らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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山口城②・御屋敷編 (飯山市旭)  

◆山口城の平時の生活空間◆

麓の居館と山城のセットなどと書くと、「今さら何を時代遅れな定説を・・・」などとお叱りを受けそうなこの頃である。

そうノタマウ某城郭研究者によれば「城は軍事構築物であり、軍事学からの視点での究明も必要である」との仰せだ。
この点に関しては全く同感なのだが、最近は「城メグ●●ト」なる某女史と組まれて一過性の中世城郭ブームに乗っかり山城巡りをにこやかにアテンドしているお姿を拝見すると、学者稼業も硬派だけではダメなんだなあーと思った次第・・・(笑)

今回お届けする山口城第二弾は、馬場を持つ麓の「御屋敷」。

山口城 (3)
西側から見た御屋敷の主郭。

●御屋敷

小城の南400mの台地上にあり、ほぼ円形の53×55の郭と東に隣接する形の馬出しを持つ。ここから山口城の本城は西へ400mの位置で中間に長大な横堀が介在している。
農作業をしていた地主の方にお伺いすると、ここの土地はもともと縁を土塁が周回していたらしいが、耕作地となるに及んで取り壊されたのだと言う。当時の事を知っている村の古老は最近亡くなってしまったので、詳しい事はわからなくなったという。(2013年5月13日の取材)

山口城お屋敷見取図①
ゲジゲジとミドリ虫の図解ではありません・・・(汗)

山口城 (6)
耕作地となったが、往時の形状が残る馬出し(55×30)

山口城 (8)
往時の土塁と柵を再現するとこんな感じかしら・・(笑)。東側の小城との連携は問題ない範囲だ。

山口城 (9)
耕作地となっている現在の御屋敷跡。

土塁は壊され、耕作地による改変は否めないが、南側に両袖に土塁の痕跡の残る虎口が残っている。
そして恐らく主郭の西側には横堀があったと思われる。

山口城のお屋敷 (3)
南に開けられた虎口。

山口城のお屋敷 (12)
現在の農道は堀形を埋めたものであろう。

山口城は本城・小城・御屋敷から成る広大な縄張りを持つ為に、それぞれの築城年代については様々な意見がある。
御屋敷と本城という従来の居館+詰め城の補完として小城が築かれた説、居館+小城の土豪様式から本城を追加築城した説、上杉謙信時代の飯山城防衛拠点としての支城から、天正壬午の乱における飯山城確保の拠点城としての改修など。

残念ながら正解は分からない。

表面観察の限界の現状を嘆く諸氏もいらっしゃるが、想像してみるのも一興だと思う。
歴史学の浪漫とはそういうものであると勝手に思いこんでいるが・・・・(汗)

山口城のお屋敷 (5)
御屋敷から見た山口城の本城。


≪山口城 御屋敷≫ (やまぐちじょう おやしき)

標高:423m 比高:10m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:飯山市旭城平
攻城日:2013年5月13日(初回訪問) 2014年11月24日(二回目訪問)
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:-
駐車場:道路脇に適当に路駐
見どころ:虎口など
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(2014年 宮坂武男著 戎光祥出版) 
注意事項:特に無し
付近の城跡:山口城、中条城・累城、飯山城など
その他:巨大横堀は絶対見るべし(藪の困難に立ち向かう事・・・笑)
Special Thanks:ていぴす様(初回)、あおれんじゃあ様(二回目)

山口城の小城 (63)
東麓からの遠景。



次回は本城の山腹深く眠る長大な謎の横堀について・・・・もういい?・・・・まっ、そうおっしゃらずにお付き合いください(笑)











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Posted on 2015/05/13 Wed. 22:45 [edit]

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