らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0714

信州街道経由で攻め上がった上野国は猛暑日だった・・  

◆「信濃を巡る境目の山城と館 上野編」の発売を記念して久々に群馬県へ◆

今週は日曜日しかお休みが無いのを承知で、どうしても国道144号線の鳥居峠(信州街道)を越えてみたくなり、朝6時半には家を出た。宮坂武男氏の本(上野編)が出版されてしまえば、居ても立ってもいられない衝動に駆られるのである・・・(笑)

嵩山城(中之条町) (129)
現在は「真田街道」という名前で売り出し中の144号線。果たして思惑通りに進むのか?

とても驚いたのは、羽根尾から岩島までの「八ッ場(やんば)バイパス」が開通していた事であろう。

古来より交通の難所として旅人を苦しめた吾妻渓谷だが、やがてダムの完成により川原湯温泉と共にダム湖に水没する運命となった。

温泉の発見者である頼朝さんもさぞかしご立腹かと・・・・。

潜龍院跡 (52)
八ツ場バイパスから見える有名な「丸岩」。ここも砦跡だ。運転中の撮影は危険です・・・(笑)

記事として記載されるのが何年先になるか不明なので、列記しておこう・・(汗)

【大笹関所跡】 群馬県吾妻郡嬬恋村

鳥居峠の手前の嬬恋村大笹にあり信州街道の須坂や真田方面からの出入りを監視した。寛文二年(1662)に沼田藩真田伊賀守が幕府の許可を得て作るも、天和元年(1681)に沼田藩改易となり以後は幕府管轄の関所となる。昨年ようやく本来の場所に再建されたようで正門のみ復元されている。

大笹関所跡 (13)

【嵩山城】(たけやまじょう) 群馬県吾妻郡中之条町

上杉VS武田の上野国における代理合戦として名高い「嵩山合戦」(たけやまがっせん)の主戦場である。
永禄六年(1563)、斉藤憲広が守る岩櫃城は武田軍の真田幸綱(幸隆)調略と猛攻を受けて落城。越後の上杉謙信を頼り落ち延びた。嵩山城には憲広の末子である城虎丸(じょうこまる)が尻高氏と共に武田に抵抗。謙信の支援を受けていた。

嵩山城(中之条町) (123)
大手参道。あの奇岩を見ると「大変な所に来たなあー」なんて思う訳で。

嵩山城(中之条町) (45)
西側の小天狗。

嵩山城(中之条町) (52)
武田に奪取された岩櫃城も良く見える。

詳細はそのうちに。

永禄八年(1565)、斉藤憲広の長子憲宗が嵩山城に入城し挙兵。武田軍の寄せ手の大将である真田幸綱は斉藤氏の家臣の池田氏の寝返りに成功すると、嵩山城に猛攻を加える。謙信の後詰めも間に合わず(いつものことだ)、抵抗空しく憲宗は自刃し城虎丸は大天狗より身を投げ、足弱(女・子供)も谷に身を投じ凄惨な落城となったという。

嵩山城(中之条町) (93)
嵩山城の主郭(実城)。のちに修験道場になると仏が周囲を囲む異様な雰囲気となり現在続いている。

嵩山城(中之条町) (112)
大天狗。軽くロッククライミングの恐怖に彼方を誘うでしょう(笑)


嵩山城(中之条町) (168)
「サヨナラ」をするには絶景。霊がこの山に集まると云うのも納得です・・(汗)

後詰めも無い、逃げ道も無い・・・そんな山城の辿る落城悲話は凄惨だ。

【城峯城】 (中之条町)

嵩山城の支城というが、藪が酷くて突入も出来ず。秋以降に再トライ・・・(汗)

嵩山城(中之条町) (124)
説明板には熱意を感じるが、大藪には閉口する・・


【山田城】 (中之条町)

岩櫃城の支城とされるが、詳細は不明だ。居館城だとしても防御性は低い。

山田城(中之条町) (1)
うっかり通り過ぎた道路脇の城の説明板。

チョッと不気味すぎ。

山田城(中之条町) (21)
古くから中之条町の指定史跡だったようだ。

【内山城】 (中之条町)

嵩山城の第三次攻防戦で、真田幸綱(幸隆)が前線基地として使用したという記録が残る山城だ。
別名「仙蔵要害」として加沢記にその名が記され「仙蔵の要害に懸け上がり、軍の下知をし給けり」とある。

内山城(中之条町) (3)
大手には看板がある。鉄塔の保守道があるので迷う事はなく行ける。

内山城(中之条町) (31)
幸綱さんも越えたであろう堀切。

元々は嵩山城の支城だったようだが、武田軍の真田方が奪取して付け城として利用したという。

内山城(中之条町) (43)
外気温35度の猛暑日に攻め上がって大藪で撤収・・・(汗)

ヤッパ見るなら冬でしょ(笑)。城域はかなり広いらしいので、この暑さと藪では体力が持ちそうにありません・・・。

なので後日再トライすることにして下りましたとさ。

内山城(中之条町) (44)
遠くに嵩山城が辛うじて見える。


【潜龍院跡】 東吾妻町

天正十年(1582)三月、武田軍は信長による甲州征伐で敗色濃厚となっていた。軍議の席上、真田昌幸は岩櫃城に武田勝頼を迎え入れ武田の再挙を図る事を進言し許された。
昌幸は急ぎ帰国し岩櫃山の南面に三日間で御殿を造営したと伝わる。

しかし勝頼は岩櫃に向かう事なく、天目山で自刃して果てた。この場所は昌幸配下の根津氏に与えられ、潜龍院とい寺院が明治まであったという。

潜龍院跡 (5)
いつ見ても厳しい威容の岩櫃山

潜龍院跡 (23)
岩櫃山の南面に残る寺院跡(現在は石垣のみ)

険しい岩櫃山の麓に、このような広大な土地があるとは・・・・・

勝頼さん、小山田の策を入れて岩殿山など行かずに、ここで再起を図ったらどうであったのだろうか・・・・

潜龍院跡 (31)
小生のベストショット(笑)

真田丸効果を狙って地元の方が一生懸命整備して、幟まで特注品で作り居館跡に立っていた。

岩櫃城を訪問する方は多いが、潜龍院(別名:古谷館)を知る人は少ない。是非訪れていただきたい真田ロマンの場所である。

潜龍院跡 (35)

久々の上野国、しっかりと堪能させていただきました。

本格的な始動は秋口からでしょうネ。今回は下見ということで・・・・・。

こういう記事なら構えず気軽に書けるんですが・・・・(汗)








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Posted on 2015/07/14 Tue. 07:34 [edit]

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