らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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武石城 (上田市下武石)  

◆何も無くて いいんですぅ!◆

朝晩だいぶ冷え込んでまいりました。葉っぱさん、早いとこ地べたに落ちて下さいまし・・・山城見せて下さいまし・・(笑)

それにしても長野県はこのところクーさんの出没と襲撃事件が毎日のように報道され戦慄を覚える・・・(汗)

今回は北信濃の諸城の下準備が間に合わないので、繋ぎとしてご案内する武石城(たけしじょう)。

その昔にTVでやってた「風雲たけし城」とは何の関係も無いので悪しからず・・・。

武石城(上田市上武石) (3)
武石小学校のプールと体育館周辺が敷地(居館跡)の中心だったらしい。

【立地】

中山城の東麓、現在の武石小学校とグランドやプール、旧保育園(現在は学童保育所)のあたりである。城域の東には妙見寺が隣接している。

武石城①
中心部分に現在プールがあるが、場所や縄張りもハッキリしないので、あくまでも推定にすぎない。

【城主・城歴】

小県郡史には武石城について以下の記述がある。
「大和守屋敷とも、大井の本城ともいう。総郭は東西五十間、南北八十間に広がり、内千九百三十二坪を本郭となす。平城にして、本郭の南、及び東には武石川の水を分かち引きて壕となす。今に之をお堀tいふ。北及び西には土堤あり、西南には長三十間、巾三間の内堀の跡残れり、北及び西土堤の外側に更に水を引く、よりてその他に接して小字堀之内あり、大手に至る曲折路あり、小字小路といふ。里傳に永和元年大井孫五郎長信之を築くといふ。信濃細石には大永年間、大井大和守信廣当所に分かれて居城を構ふという。
天文十四年正月武石・丸子・祢津・矢澤・小泉・室賀 武田氏に降る。文禄二年大井雅棟嗣子なくして家系断絶す、之によりて当城破却す。その後、総郭内に真田氏の代官屋敷あり、本郭内に松平氏の陣屋あり、幕末に農兵一小隊の調練場あり、武石共有の郷蔵あり、小区取り扱い所等ありしが、此の遺跡は見る影もなく平げられて、武石小学校及び村役場の敷地となる。

武石城(上田市上武石) (1)
武石川に接する南側方面。改変されて何のかけらも見当たらない。

【城跡】

記述されている通り「見る影もなく平げられ」ている。グランドの南側に桜の木が植えられた土塁があるが、往時のものなのか判断出来ない。水堀に囲まれた方形館があり、戦国時代に突入すると外敵に備えて対岸の山に砦を作ったという流れであろうか。

武石城(上田市上武石) (2)
東から見た居館の中心部(プールのあたり)

武石城(上田市上武石) (5)
城域東側の堀跡。この先の下武石信号機辺りまでが居館跡だと伝わる。


≪武石城≫ (たけしじょう 大和守屋敷 大井本城)

標高:660m 比高:14m  
築城年代:不明
築城・居住者:大井氏
場所:上田市下武石
攻城日:2014年4月29日
お勧め度:★☆☆☆☆ 
城跡までの所要時間:-分 駐車場:グランド横にあり。
見どころ:-
注意事項:小学校の敷地内なので授業中は立ち入り不可。プールの季節は撮影不可(通報されます)
参考文献:「信濃の山城と館③上田・小県編 宮坂武男著」
付近の城址:鳥屋城、鳥羽城、中山城など

武石城(上田市上武石) (7)
武石川を挟んだ南側には詰めの城と推定される中山城がある。戦国末期まで使用された山城で必見の価値がある。

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Posted on 2014/10/17 Fri. 22:09 [edit]

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