らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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今年の山城TOPシーズンも北信濃で終戦なのか?  

◆長閑な山村にも押し寄せた怒涛の戦乱◆

今週末の18日(土)・19日(日)は「ていぴす」さんと信濃先方衆として、U殿御一門様のアテンドツアー、そして来週25日(土)はG殿主催の小諸オフ会でツイッター仲間との初集会予定。結構スケジュールが詰まってきた・・・(笑)
※4月25日の小諸オフ会に参加ご希望の方はツイパの小諸オフ会でお申し込み受付中。※ツイッターのアカウント登録が必要になりますのでヨロシクお願いしますw

楽巌城・布引城201409 (85)
小諸オフ会では楽厳寺城の三日月堀も見学コースになっている。(のちの武田軍の三日月堀のルーツとも)

小生の最近の動向といえば、怒涛の木曾路への三度の遠征。そこまででよせばいいのに、北信濃へ転戦。


【4月4日 旧中条村の攻城戦】

ていぴす殿との北信濃攻防戦。以前より攻略目標を立てていた武田軍の在番城である「柏鉢城(かしわばちじょう)」と、その屋敷跡の遺構の残る「御旅屋(おたや)」、覚悟の登山を強いられた「小虫倉山城」。丸一日掛けてこの2.5城だけとは情けなかったが、仕方あるまい。

●柏鉢城

第二次川中島合戦の和議の条件として、北信濃国衆の旧領回復を認めた為に善光寺平から撤退を余儀なくされた武田軍が、鬼無里・戸隠・飯縄山方面への前線基地として構築したと伝わる山城である。

柏鉢城 (2)
麓の清水地区から見た柏鉢城。登山口からの比高250mだが、体感では比高400m級の山城である。

柏鉢城 (76)
本郭に立つ標柱。城域の両サイドは急峻な岩崖なので、防御における加工箇所はさほど多く無い。

柏鉢城 (61)
雲海の向こうに葛尾城、虚空蔵山まで見渡せるロケーションには感嘆。

●山麓居館跡の探索

信玄より柏鉢城の城番を命じられた家臣が国衆が屋敷を構えた場所が「御旅屋(おたや)」として遺構が残ると言う。日本城郭体系8に掲載された縄張り図を元に調査するが断定には至らず。
春先に誤って人工池に落ちて溺死したと思われる小熊の浮遊する死体にビックリ。

御旅屋跡 (28)
それっぽいイメージはあるのだが、古図に記された水路の石積みも土塁も見当たらない。

御旅屋跡 (34)
農業用の溜め池。子熊は厳寒期に凍結した湖水の氷が割れて転落死したものであろうか。

●小虫倉山城

昨年11月の白馬神城地震により虫倉山の山頂の崩落や途中の登山道に土砂崩れがあり、現在は隣接する小虫倉山も含めて全ての登山ルートの通行が禁止されている。
なので、我々は麓の岩井堂観音から大姥神社(小虫倉山)への修験者として通行したのである(汗)

小虫倉山城 (2)
登山者の通行は禁止されています。

小虫倉山城 (57)
片道90分の修行の果てに辿り着いた小虫倉山。残雪に行く手を阻まれ難儀する。

山間部の山城は、容易く攻められるものではない。
地元を知り尽くしたと嘯く我ら信濃先方衆にも、時には閉口するような厳しい山城に出逢う事がある。

古屋敷城山城 (53)
翌週の12日に古屋敷城山城から見た小虫倉城。結構な高さだったのだ。


【4月12日 旧中条村・小川村の攻城戦】

親交のある「あおれんじゃあ」様の言葉ではないが、信州人はシツコイのだ。

実は先週探索した「柏鉢城の山麓の屋敷跡」の推定場所には納得が出来ず、撮影した写真と古地図との照合、航空写真との照合を行い、場所が違うという結論に達した。

「んじゃあ、もう一度行くべ・・・」 このことである(笑)


●古屋敷城山城

せっかくなので、付近の城館跡も立ち寄る事にした。
古屋敷(ふるやしき)という地名が残る場所には、屋敷と物見砦の小山がセットで残っていた。

古屋敷城山城 (65)
簡単な堀切と土塁が残る古屋敷城山城。


●柏鉢城の御旅屋

柏鉢城の登山道の手前200mのカーブの西側に古図と一致する遺構が確かに残っていた。
今回はこれだけ探しに来たといっても過言ではないので、発見出来てなんかとても嬉しかった・・(笑)

柏鉢城御旅屋 (16)
屋敷跡。耕作により改変が進んでいるが、古図とほぼ一致する。

柏鉢城御旅屋 (27)
堀では無く「水路」の跡。(排水路方面)

柏鉢城御旅屋 (51)
天然の沢水を城内に引き込む取水口。

まあ、この辺の調査結果については個別のブログでの報告を待って頂きたい・・・・。いつになるか分からない・・(汗)


●須坂城・持畔城

不審者と間違われないように小生を見ていた近所の畑で作用していたお爺さんに話しかけたのが運の尽きだった・・・。

持畔はここじゃないとか、城なんぞないとか・・・。スマホに表示された国土地理院の須坂城の三角点(739.7m)まで約100mを残して撤収。小生が立ち去るまで監視されていたのでサッサと退却。ダメだこりゃ・・・の気分(汗)

畦持①


●飯縄山砦

車で城跡のある山頂近くまで入れると書いてあった.が、入口に侵入禁止の表示とバリケードがあり撤収する。地震の影響があったのかもしれない。この場所は鬼無里村との境界線に位置するので、戦国時代には境目の城が置かれたというのも頷ける話だ。

飯縄山砦①
遠く北アルプスが望める絶景だ。

●椿峰城

民家をうろつくには勇気がいる。屋敷+見張り砦というスタンダードで、この仕様は梶尾城も同じだった。

椿峰城 (3)
屋敷跡の切岸と深い沢。沢を隔てて物見砦があった。

●梶尾城

梶尾城には大日方一族の三太夫が居住し、下末の根古屋の大日方家にお客として呼ばれて斬殺されたという。
大日方一族にまつわる話は何度調べても拙者には、ようわからん・・・(笑)

挙句の果てに、畑を耕していたオヤジ殿に呼び止められてしまい根掘り葉掘り事情聴取を受けた・・(汗)

梶尾城 (39)
既に廃墟と化した大日方三太夫屋敷跡。

梶尾城 (27)
隣の集落には昨年お世話になった大日方英雄氏の根古屋がある。


今回巡った場所は、そのうちレポートでも書きたいと思いつつ、果たしていつになるやら・・・。
※当初、寝ぼけてブログをアップしてしまいましたので、お見苦しい画像になったことをお詫びします・・・(汗)

じゃんじゃん!











Posted on 2015/04/14 Tue. 23:19 [edit]

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