らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0720

木曾義仲伝説の地巡り③ 上田市とその周辺  

◆そろそろ飽きてきたので一挙公開◆

ぼちぼち稼業に戻らないと読者離れに拍車がかかるので今回を一つの節目としたい・・・(笑)

ペースアップしてダラダラと掲載するので、義仲の伝承に感心のあるアナタはお見逃しなく!

【塩野神社】 上田市前山

最初、この神社が義仲ゆかりと聞いて「えー、何で?」と思い、神社の説明板も読んだがそれらしき事など何も無し。それでもと思い、近くに何かないかと探したらありました。それも手塚別当金刺光盛の兄とされる金刺盛澄の流鏑馬伝説・・・(汗)
まあ、兄ちゃんも流鏑馬伝説で有名だもんネ(笑)

IMG_2307.jpg
塩野神社の二の鳥居。一の鳥居と二町(約280m)離れた直線上にあり、流鏑馬が行われたという。

塩野①
塩野神社の一の鳥居。

IMG_2308.jpg
疾走する馬の上から50m間隔の的を射落とす競技だという。

IMG_2310.jpg
一の鳥居から二の鳥居方向には、確かに流鏑馬の舞台となった直線の参道が今も残る。

せっかくなので、下諏訪町の諏訪大社下社にある金刺盛澄像をご覧いただこう。

霞ヶ城2 (1)

ちなみに義仲の家来として斉藤実光を討つなど活躍した手塚太郎光盛の兄の盛澄は、義仲の北陸経由の上洛に従軍するが、地元の流鏑馬の奉納行事の為に帰省し、その間に義仲と弟は討たれてしまったという。(そんな理由での離脱は軍法会議ものだと思うのだが・・・)

その後、武家の棟梁となった頼朝が盛澄の流鏑馬の腕前を噂を聞き及び、鎌倉での行事に召集するが、またしても他の流鏑馬の行事に参加したため遅刻し、激怒した頼朝に死罪を申しつけられる。
金刺盛澄と親交のあった梶原景時の懸命な助命嘆願により、鎌倉で流鏑馬の再披露の場を得た盛澄は寸分違わぬ神技を頼朝の前で披露し褒美と所領安堵を賜ったという。
(ってか、頼朝の差し向けた軍勢に弟を殺された兄は敵に忠誠を誓う、それでいいのか?・・・)

塩野②
塩野神社の本殿。一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の本殿は江戸中期の作とされ独特の美しさがある。



【小鍋立の湯・黒地蔵】 上田市御岳堂

砂原峠の「木曽義仲挙兵の地」という大看板の近くに井戸のような湯元(鉱泉)がある。
現在は朽ち果て無いが、最近までは以下の説明板があったあという。

「小鍋立の湯」
昔、こゝに湯宿があり特に皮膚病、やけどの湯として賑わいました。
なんでもこの話を伝え聞いて、この源泉を汲んでいかれ、自宅の風呂で利用されている方もおられます。
注 飲用はできません
小鍋立の会

小鍋①

義仲の時代と関連があるのか?だが、道路を挟んだ反対側には正海清水という伏流水の湧き水跡があるので無縁では無いのかもしれない。

黒地蔵については色々調べてみたが良く分からない。

小鍋②
標柱は旧丸子町時代のもの。合併後に手入れされた様子も無く残念。



【正海清水】 上田市御岳堂

湧水の跡で現在は湿地が広がっている。絶えることなく湧き出ていた水は人々の生活を潤してきたという。木曽義仲をこの地に迎えた依田次郎は自分の居館を義仲に提供し自らは高築地に居館を築きこの湧水を利用したという。
戦国時代になり、大門峠を越え信濃に侵攻してきた甲斐の武田軍もこの峠で休息し湧水を利用したと云う。

正海清水①

また、正海清水の名称は人質として鎌倉に送られた義仲の長子「清水冠者義高」の名を取り正海清水の名が付いたとも伝わる。

正海清水②
立派は石碑が残る。ここには有志の方の説明板があり判り易かった。

IMG_2197.jpg
武田信玄も村上義清との決戦(上田原の戦い)の前にここで喉を潤したのだろうか・・・



【依田神社】 上田市御岳堂

宗龍寺の北に約500mの位置にある。義仲が戦勝を祈願し八幡社を勧進したと伝わる。
地元の方に大事にされてきた神社のようだ。

依田神社①
道路からは奥まったところにある。

依田神社②



【岩谷堂観音 宝蔵寺】 上田市御岳堂

1200年前に比叡山第三代座主慈覚大師円仁を開基とし建てられた観音堂で、内村川が依田川を合流する手前の険しい断崖上にある。ここは源平合戦にまつわる伝承が多く残る。

IMG_2203.jpg


●馬大門と義仲桜

依田居館に逗留していた義仲が出陣に際し戦勝祈願に訪れ、馬で脇参道を駆けあがった事から馬大門と名づけられた。また、その時、山門脇の桜の幼木に馬を繋いだという。幼木は風雪を耐え巨木となるも衰えることなく毎年見事な桜を咲かせて人々を和ませている。

IMG_2206.jpg
馬大門と呼ばれる急坂の参道と義仲桜(しだれ桜)

●戦勝祈願の岩谷堂

義仲が戦勝祈願の為に参拝した岩谷堂。愛妾巴御前は義仲討死後この地に落ち延び、近在の池の平に庵を構え義仲をはじめ一族の菩提を弔うため一年にわたり堂に日参の後、法要行脚のためこの地を去ったという。

IMG_2211.jpg


●楓の前

平家の猛将悪七兵衛平景清は、平家が壇ノ浦で滅亡後旅の僧に身を変えて鎌倉に向かう途中でこの堂に立ち寄った。これを追って景清の寵妃「楓の前」もこの堂に来ましたが、景清が鎌倉で捕えられたのを知り、当所に隠棲して景清と平家の菩提に生涯を捧げたという。景清公の遺品が寺宝として伝わる。※景清は平氏で呼ばれるケースが多いが、源氏や平氏と並ぶ武家の棟梁としての名門藤原秀郷の子孫である。

IMG_2214.jpg
ここで菩提を弔っていたのだという。



●巴御前お歯黒の池 上田市御岳堂

木曾義仲討死後、この地に落ちのびて来た巴御前は義仲と一族の菩提を弔うために剃髪しここに庵を構えた。この池でお歯黒を洗い落とし一回忌法要まで岩谷堂に日参したという。その後再び法要行脚のため旅立ち、福光の地(富山県福光町)で没したと伝えられている。

IMG_2217.jpg

IMG_2219.jpg
池というよりは水溜まりのようだ。

※付近は民家が密集しているので、訪問の際はプライバシーに充分注意。駐車場は無い。



●葵の湯 上田市別所温泉

義仲の愛妾「葵」のために湯治場として作らせたと伝わるが定かではない。吉川英治の「新平家物語」には登場するのでここを訪れるファンは多いらしい。

IMG_2315.jpg

IMG_2313.jpg
入口には「新平家物語」の描写の一部が石碑として書かれている。



●平維茂将軍塚 上田市別所温泉

このブログでは二度目の登場である。戸隠の鬼女紅葉を退治した平維茂と義仲は接点が無いが、横田河原の合戦で戦った平氏側の総大将「城 助職」はなんと平維茂の末裔なのである。さすがに義仲相手に霊力は通じなかったようだ・・(笑)

紅葉伝説201406 (251)

紅葉伝説201406 (246)



●巴・山吹の五輪塔 上田市富士山

富士山村誌によれば、義仲討死後、落ち武者となった家来が名を隠してこの地に住みこの五輪塔を建てたが三代目に子が無く絶家となったという。
標柱も説明板も無いが旧上田市のブログに地図があったのでここで間違いない。当日この場所を探していたら、市民から問い合わせがあったとして市の職員も探していたので教えてあげた(笑)

巴・山吹①
何の変哲も無く説明板も無い普通の墓地。

巴・山吹②
どっちが巴でどっちが山吹なのか判らない。



今回で終わる予定でしたが、掲載するのも飽きた・・・・(汗)

怒涛の次号を待て!(笑)

 












スポンサーサイト

Posted on 2015/07/20 Mon. 09:39 [edit]

CM: 8
TB: 0

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top