (58)
主郭の周囲の土塁は石積み仕様だった痕跡が残る。

中山城2(上田市上武石) (120)
郭4から見た二重堀切。落差があり幅も広いのでかなり効果的なのが分かる。

武石城の詰めの城と伝わる中山城だが、戦国末期には単独の軍事要塞だったと思われる。
小規模ながら、豪快かつ長大な竪掘に圧倒されるその仕様は、まさに戦国の城の緊迫感を今に伝える貴重な遺構であり、後世に伝えたい大事な史跡である。

≪中山城≫ (なかやまじょう 城山)

標高:765m 比高:120m  
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上田市武石小沢根
攻城日:2014年4月29日 (再訪問)
お勧め度:★★★★★ (満点)
城跡までの所要時間:10分 駐車場:子壇嶺神社借用
見どころ:大堀切、土塁、切岸、石積み、横堀など
注意事項:登り口の途中にイノシカネットがあるので、開けたら必ず閉める事。
参考文献:「信濃の山城と館③上田・小県編 宮坂武男著」
付近の城址:鳥屋城、鳥羽城、丸子城、小山城、根羽城など

武石城(上田市上武石) (4)
大井氏の居館のあった武石城から見た中山城の遠景。


















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Posted on 2014/08/12 Tue. 21:55 [edit]

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