らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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燕城2 (リテイク 上田市上塩尻)  

◆在地土豪の物見砦か◆

上田城跡公園の桜も咲き始め、山城シーズンの終了は目と鼻の先まで迫っている。

そんな中、4日(土)は天気が良いと聞いて北信濃へ向かった信濃先方衆は、再び深い霧と残雪に行く手を阻まれた。

柏鉢城 (4)
標柱も割れる衝撃と登山禁止の文字。それでも我々は前に進むしか無かった・・・・

一日中ヘロヘロになって「僅かに山城二つと居館跡一つ・・・」これだけの戦果だった・・・(汗)

その聞くも涙、語るも涙の奮戦記はまた今度・・・(笑)

今回ご案内するのは村上連珠砦の中では比較的低い比高(それでも200m)の「燕城」(つばくらじょう)。

燕城遠景①
行き方は上塩尻神社から険しい沢を登るか、上塩尻の屋敷裏から桑畑跡を辿り脇の西平に取り付く。またはケムリの城から尾根伝いに下る。※尾根の分岐(城から約100m)を間違えないように。

【城主・城歴】

「小県郡誌」(大正十一年)には「燕城は塩尻村上塩尻區字原にある山城なり。本郭は東西十三間、南北三十間。里傳に塩尻五郎左衛門の守る所なりという」とある。

燕城(村上連珠砦群) (6)
ケムリの城から100m下り尾根の分岐を更に東へ下りると先端に城が現れる。

【城跡】

楕円形の主郭(22×9)は土塁が回っていて東に一ヶ所切れ口があるので、虎口であろう。前後を堀切で穿つ単純な縄張りで、堀切㋐は岩盤を刳り抜いた堀切なので、物見城、ケムリの城と同時期の補強・改修と思われる。
尾根を遮断する二重堀切は落差があるものの、物見城やケムリの城より簡単だ。

燕城縄張図②

燕城(村上連珠砦群) (9)
西尾根から見た二重堀切と主郭

燕城(村上連珠砦群) (10)
やる気の感じられない二重堀切の拡大(笑)。だいぶ埋まったようだ。

燕城(村上連珠砦群) (16)
土塁が囲む主郭と東端の虎口。

燕城(村上連珠砦群) (29)
岩盤を刳り抜いた堀切㋐。気合が足りなかったようだ。(東側より撮影)

燕城(村上連珠砦群) (23)
東側に突き出た郭は痩せた岩剥き出しの尾根。

燕城(村上連珠砦群) (26)
主郭の北側には武者走り(ってか走れない)のような通路の段差が付けられている。

燕城(村上連珠砦群) (36)
城域の東側と南側は急崖で人を寄せ付けない。(南斜面から城を見上げてみた)

【村上連珠砦ワンポイントガイド】

上田市塩尻地区は江戸時代から養蚕が盛んな地区で、特に大正時代から昭和初期にかけては長野県全体の蚕種生産量の1/4を誇った。そのために虚空蔵山の斜面はかなり標高の高いところまで桑畑となり、千曲川の河原石を積み上げた「ヤックラ」という石積みが山中に広く作られた。
燕城の西側の平削も桑畑として開墾され、山麓まで石積みの段々畑の跡が広大に残る。
隣の東の尾根の持越城(もちこしじょう)周辺も桑畑で開墾されかなり奥まで石積みが見受けられる。

なので、どこまでが戦国時代の石積みでどこからが桑畑の石積みなのか判断に迷うところだが、村上連珠砦は和合城、物見城、ケムリの城などを見ても分かる通り、石積みが使われた事は間違いない。

燕城(村上連珠砦群) (34)
燕城に隣接する西平地籍の桑畑跡と石積み跡。この遺構は城と関係が無いので注意が必要だ。

≪燕城≫ (つばくらじょう)

標高:632m 比高:200m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上田市下塩尻
攻城日:2015年3月14日
お勧め度:★★☆☆☆ 
城跡までの所要時間:ケムリの城から下り10分
駐車場:無し
見どころ:堀切、土塁
参考文献:「信濃の山城と館③ 上田・小県編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版) 
通常ルート:本文記事参照
付近の城跡:村上連珠砦を楽しもう!
その他:

燕城(村上連珠砦群) (32)
雑木林が邪魔でロケーションは良くない。




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Posted on 2015/04/05 Sun. 11:56 [edit]

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