らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

1225

蟻城2 (リテイク 南佐久郡佐久穂町穴原・崎田)  

◆甲信を結ぶ烽火台としての西城・南城、そして謎多き山麓の北城◆

最近はSNSの進化が著しい。その昔はHP(ホームページ)、日常の出来事をより簡単に記録してくブログ、最近はツイッター(Twitter)、はたまたスマホのLINEでの情報共有。山城マニアの先駆者は既にその領域に積極的に入り活躍している。
小生もツイッターのアカウント(@galm2fox2)は所持しているがイマイチ良く分からず化石状態である・・・(笑)
「習うより慣れよ」の精神で何とか発信していきたいので、ツイッターご利用の方はフォロー頼みます・・・(爆)
※残念ながらフェイスブックは繋がる相手のレベルによっては個人情報ダダ漏れの可能性が否定出来ないので、小生は登録していない。

今回ご紹介するのは2011年8月に未踏査のまま掲載した「蟻城」(ありじょう)のリテイク。(西城・南城)

蟻城2 (192)
蟻城の西山麓の東電の調整池付近は、嘗て「信玄道」と呼ばれ武田軍の余地峠越えの上野国への軍道だったという。
※登り口じゃない場所に説明板を立てるのはオカシイと思うが・・・(写真は南城遠景)

さてさて、前回は「妖怪のせい」にして(笑)、敵前逃亡(本来なら銃殺刑か?)したが、今回は性根を据えていつもの縦走プラン。地図を見ながら「西城⇒南城⇒北城」の順番なら無理せず回れると思い実行。西城には神社があるので参道を探したが見つからず、やはり「直登」がお似合いだったとか・・(汗)

蟻城とその周辺図
国土地理院1/25000に落書き。色々な見解があるが三ヶ所回るならこのルートがコスパに優れている(引越しは日通?)

【立地】

蟻城(南城)は南佐久郡の中央部穂積地籍の河岸段丘上の高峰1047mの山頂にある。ここは千曲川が西方へ弓状に張り出した湾曲部へ、茂来山(もらいさん)の支脈がのびてきており、山頂の本郭からは南北に通じる千曲川の谷筋を、北は佐久平から南は野辺山まで一望にとらえられ、佐久郡第一の眺望を持つと言っても過言ではない。

蟻城2 (188)
地図に記載のある始点場所。ここから尾根伝いに登っても西城には辿りつける。

【城主・城歴】

この城に関しては全く記述や史料が無い。甲州街道から進むと佐久平への眺望が開ける最初の場所になるので、海ノ口方面との連携において烽火台が置かれた可能性があると言う。近くに武田軍の初期の宿城である「宮の上」(みやのうえ 現在の小海高校付近の台地)が見渡せる位置にもあり、」また、余地峠を越えて上野国への進軍する信玄道が東電の調整池付近を通過しているので、勝見城と共に武田による手が加えられてと考察される。

最高地点にある南城と西の支脈にある西城は同一時期の使用と想定され本城と砦の関係にありそうだ。しかし、北東尾根の先の北城は全く別物の居館城で築城時期や目的は異なっている。

蟻城2 (1)
へそ曲がりなので、畜産団地の脇の池から強引に西城の東斜面を直登する(笑)

【城跡】

俗に云う所の「一城別郭」(いちじょうべっかく 同じ城域でありながら独立した主郭を持つ城が二つある様)に見えるが、南城と西城は連携した一連の縄張りであり、北城は全く別物でしかも築城時期は戦国後期で新しいようだ。北城の二重横堀は明らかに南城が奪取された場合の攻撃に備えている。
蟻城見取図①
西城と北城。縄張り図をみれば築城時代や防御技術が全く違う事が見て取れる。

●西城(半僧防山)

中心の主郭の前後に副郭を置き西斜面に対して段郭を重ね、尾根を堀切で遮断したオーソドックスな手法の砦。
主郭は神社の社が祀られているが西側に土塁が盛られている。南城との尾根の中間地点には堡塁がある。

蟻城2 (6)
主郭と手前の副郭(灯篭のある場所)

蟻城2 (11)
北尾根を遮断する堀切㋐。宮坂武男氏は堀としているが、塁壁または切岸と見る方が良いのかもしれない。

蟻城2 (16)
旧八千穂村(やちほむら)時代に村指定史跡に指定されている。

蟻城2 (17)
主郭の西側の土塁。段郭も置かれているので防御指向は西斜面に対して敷かれている。

蟻城2 (22)
南側から見た主郭。

蟻城2 (28)
土手付きの堀切㋑。南城と共通の仕様である。

蟻城2 (30)
西城へ続く尾根。途中に埋まりかけた堀切㋒があり西城としてはここまでだろう。その先には標高967.5mの堡塁がある。

蟻城2 (34)
人工的な手が加えられたか不明な堡塁。

●南城 ※狩猟シーズンは鉄砲隊に注意!

テレビ塔建設時の作業道として林道が頂上まで通じている。四駆なら乗用車でも南城へ登れるが、遺構を見るなら疲れるけれども西城経由で登ろう・・(笑)

独立峯のピークに土塁で囲まれた主郭、三方の尾根に段郭を置きそれぞれの尾根を堀切で遮断している。テレビ塔の建設と作業道の開通で南尾根が不明瞭になってしまったが、最低限の損壊で済ませたのは行政の配慮であろうか。
物見砦としては最高のロケーションで、この位置に武田軍が烽火台を置き常駐させた意味が良く理解出来る。

蟻城見取図②
烽火台としても電波塔としても最高の立地場所だったのだ。

蟻城2 (42)
分かっていても車道が出現すると「がっかり」するものである(汗)

蟻城2 (44)
南尾根の郭跡。さすがにここから海ノ口城へ烽火で一発で伝達するのは難しいと思われ、少なくとも宮の上、松原湖を経由したと思われる。

その昔は烽火台としての通信場所。文明の利器が発達したといえども、テレビの電波も障害物があっては先にすすめません。通信伝達の要衝の地であった訳ですね・・。

蟻城2 (45)
南郭から見た主郭方面。遺構を壊さないように最大限の配慮があったようだ。

蟻城2 (47)
周囲を土手で囲まれた南尾根郭。

蟻城2 (61)
主郭の一段下の「コの字型」段郭。

蟻城2 (62)
東尾根の堀切㋖。

蟻城2 (67)
続く東尾根に三条の堀があるというが、「あれ」であろうか?

蟻城2 (77)
標高1047mの最高地点にある南城の主郭。かすかに土塁の跡が確認出来る。

蟻城2 (79)
東尾根の副郭は平削も甘い。

蟻城2 (81)
その昔は標柱写真は大将首と同じ価値があると信じていたが・・・(爆)

蟻城2 (92)
大石川烽火台は目と鼻の先にある。

蟻城2 (86)
佐久穂町の中心部を見下ろす。

蟻城2 (95)
主郭の西側を外周する段郭。

蟻城2 (104)
蓼科山の裾野の「通(とおり)」「馬越(まごえ)」集落のある台地も武田軍の軍用道だったという。

蟻城2 (100)
北尾根の堀切㋕。

蟻城2 (107)
北尾根の平削された尾根。

蟻城2 (109)
北尾根最終の堀切㋔。北尾根が大手だった可能性は否定出来ない。

ご覧頂いたように、南城を本城として支城(または出城)として西城が機能していたというのが普通の見方であろうか。
独立峰の上の烽火台としては規模も大きく、武田軍がいかに重要視していたかを物語る縄張りである。

北城については、全く違う城館なので、次回の記載としたい。

≪蟻城 西城・南城≫ (ありじょう にしじょう・みなみじょう)

西城 標高:930m 比高90m  南城 標高:1047.7m 比高200m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:南佐久郡佐久穂町穴原・崎田
攻城日:2014年12月13日
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:30分(南城まで)
駐車場:無し。適当に路駐。
見どころ:堀切、土塁、ロケーション
参考文献:「信濃の山城と館①佐久編」(2013年 宮坂武男著) 「定本佐久の城」(1991年 郷土出版社)
注意事項:冬は鉄砲隊に注意。

蟻城2 (193)
対岸の大石川烽火台より見た蟻城全景。









Posted on 2014/12/25 Thu. 22:49 [edit]

CM: 4
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top