らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0830

夏の終わりの戸隠紀行  

◆去りゆく夏と鬼無里・戸隠の風景◆

「そうだ、戸隠へ行こう!」

いつもの事である・・(笑) 何度彷徨っても飽きない場所だ。

せっかくなので信濃先方衆の相棒「ていぴす」殿を誘ったまでは良かったが、前日の夕方から雨・・・・朝も雨・・・・

基本我々、雨男ではないので、「なんとかなるさ」で出発進行!!

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雨に煙る鬼無里集落。

ていぴす殿は鬼無里・戸隠は未訪との事だったので、ちょっと寄り道&アテンド。


【古城】 (長野市鬼無里上新倉)

ここは二度目なので既に記事にもしている。⇒古城
残念な事に、昨年11月22日に発生した白馬村神城の地震は白馬だけでなく、周辺の小川村、鬼無里、戸隠、中条にも甚大な損害を与えた。
古城の隣にある宿泊施設「ふるさとの館」は地震により建物倒壊の危険があり閉鎖となった。城跡に建っている模擬天主も壁に亀裂が入り入城禁止となっていた。

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傘さして長靴履いて。

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立ち入り禁止となった天主。地震で倒木もあり城跡は荒れ放題。

ふと見ると、模擬天主の隣のゴミ置き場に何やら動く黒い物体・・・・・「もしやクーさん!?」(汗)

一目散に立ち入り禁止の天主建物に逃げ込み(鍵してなかった・・・)籠城戦を覚悟。

恐る恐る1階の窓から確認すると、そこには脚を負傷し失ったカモシカ殿が・・・

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角も一本欠け、満身創痍。縄張り争いに敗れたのであろうか。それとも人間の仕掛けた害獣除けの罠で受けた傷だろうか。

彼の行く末を案じながら、我々は城を後にした・・・・。


【大日方左門の館】 (長野市鬼無里上新倉)

ここも二度ほど来ている。

小川村と鬼無里を治めていた国人大日方氏が武田氏の侵略を受け、降伏するかどうか兄弟で意見が分かれてしまい、武田氏への抵抗を頑強に主張していた当主大日方金吾直経を呼び出し、その弟の佐門と共に誅殺したという。
殺された佐門の屋敷跡がここだと伝わる。

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画面中央の荒倉神社あたりが居館跡らしい。


【追通の栗田屋敷】 (長野市戸隠栃原)

栗田氏は北信濃に大きな勢力を持った国人で、善光寺の別当を「里栗田」、戸隠神社の別当を「山栗田」と呼ばれた。
ここは山栗田氏が当初屋敷を構えた場所で、1659年に戸隠二条に居館を移すまで住んでいたと伝わる。

追通の栗田屋敷 (7)
中屋敷

屋敷地の背後の山には追通城(今回は雨で登城断念)があり詰め城だったと思われる。詳細はいずれまた。


【上祖山城】 (長野市戸隠祖山)

裾花川の右岸に位置し、川沿いの監視とともに川中島から陣場平を越える地蔵峠や虫倉山の岩井堂峠を越える山道に対する見張り砦と考えられている。

上祖山城 (1)
城跡からの景色。今回から攻城のお供となった愛馬「らんまるジムニー号」と祖山集落。険しい。

上祖山城 (32)
主郭の北側の横堀。


【中尾城】 (長野市戸隠中尾)

詳細は不明で、福平城の支城とも。二子山と呼ばれる山の二つの峰に遺構が確認出来る。
大昌寺山城と追通城の中間にあるため烽火台だった可能性も否定できないがどうであろう。

中尾城 (64)
中尾城の登り口。墓地の奥の丘陵ともう一つ奥にも遺構がある。

中尾城 (18)
切岸も丁寧に造作されており古さは感じない。

むさ苦しい我ら二人がウロウロしていると、怪しいと思われたらしく近所のご老人に尋問される(汗)

その方も郷土の歴史を勉強しているらしく地名やこの辺の山城跡についての伝承を教えてくれた。有り難い事ですw


【五十城】 (長野市戸隠栃原)

「いかづちじょう」と読む。五十集落の高台にあり、円光館や福平城への入口に当たる。
城というよりは集落を見下ろして監視する屋敷が置かれていたと考えられる。

遺構は墓地になっており、登城口には古い稲荷社がある。

五十土城 (4)
五十城から見た大昌寺山城。

【福平城】 (長野市戸隠栃原)

個人的には北信濃を代表する名城の一つだと確信しております。
山城フリークを自認される方には是非訪れて欲しい山城でございますw

詳しくは⇒福平城をご覧ください。

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軽自動車なら本郭まで入れますが、かなり狭いので慎重に。

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主郭背後の堀切(箱堀)を見下ろす。堀底を歩くていぴす殿がゴミのようです(笑)

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巨大な二重堀切は何度見ても感動ものであろう。


【大昌寺山城】

二年前、その大藪に阻まれ断念。今回はリベンジに成功する(笑)

相変わらず藪は酷いが遺構は素晴らしい。単郭の背後を堀切で穿ち、大昌寺側に対して長大な横堀で防御している。
晩秋にもう一度訪れてみたい砦である。

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主郭背後の堀切。

大昌寺山城 (2)
藪に埋もれた横堀。


【栗田氏館】 (長野市戸隠二条)

最近もきているのだが、不審者と間違われてロクに写真も撮れなかったので再訪。
相変わらずお寺に寄宿している方がこちらに注視しているので気味が悪い・・・(汗)

追通から引っ越してきた栗田氏(山栗田)が1659年ごろに居館を構えたという。中々の要害の地である。

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史跡として認知されている。

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屋敷跡は現在水田となっている。


戸隠=神社というイメージが強く、戦国の動乱とは関係無い様に思いがちですが、上越紛争に際しては戸隠神社の争奪を巡り熾烈な「仁義なき戦いが繰り広げられ、防衛の為に強固な砦や城が沢山造られたようです。

まだまだ未訪の地がありますが、何とか制覇したいと思っております。

それよりも、今回、前回、前々回と訪問した場所がいつ記事になるのか・・・あまり期待しないでくださいませ・・・・(汗)

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Posted on 2015/08/30 Sun. 12:11 [edit]

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