らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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鉄砲隊の恐怖  

◆山の中で一番出逢いたくないのは人間だいう現実◆

昨日は、信濃先方衆「悪あがき同盟」の盟友である「ていぴす」殿と再び佐久を徘徊するが、三ヶ所を攻めて「ジ・エンド」。

当初の予定では志賀城(小生は二度目なのでていぴす殿のアテンド)、高棚城、笠原城、と回るはずが、高棚城で登城ルートを間違えてロッククライミングをする羽目となる過酷な攻城戦に及び「お疲れ山肉体疲労寺(おつかれさんにくたいひろうじ)」。最後は笠原城を諦めて内山城の馬場見学と相成り申した・・・(笑)

yama (1)
志賀城の麓にある雲耕寺から見た五本松城。数週間前、あの場所に我々は立っていたのだ・・(汗)

【志賀城】

詳細は小生の以前の記事である志賀城を参照願いたい。
志賀城、高棚城、笠原城、五本松城の四城は笠原氏の持ち城とされ、中心の城が志賀城だったという。笠原城は未踏であるが、他の城と比較すれば志賀城が本城であったというのは合点がゆく。

志賀城2 (52)
本郭南側の石積みと切岸。

志賀城2 (45)
志賀城の東端の堀切。何度見ても背筋に寒さを覚える。逃げられない搦め手というのは覚悟がいる。

【高棚城】

楽勝で行けると踏んだのだが、高棚神社の参道が途中から不明瞭になり仕方なく直登を試みて岩壁に阻まれて万事休すかと思われた・・・(汗)
獣道を強引によじ登って何とか城跡へ。回り道などしたくないが、これも人生である・・(笑)

高棚城 (108)
昔は参拝者が絶えなかったと思われるが、最近では訪れる人も減り、山頂付近の境内は荒れ放題だった。

高棚城 (104)
帰りは神社経由で下山。崩れ落ちそうな建物と踏み跡の消えた参道がもの悲しかった。

高棚城 (24)
高棚城の主郭。古いタイプの城で詰め城、逃げ込み城に属する部類であろうか。

この日は、城攻めの前に麓の車道で鉄砲隊とすれ違っていたので、この時期特有の嫌な予感がしていた。

志賀城では北の沢沿い付近で銃声が響いていたので、あまり危機感は無かったが、ここでは城跡のある尾根の下から話声、猟犬の鳴き声、至近距離での銃声。こちらの位置を知らせるために大声で呼びかけ誤射されないようにしたのだが、聞こえていないらしい・・・(汗)

残念だが、慎重に尾根を伝って郭の調査もそこそこに撤収という判断となった。最近の鉄砲隊は高齢化が進み仲間内でさえ誤射騒ぎが多いらしい。こんな場所で熊と間違えられて死ぬ訳にはいかない・・(泣)

ねぶた城 (2)
北側のねぶた城から見た高棚城。

狩猟期間は短いのでハンターの皆さんも待ちに待ったトップシーズンである。文句を言われる筋合いは無いだろう。
が、我々のような山城ヲタクのシーズンも短い。

戦国時代の鉄砲隊なら間違って当たる確率は低いが、現代の鉄砲隊はライフルスコープの精度も向上し、2km先の獲物も斃すという。誤射される可能性は否定出来ないのである。

最近は害獣駆除の名目であれば年間を通じて銃の使用が許可される傾向にある。
鉄砲隊の音が聞こえたら、無理をせずにさっさと撤収するのが安全である。無駄死になど愚の骨頂であろう。

高棚城 (48)
高棚城から見た「ねぶた城」と高坂東地集落。


【内山城の馬場】

武田時代は佐久地方を統治するための拠点として整備され、城も大幅に改修が施され小山田備中が城代となり城下町も形成されたと言う。諏訪郡代の置かれた上原城を思い浮かべて頂ければ良いかと思われる。

内山城3 (7)
内山城の南尾根の通称「馬場の平」(ばばのたいら)

ここまで馬を連れてくるのはさぞかし大変だったと思うのは余計なお世話である・・(笑)
籠城時における物資の貯蔵倉庫などが置かれていたようにも思える。

内山城3 (9)
東側の土塁は登り石垣の様相を呈している。塩田城、塩崎城と類似している遺構だ。

この城に登ると毎度の事ながら凄まじい銃声に脅かされる。この音は確かに鉄砲隊の銃声だが、沢を挟んだ北西にある「佐久国際射撃場」からの音であり、玉は間違っても飛んでこないので心配は御無用である・・・(笑)

内山城は志賀城と共に佐久を代表する見応えのある山城である。比較的比高も低いし道もハッキリしているので、全ての尾根の遺構を見て頂きたく小生のイチオシである。北の井戸跡も見学してもらいたい。

内山城201411 (26)
井戸のある北斜面に展開する石積みの防塁。

信州の山城というと、どうしても甲越紛争の激戦地であった川中島周辺から北信濃に人気が偏ってしまう。
ましてや松代周辺は石積みを多用した独特の縄張りを持つ城が多いので無理からぬ事ではある。

それはそれで仕方が無いにしても、我ら信濃先方衆の評価とすると、佐久の城は実にマニアックなのである。
天正壬午の乱では徳川さんも後北条さんも佐久に侵略してきているので、場所によっては戦国末期まで改修されている。

佐久を極めるなど、まだまだ先の話であろうか・・・(爆)

閼伽流山城 (86)
高棚城と志賀城の間の山麓の水田の中に鎮座する笠原新三郎清繁の塚(推定)。

冬眠するクーさんよりも怖いのは、人間なのだと改めて感じた次第でございます。

遠路はるばるお越し頂く方は、くれぐれも鉄砲隊にご用心下され・・・・(汗)

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Posted on 2014/12/02 Tue. 22:21 [edit]

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