らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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丸子良存館 (上田市腰越)  

◆戦地に赴いた息子の無事を願い神社に寄進状を託した戦国時代の武士の親心◆

ここも木曾義仲ゆかりの伝承の地である。

昭和二十年頃に無住の為廃寺となった蓮乗寺(れんじょうじ)は往時の参道跡と御堂の一部が残るだけだが、義仲が開基と伝わる。

義仲時代の蓮乗寺がどの程度の規模かは不明だが、戦国時代には依田氏の一族である丸子氏の居館跡とされ、寺院も取り込んだ縄張りだったのかもしれない。

丸子良存館 (4)
居館跡の南側は依田川の深い渓谷が刻まれ「大淵」「中淵」と呼ばれる景勝地でもある。

【立地】

大門峠、和田峠に通じる国道152号線沿いの旧丸子町腰越地区で、依田川の左岸の段丘上にある。居館跡から裏山への道は丸子城の搦め手の尾根筋に至る険しい道がある。(現在は遊歩道が作られるも崩落危険の為通行禁止)南側は依田川の淵に接しており要害の地である。現在は「腰越文化伝承館」という建物の建つ付近が屋敷跡と伝わる。

丸子良存館 (6)
蓮乗寺の参道跡。嘗ては居館の冠木門があったのかもしれない。

丸子良存館見取図①
現状の改変された地形から往時の縄張りを読み取るのは難しい。

【館主・館歴】

国の重要文化財に指定されている武田信玄の起請文が納められている生島足島神社には、その他にも真田昌幸や信幸の朱印状などがあるのですが、「丸子良存寄進状」なる珍しい書状が残っている。
この寄進状を納めた人物である「丸子良存」がこの館の主と考えられている。

丸子良存館 (7)
屋敷地の南側は道路の開通により改変されているが、下段の畑に石積みの跡が確認出来る。

丸子良存館 (8)
現在はコンクリートの護岸壁だが、往時は石積み仕様だったと思われる。

●「丸子良存寄進状」(国重要文化財 生島足島神社所蔵)について

以下、「国重要文化財 生島足島神社神社文書 起請文に見る信玄武将」(発行:生島足島神社)より引用転載。

(引用はじめ)
「この文書は丸子良存という武将が、戦に出ている息子の無事を願って、下之郷の生島足島神社の神官に「五百文の広さの土地から取れた本年の作毛(さくげ、収穫物の事)を寄進しますので民部少輔(みんぶのしょう)の無事をお祈りして下さい。」と頼んだときの寄進状です。

この文書は用紙を横に二つに折った、折紙の形式になっています。

今度民部少輔為祈念

五百文之所

當毛寄進可申侯

仍而寄進之状如件

丸子(依田)

良存(花押)
   七月三日
      下郷祢宜殿


年号が書かれていないので、何時いつごろのものか、はっきりしませんが紀州(和歌山県)高野山の蓮華定院というお寺にも、良存が息子の身体堅固を祈って下さいと頼んだ書状が残っていて、書状の中に「当国(信濃国)はことごとく甲越の取合に候。(下略)」と書かれていることから、甲斐(山梨県)の武田信玄と越後(新潟県)の上杉謙信が、天文二十二年(1553)から、永禄年間(1558-70)にかけて、幾度も戦った川中島合戦ごろの文書と考えられています。

また丸子良存(依田良存)は蓮華定院の、戒名や死亡年月日などを書き記した過去帳に「腰越丸子良存」と書かれています。また、依田大和守春賢という武将が、武田信玄から中丸子・下丸子(いずれも丸子町)などの土地を与えられているので、この一族であろうと考えられていることなどから、腰越(丸子町)一帯を領有していた、武田氏配下の武将と考えられています。なお良存の館は、腰越集落西側の山麓に、昭和二十年(1945)ごろまであった、蓮乗寺跡一帯と推定されています。

戦国時代に小県地方の一武将が、戦争に出た息子の無事を願って、神社にお祈りを頼み、寄心状を出していることは、戦うことについてのみ多く残っている文書の中で、当地方の武将の心情を知る上で、興味を引く貴重な文書です。」(引用終わり)

丸子良存館 (10)
旧蓮乗寺の御堂跡。

丸子良存館 (11)
古い五輪塔の欠損、石仏等が往時の伝統を語る。

丸子良存館 (13)
昭和28年~昭和53年までは旧丸子町の養護老人ホームがあり、平成12年に現在の「腰越文化伝承館」が建てられた。

【館跡】

蓮乗寺のあった場所で、現在「腰越文化伝承館」の建つ場所が居館跡と推定されている。一段低い南側も家来や使用人の建物があったかもしれない。
丸子城の居館跡は四つあり、その一つと推定されている。(他は辰ノ口館、安良居神社館、おたや館)

丸子良存館 (17)
丸子城の搦め手に通じる道は現在通行が禁止されている。

丸子良存館 (20)
現在駐車場となっている居館跡の西側。左奥に見えるのが搦め手への登城口。

戦国時代の武将の起請文は勇ましいものが多いが、丸子良存の寄進状のように、戦地に赴いた息子の無事を祈り捧げた文書は極めて異例である。

戦国の世にあって、戦う事が商売稼業の武士といえども、身内の心配は尽きなかったのであろう。子を思う親心はいつの時代も変わりないということが思い知らされるのである。

丸子良存館 (9)
良存屋敷跡から見た腰越橋と「ウモさんにお願いされても、もう二度と行く事の無いだろう鳥羽城」・・(笑)

≪丸子良存館≫ (まるこりょうぞんやかた 東町館・お屋敷)

標高:560m 比高:13m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上田市腰越
攻城日:2015年6月14日
お勧め度:★★☆☆☆ 
館跡までの所要時間:-分 
駐車場:有り
見どころ:-
参考文献:「信濃の山城と館③上田・小県編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版)
注意事項:特に無し
付近の城跡:丸子城、根羽城、中山城、鳥屋城、鳥羽城(はお勧めしません)
その他:道路狭いので注意

丸子良存館 (2)
腰越橋から見た丸子良存館遠景。


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Posted on 2015/06/30 Tue. 22:21 [edit]

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