らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0317

山城シーズンの追込み開始を襲う悲劇  

◆こりゃあ、ダイエットせにゃ死んでしまいますw◆

2週間ぶりに連休が取れたので、土曜日は単独で「村上連珠砦(むらかみれんじゅさい)」の再調査、二日目の日曜日は信濃先方衆ていぴす殿のアテンドで上田市丸子の難易度MAXの山城攻略をアテンド。

残念ながら二日目は右膝が慣れ親しんだ我が体重に抗しきれずに悲鳴をあげるが、強行突破してスケジュールを消化。

恐らく明日は名誉の負傷で仕事にならないだろう・・・・(汗)

デブ化している訳ではないが、老化は「足から・・・」(笑) 自重を減らさないと・・・ネ(爆)

【3月14日 村上連珠砦群 攻略】

行程図①
上田「道と川の駅」から見た写真に落書き。

まあね、この砦群というか、虚空蔵山を知り尽くしていないと、こういうおバカな縦走は思いつかない・・(笑)

●物見砦  比高275m

尾根は峻嶮な岩山なので西側の沢伝いを藪漕ぎ。道も無くバイパスが長いので約1時間の悪戦苦闘タイム・・・。

物見城(村上連珠砦群) (6)
主郭北側の石積み。

物見城(村上連珠砦群) (21)
主郭。

小さな郭2つしか無い監視用の砦だが、ケムリの城と共に重要視された。

岩盤を刳り抜いた五重の堀切がその証であろう。

物見城(村上連珠砦群) (24)
岩盤を刳り抜いた堀切(郭1と郭2の間)

物見城(村上連珠砦群) (45)
背後を5連続の堀切で断ち切る豪快さは信濃の山城の醍醐味である。

物見城(村上連珠砦群) (17)
ここからはケムリの城が良く見える。構造もバッチリ。

物見城(村上連珠砦群) (3)
和合城との連携もバッチリである。

●ケムリの城

今回で5回目である。どれだけ好きなん?って思われそうだが、その通りである(笑)

こんな山の中で、重機も無い戦国時代にこんなデカイ土木工事をするなんて考えられないのである。

ケムリの城(村上連珠砦群) (10)
上巾15m、深さ9mの岩盤を叩き壊した巨大な堀切。

ケムリの城(村上連珠砦群) (26)
岩盤剥き出しの荒ぶる堀切(笑)

その名のとおり烽火台が置かれ、村上氏時代には塩田城との繋ぎと監視、武田氏統治時代を経て天正壬午の乱では上杉氏が徳川に付いた真田氏の監視を行ったのかもしれない。

ケムリの城(村上連珠砦群) (52)
郭2の側面は厳重な石積みで防御されている。

ケムリの城(村上連珠砦群) (56)
さっきまで徘徊していた物見城が眼下に。遠く子壇嶺岳城(こまゆみだけじょう)、和合城も視界に入る。

戦国末期まで現役として使われた物見砦にふさわしい緊張感がある。小生の大好きな山城である。


【3月15日、封印した禁じ手の城の再踏査】

同胞である「ていぴす」殿の要請を断れずに、自分の記憶の中の「ヤバい城ベスト5」に入る二ヶ所を再攻略。

前日の村上連珠砦ですでに両足がパンパン・・・だが、アテンドせねば男が廃るというもの・・・(汗)

●鳥羽城~実は死と隣り合わせだった北尾根攻城ルート~

今回の再踏査で、実は4年前に記載したブログの記事が誤りであった事が判明した。小生が主郭と思いこんでいたのは全くの勘違いで、実際の城域はそこからさらに200m南のピークだったのだ・・(汗)

鳥羽城2 (4)
鳥羽城の麓になる鳥羽氏館跡。城館の南の奥に堀切があったようだが、藪漕ぎしても確認出来なかった。

鳥羽城2 (9)
北尾根の中間地点のピークから見た丸子城。素晴らしい。

喘ぎながら絶壁をよじ登り、四年前の記事で推定した城跡に辿り着くも、スマホに表示された国土地理院の地図は城跡を確定する三角点では無かった・・・(汗)

「ここでは無かったというのか・・・」

鳥羽城2 (14)
城域まで残り200m。巾1m、しかも左右絶壁の痩せ尾根を越えなければならない。

「止めますか?」  さすがに不安そうなていぴす殿であった。

ロープもチェーンも無い。生坂村の京ヶ倉~大城の尾根を想い出すが、あそこは万が一滑っても左右の松が転落防止に役立つ。ここはガレの岩山で足を踏み外したら即死である。

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剥き出しの岩盤を這うように慎重に切り抜けるのだ・・・

「山城見たさに死んではいけない・・・」  小生は常々忠告してきた。

が、今回は結果オーライだったとしても、ていぴす殿を巻き込んだ事を深く反省している。

鳥羽城2 (20)

鳥羽城2 (21)

結論から言おう。

この城の探索は興味があっても絶対に止めて頂きたい。北の尾根は危険すぎる。

それでもと思い、消えかけた本来の大手道を探すも、深く入り組んだ複雑な沢で迷子になるのは必然だ。

鳥羽城2 (59)
主郭と鳥羽氏を称える石碑。

我々は帰路を深山集落へ続く東の尾根に切り替えた。下りなのに長い尾根n為、行きの2倍以上の時間がかかった。

「生きて帰りたい」  それだけのことである。

鳥羽城2 (100)
小屋坂峠方面から見た鳥羽城。どうしても行きたい方は反対側(東尾根)の深山集落からチャレンジしよう。


●水の手城~連日の厳しい攻城戦で右脚に激痛が・・・負けるもんか!

登山道など無い直登の連続は、日頃の運動不足の身にはかなりの負担らしい・・(汗)

本日の二個目の水の手城、気力だけはあるのだが、体力が続かずとうとう右脚が悲鳴をあげてしまっった。

水の手城2 (4)
荒れた東尾根をイッキに直登し古い形状の城跡(A地区)に辿り着く。

実はこの城、二度目なのだ。四年前に単独でチャレンジし、最後の本郭手前で体力と気力が続かず断念した苦い記憶がある。

「諦めた自分」に対してのリベンジマッチでもあった・・・足を引きずってでも最後まで・・・

水の手城2 (10)
対岸に鳥屋城が見える。

この城域、尾根先の古い城のAと途中の岩山を挟んでさらに奥のB・C・Dと分割される。

なので、途中岩尾根で行き止まりとなり、裏側をトラバースしないと奥の城域には辿りつけない。実に厄介なのだ。

水の手城2 (15)
トラバース中の景色。道が無いので慎重に進む。

水の手城2 (17)
B地区の堡塁を見上げる。

水の手城2 (33)
前回はB地区のこの場所で「万事休す」

休み休み痛む右脚をかばい、ていぴす殿にはご迷惑をお掛けしつつ、前回のリベンジポイントに来た。

C地区への急斜面は、もはや根性と気力・・・スポ根真っ青(割り)

水の手城2 (35)
本郭の切岸。キツイ。

そして、とうとう辿り着いたのである。

水の手城2 (38)
本郭(C地区)。奥に土塁のカケラが残る。

水の手城2 (46)
岩盤を刳り抜いた二重堀切。

水の手城2 (67)
郭2(D地区)

まあね、登ったら下りなくちゃいけないので、感動もつかの間、右脚を引きずって下山・・(笑)

そのうち記事にしますが、いつになるやら・・(爆)

水の手城2 (75)
水の手城の遠景

この場を借りて、負傷した雑兵を見捨てなかった「ていぴす殿」には感謝感謝でございます・・・(笑)




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Posted on 2015/03/17 Tue. 08:47 [edit]

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