らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0905

岡城2 (上田市岡 リテイク)  

◆初期型の三日月堀を三方に備えた小県における武田の戦略拠点◆

三年前の11月に岡城は掲載しているのだが、あまりに適当なので(今でも充分適当だが・・汗)、岩尾城同様に三日月堀に視点を置いてチョッとリテイクしてみたい。

この城は武田を語る方には避けて通れない城であり、今さら何を書く?とお思いかもしれないがお付き合い願いたい。

岡城②(上田市) (71)
二の曲輪の外郭土塁と外堀。(東側から撮影)地元の皆さんの定期的な清掃維持活動には頭が下がります。

【立地】

浦野川の左岸に位置し、古来の東山道の浦野駅はすぐ隣である。ここから筑摩へは保福寺峠、地蔵峠(現在の青木峠)で繋がり、南の舞田峠を越えれば塩田城から大門峠、佐久地方に通じる。室賀峠を越えれば坂城・更級に出るまさに要衝の地である。

岡城②(上田市) (3)
巾16mの巨大な土塁。在地土豪が普請出来るシロモノでは無い。

【城跡全般について】

浦野川を背後として内郭と周囲を囲む二の曲輪からなる輪郭式の城で、三方に虎口を開きその先に丸馬出を設置している。
住宅団地の造成等によりかなり改変されてしまっている。特に二の曲輪の大手口~西側にかけての堀は早い段階で土塁を崩して埋められてしまい、現在は道路になっている(僅かに土塁の面影は残っている。
北、東、西の三ヶ所にあった丸馬出しは、東が一部現存し他の二箇所は埋められてしまった。

岡城見取図①(上田市)
市営住宅の建設で内郭は改変され、その後に市の指定史跡って順番おかしくない?

岡城②(上田市) (15)
大手口の防御として櫓台が置かれていたというが現在は東小屋がある。(西側より撮影)

岡城②(上田市) (14)
櫓台から見た大手口(北側)の三日月堀の位置。

思わず見とれる大規模な土塁だが、堀の土木工事に伴う残土をそのまま土塁に転用してかさ上げしたものだろう。
西側の外堀が土塁を崩して埋めたとされているので、納得出来る話である。

岡城②(上田市) (16)
櫓台の一段下は武者溜まりとして二段構造の土塁になっている。

●北の馬出し跡(三日月堀)

西半分は住宅が建ち消滅しているが、東側は水田にその地形が辛うじて確認出来る。

岡城②(上田市) (28)
弧を描いているのがお分かりいただけるだろうか?(右奥の遠くに見えるのが二の曲輪の土塁)

岡城②(上田市) (26)
畔の脇に「三日月堀跡」の標柱でも立てて欲しいと思う。

●内郭の土塁と堀跡

内郭は老朽化の進む昭和40年代の市営住宅が並ぶ。ここにも土塁と堀切の遺構を見る事が出来る。
土塁の上に家が建っているのにはビックリするが、平削せずに残していただけたと思い感謝感謝であります(笑)

岡城②(上田市) (19)
児童遊園地のある場所が堀跡。ここから西側が内郭となる。段差の部分には土塁があったのだろう。

岡城②(上田市) (32)
内郭の西端の土塁と堀。(東側より撮影)

岡城②(上田市) (33)
上の部分を接近して撮影。石積みは後世のもの。この場所に内郭への虎口があったという説もあるが改変され不明。

岡城②(上田市) (35)
井戸よりも土塁や堀に標柱を立てるべきだと思うが。

岡城②(上田市) (36)
皆さま、土塁の上に住宅を建てるのがブームだったようですネ(汗)

岡城②(上田市) (39)
現存する内堀。大事に残して欲しい。奥の山頂には浦野城の物見松砦があり、岡城でも物見として使われたらしい。

●二の曲輪(西側)

大手の櫓台の他にも二の曲輪の外郭の土塁の隅には四ヶ所の櫓台があったというが、現状は確認出来ない。武田本隊の駐屯地あるいは宿営地としての平城であれば、防御はかなり厳しかったと思われる。
外堀は残念ながら埋められてしまったが、往時の面影は何となく偲ぶことが出来る。

岡城②(上田市) (44)
二の曲輪の西隅。この場所にも土塁と櫓台が置かれたというが、住宅地跡地となり痕跡は確認出来ない。

岡城②(上田市) (58)
土塁を崩して埋められた堀は現在道路になっている。往時は道路よりも巾が広かったらしい。

岡城②(上田市) (62)
北側の堀跡から大手方面。

●西の馬出し(壊滅)

全く遺構を留めていないので、場所の特定も困難である。が、なんとか照らし合わせてみると以下の感じ?

岡城②(上田市) (56)
チョッと無理し過ぎか・・・(笑) 雰囲気だけでも伝われば・・・(汗)

●東の丸馬出し(一部現存)

三ヶ所の丸馬出しで、唯一遺構が現存するのが東の丸馬出しである。といっても堀形と馬出しのだいたいの形状が何とか残っている程度だが・・・。せめてここだけは破壊を逃れたいものである。

岡城②(上田市) (78)
住宅密集地の空き地に辛うじて残存する三日月堀。土塁もあったのだろうが、現状は堀形のみ。

岡城②(上田市) (81)
西の道路側から撮影。

●川中島の制圧で使命を終える

短命に終わりながら遺構は良く残ったといえる。馬場美濃守信房の縄張りと伝承があるが定かではない。
だが、城域は思ったよりも広く岩尾城の比では無い。肝心の高白斉記も天文二十二年で終了しているので、岡城がどのような使われ方をしていつ頃廃城になったのか全く不明である。
憶測ではあるが、飯富虎昌(おぶとらまさ)が天文二十二年に自落した塩田城の城代に任命されているので、その後に岡城の城代であった可能性もあり、義信の謀叛に加担し処罰されるまでの経緯については調査の価値があるように思える。

岡城②(上田市) (83)
浦野川に架かる岡橋から見た岡城の南側。

≪岡城≫ (おかじょう 古城、岡村城)

標高:484.8m 比高10.0m
築城年代:不明
築城・居住者:武田氏
場所:上田市大字岡字古城
攻城日:2014年8月24日 (再訪)
見どころ:土塁、櫓跡、堀、三日月堀跡など
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:-
駐車場:公園付近に数台のスペース有り
参考文献:「信濃の山城と館③」(宮坂武男著 2013年)、小県郡史など

岡城②(上田市) (63)
土塁、切岸、堀の美しいコントラスト。未来に残すべき財産である。




スポンサーサイト

Posted on 2014/09/05 Fri. 07:17 [edit]

CM: 8
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top