らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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高崎城 (群馬県高崎市高松町 市指定史跡)  

◆上野国じゃ毎度毎度の雨男に変身だあ!◆

今さら何を?と思うかもしれないが、昨日とうとう慣れ親しんだガラケーを捨ててスマホに乗り換えた。

古き良き昭和世代の最後のガラケー戦士として最期の一兵となっても闘う所存であったが、商売上スマホが使えないと窓際族に追いやられてしまうのである・・・(汗)
 
かといって老人向け(?)の「らくらくスマホ」では、マッキントッシュ時代を知る武士の意地が廃るというもの・・(笑)

5S

幸い、ipodは操作出来るし、仕事ではipadを使いこなしてる?(ってか、使われてる・・・汗)のでiphoneならなんとかなるかもしれない。
(もうすぐ「6」が出るんだからそれまで待てば・・という意見もあったが新製品はとかく欠陥があるので5Sとしたが・・)

「習うより、慣れよ」  その通りであった・・・が、使いこなすというよりは、Siri様にコキ使われている一兵卒であった。

今回ご紹介するのは、「辿り着いたら、いつも雨降り」の上野国の高崎城。近世城郭には興味が無いので適当な解説になるが、ご容赦下さい・・・(笑)

高崎城(群馬県) (8)
三の郭の外土塁と水堀。これが残っただけでも「良し」としなければ・・・。

【立地】

鳥川と碓氷川の合流地点の南東河岸を利用した平城で、箕輪城から約9km南東に位置する。

高崎城(群馬県) (3)
しっかりした高土塁の上は遊歩道になっている。基本「土の城」のコンセプトを踏襲しているのは嬉しい。

【城主】

初代の城主は徳川四天王と呼ばれ、「井伊の赤備え」の元祖である井伊直政(いいなおまさ 1561~1602)で、のちの近江国佐和山藩主(彦根藩)の初代藩主でもある。
家康の命により、武田軍の猛将山県昌景の赤備えを徳川軍で復活させ「井伊の赤備え」として戦場ではその勇猛果敢な戦闘ぶりで名を馳せた。秀吉の信任も厚く、天正十四年十月、家康の上洛の際に豊臣姓を賜る。
天正十八年(1590)、小田原の役では、小田原城内に切り込んだ唯一の武将として名を刻み、北条氏滅亡後の慶長3年(1598)、家康の関東移封とともに上野国箕輪城12万石の城主となった。その後、家康の命により箕輪城を廃城とし、新たに高崎城を築城する。

また、謀略においても家康の懐刀として秀吉亡き後の反石田派の黒田如水(官兵衛)・長政父子を徳川方に引き入れ、関ヶ原合戦では東軍指揮の中心となり島津軍の追撃戦を敢行し島津豊久を討ち取った。(しかし、この時の傷が原因で二年後に死去してしまう)
戦後処理で真田信之の助命嘆願を聞き入れ、身を呈して昌幸・幸村父子を高野山配流としたのも彼である。

この戦功により近江国佐和山18万石(旧石田三成の所領)を家康より拝領し、徳川の譜代大名では最高禄となった。

この人がいなければ、某国営放送局の「軍師 官兵衛」も2年後の大河ドラマの「真田丸」も違うストーリーになっていただろうか・・・(笑)

高崎城(群馬県) (6)
土塁脇に建つ標柱と説明板。

【城歴・城跡】

箕輪城主井伊直政が徳川家康の命により、この地に城を築き箕輪より移転したのは慶長3年(1598)のことであった。築城にあたって直政は、当時和田と呼ばれていたこの地の地名を松ヶ崎と改めようとし、竜広寺の住持白菴に相談した。白菴は、諸木には栄枯があることを説き、「成功高大」の意味から高崎と名づけるよう進言し、これが採用
された。高崎の地名はこうして誕生したと云われる。(川野辺浩「高崎志」)

高崎城(群馬県) (12)
公園側からみた土塁。

この地にはかつて和田氏により和田城が築かれていた。直政により新たに築かれた高崎城は、和田城址を取り込む形で築かれたと云われており、坪数51,613坪に及ぶ広大な城郭となった(土屋老平「更正高崎旧事記」)。築城にあわせ、城下町の整備も開始され箕輪城下から多くの寺院や町が移された。連雀町や田町はこのとき箕輪より移転した町である。また、城下町を囲む形で遠構と呼ばれる土塁と堀も築かれた。

高崎城(群馬県) (13)
三の丸の一部は城址公園として整備されている。外側へ「コの字型」で突き出る折れの部分も残っている。

命じ四年(1871)の廃藩置県後、高崎城の敷地は兵部省、次いで陸軍省の管轄となり、乾櫓をはじめとする多くの建物が払下げとなった。さらに、兵営や練兵場を建設するために城内は整地された。このため本丸や二の丸の土塁や堀は現存しておらず、三の丸の堀と土塁がわずかに昔の面影を止めている。

高崎城(群馬県) (14)
土砂降りの雨の公園もオツなものです・・・(笑)

高崎城(群馬県) (19)
「土塁は立派な文化財です。大事にしましょう」と看板にあったが、その通りである。

しかし、上野国出陣は「辿り着いたらいつも雨降り」というケースが多い・・・・(汗)

岩櫃城なんか二度とも雨の攻城戦・・参った。

信濃ではピーカン男(決してノーテンキ男ではありません・・笑)だったし、三河・遠江・駿河の旅でも良いお天気だったのだが、どうも群馬県とは縁が無いらしい。

高崎城(群馬県) (25)
群馬県指定重要文化財の乾櫓。キレイ過ぎたので復元かと思っちゃいました(笑)

高崎城(群馬県) (31)

この城は本来「土の城」なのに、「なんちゃって石垣」を作る偽装工作には頭が下がる思いです。。。。。。(悲)

無骨ものの井伊直政だからこそ、土の城じゃないとダメなんです。しっかりしてくれ、高崎市!!


≪高崎城≫ (たかさきじょう)

標高:93.0m 比高:- 
築城年代:慶長三年(1598)
築城・居住者:井伊氏、その他
場所:群馬県高崎市高松町
攻城日:2014年8月16日 
お勧め度:★★☆☆☆ 
城跡までの所要時間:0分 駐車場:有り(市営有料駐車場)
見どころ:石垣、高土塁、堀、櫓
注意事項:特に無し
参考文献:城跡の説明看板、他
付近の城址:色々

高崎城(群馬県) (38)
乾櫓は土塁の櫓台の上に建てられてたのに、この組み合わせが常識になるのは時間の問題でしょう・・(汗)

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Posted on 2014/08/19 Tue. 07:55 [edit]

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