らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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北郷古城 (長野市浅川北郷)  

◆善光寺平への侵入を見張る居館城◆

浅間山に三回目の雪が降ったので、古老の言い伝えに従い乗用車の夏タイヤを冬タイヤに交換した。

今年は暖冬になるという予報もあるが、冬将軍様は気まぐれなので用心に越した事は無い・・(汗)

今回ご紹介するのは、北郷の集落の南で北浅川の渓谷に突き出した地形の北郷古城。谷を挟んで北郷本城がある。
現在残る遺構は改変されてしまい居館城の形式は辛うじて読み取る事が出来るが、築城時期は本城も古城もほぼ同時であろうか。

北郷本城・古城 (123)
北側から見上げた主郭の裏側。取付道路の開通で改変が著しいが切岸の処理は往時のままであろう。

【立地】

飯綱高原から善光寺平への入口にあたる北郷の集落の南に位置し、北郷本城とは北浅川渓谷を挟んだ北北西に位置する。

北郷古城見取図①
北浅川の渓谷に突き出る地形を効果的に利用した縄張り。

【城主・城歴】

長野県町村誌の「古城墟」の項に「築城、廃棄、年暦、事蹟不詳。里老の口碑に、初め松井大炊慶林入道なる者居城、後村上氏の幕下小林伊勢守居住し、天文二十二年八月村上氏東国退去の後、弘治二年(1556)武田の将、高坂弾正昌信の居城となり、永禄元年(1558)昌信海津城代に交代せしという。今は耕地となりて其の形跡を存せず。」とある。
史料無くハッキリしないが、上杉との境目に辺り武田の防衛が入ったであろうことは想像に難くない。

北郷本城・古城 (99)
緩い切岸を伴う城域の西方面。(郭3より)

北郷本城・古城 (100)
郭3から見た北郷本城。太鼓や鐘で連絡出来る位置なのが分かる。※ここは民家の軒先なので注意しましょう。

【城跡】

驚いた事に北郷本城とほぼ同じ標高である。(北郷本城は標高748m、北郷古城は740m)耕作地化と道路の開通により往時の縄張りの細部は失われたが、渓谷に張り出した険しい台地を利用した居館城の威容は感じる事が出来る。
主要な郭はプライバシーを伴う住宅地なので、取材には許可が必要だ。

北郷本城・古城 (101)
郭1の石坂氏宅の南側の巨大な土塁。

今回、主郭の所有者である石坂氏に許可を頂き、郭1とその周辺への立ち入りと撮影を行いました。※無断侵入禁止なのは言うまでもない。

北郷本城・古城 (102)
唯一の遺構である主郭南側の高土塁。

北郷本城・古城 (110)
主郭の東側。

北郷本城・古城 (113)
土塁の上から北東方面を撮影。

住宅の建設による改変、集落内の取付道路の開通などにより往時の面影はざっくりとそた感じになってしまったが、北郷集落の入口を守るには中々の要害の地である。

北郷本城・古城 (121)
城域の西側の道路より撮影。

古城の名が示す通り、ここで敵を迎え撃つには貧弱で防御もままならない。甲越戦争において上杉の来襲を意識した武田が対岸に本城を新たに築城したと見るべきであろうか。
このような山間にも戦の緊迫感が漂っていたとは、今の時代からは想像も出来ない。

≪北郷古城≫ (きたごうこじょう 城 城の山)

標高:740m 比高:90m(県道より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市浅川北郷
攻城日:2014年11月16日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:-分 駐車場:無し
見どころ:土塁
注意事項:城跡は全て民家なので立ち入りや撮影は必ず許可を得る事。無断侵入は厳禁。
参考文献:「信濃の山城と館② 更埴・長野編 宮坂武男著」
付近の城址:北郷本城

北郷本城・古城 (91)
県道側から見上げた古城。


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Posted on 2014/11/28 Fri. 07:38 [edit]

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