らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0809

潜龍院館 (吾妻郡東吾妻町郷原)  

◆真田昌幸の描いた壮大な夢の跡◆

「いきなり群馬へ飛ぶの? んで、潜龍院館(せんりゅういんやかた)って何処さ? 上野に飛ぶほどの価値があるの?」

お叱りはご尤もである・・・(笑)

7月10日に某国営放送の大河ドラマ「真田丸」のキャストが発表され、武田勝頼(配役:平岳大)も登場するのでひょっとしてこの場所も出るかもしれないので12日にちょっと遊びに行って来たと言う訳。
※俳優の平岳大(ひらたけひろ)さんは、各方面でご活躍だが、映画「のぼうの城」の長束正家役といえばおわかりだろう。

潜龍院跡 (2)
国道145号線や居館までの通路には六文銭の幟が林立しているので驚いた。

「信濃をめぐる境目の山城と館」(宮坂武男著 2015年 戎光祥出版)では古屋館(こややかた)として掲載されているが、地元では「潜龍院跡」(せんりゅういんあと)と呼ばれている。場所は武田の三堅城のひとつ岩櫃城の西側で岩櫃山(803m)の南300mにある。

実はこの場所、小生も噂には聞いていたが、普段お世話になっている「武蔵の五遁、あっちへこっちへ」の記事で初めて見て行く気になったのだ。

潜龍院跡 (3)
古屋集落から見た岩櫃山。手軽に登れる山らしいのですが、午前中に似たような近くの嵩山城を攻めたので遠慮します(汗)

真田丸の予習として訪問希望の方もいらっしゃるかと思いますので以下にざっくりと行き方を書いておきます。

【行き方】

国道145号線からJR吾妻線「郷原駅」の東側の交差点(岩櫃山登山口の看板有り)を北へ入る。(駅の西側のT字路は狭いので軽自動車以外は不可) 突き当りを左に進み酒屋と最初の写真の幟のあるY字路を右へ登る。(潜龍院跡への標柱もあり)
約500mで古屋集会所があり無料駐車場がある。そこに車を止めて歩いて10分。※軽自動車なら居館跡まで入れるが住民の生活道路なので避けるべし。

潜龍院跡 (6)
駐車場から歩いて突き当りに案内板。ここを右へ。

潜龍院跡 (7)
案内板に沿って進めば大丈夫。

潜龍院跡 (10)
薄暗い山道の先に目を疑うような広い台地が広がります。


【立地】

岩櫃山の大岩峰を背後に背負う吾妻川の左岸の河から120mの高い位置に信じられないような広大な平坦地がある。郷原地区古屋集落の背後になり、集落から赤岩通りの道がある。ここから山腹を東に辿れば岩櫃城に通じ、往古は連絡路があったものと思われる。

潜龍院跡 (11)
岩櫃山登山道の「赤岩通り」の登り口の東側が潜龍院跡。石垣の痕跡が残り説明板がある。

潜龍院跡 (46)
幟旗が「これでもか!」と林立している場所が潜龍院跡である。

古屋館見取図①

【城主・城歴】

天正十年(1582)三月、甲斐の武田勝頼は織田・徳川の連合軍に攻められ存亡の危機に瀕していた。上原城での軍議の席上、真田昌幸は武田領の三堅城の一つである岩櫃城に勝頼を迎え入れ武田家の再挙を図る事を提案して許された。
2月28日の早朝に昌幸は諏訪をたってその日のうちに岩櫃に到着。直ちに浦野大戸、鎌原、植栗、湯本、池田等の諸士を集め、日夜工事を急いだので3日には、岩櫃城の搦め手の古谷に御座敷付書院が出来上がった。

ところが、甲州からの注進で勝頼は小山田の策を入れて郡内の岩殿城へ向かったとの報告があった。昌幸は驚いて兵2500騎を率いてその夜のうちに上田に着陣したが、勝頼は天目山で自刃してしまい献策は叶う事無く終わった。

その後この地は昌幸の一族の祢津潜龍斎昌月に払い下げられ、昌月はこの御殿跡に山伏寺として潜龍院を建立した。この寺は天和二年(1616)び炎上したが再建される。明治に入り潜龍院は廃寺となるが、護摩堂は原町顕徳寺に移されたという。

潜龍院跡 (18)
潜龍院跡の南側の広大な削平地。

潜龍院跡 (17)
往時のものかは判別が難しいが、敷地の南側には土塁痕が認められる。

潜龍院跡 (25)
櫓台を彷彿とさせる土塁。

【館跡】

東西400mにも及ぶ広大な平坦地の北側山寄りに高さ2mの石垣が残っている。ここが潜龍院の跡地で、ここに勝頼を迎える為の御殿が突貫工事で進められ建てられたという。
岩櫃城へ東へ約1kmの位置にあり、古谷集落からの登路には巨岩が城門のように立ち並び正に天然の要害城である。

付近は耕作されて、細部は伺い知るべきも無いが、未完成に終わった館跡として最近石垣が補修されている。

潜龍院跡 (24)
東側から見た潜龍院。

潜龍院跡 (19)
こんな山塊にこのよな広大な土地があるとは驚きである。

歴史に「IF」」は無い。

がしかし、武田勝頼が真田昌幸の献策を聴きいれて上野国にて武田家の再挙を図ったとしたらどうであろうか。

武田家家中からは小信玄と呼ばれ、信玄からも「我が目である」と賞された昌幸率いる武田軍VS織田徳川連合の上野国の戦いは想像以上に壮絶な戦いになったと思われる。

まあ、そんな夢物語を語っても仕方の無い事はじゅうじゅう承知なのだが・・・(汗)

潜龍院跡 (22)
石垣跡に昌幸の野望を感じる・・・(笑)

潜龍院跡 (23)
天下争乱の地が上野国になっていたかもしれない・・・という妄想が頭をよぎる「隠れた秘密基地」である。

武田家滅亡の原因を作った当事者として、小山田信茂の裏切りに対する批判は今も辛辣であるが、事実はどうであろうか。

岩殿城に勝頼を郡内に招致することで、小山田領の領民は間違いなく戦禍に巻き込まれ多大な犠牲を強いられる。
小山田氏は直前になって「良き領主でありたい」という思いに負けたのかもしれない。

一方で昌幸の思いも複雑であったと推察される。武田家の外様では終われないという決意がそこにあるものの、坂道を転がり出した今の武田では勝算を見いだせない苦悩もそこにあったと思われる・・。

潜龍院跡 (36)
潜龍院跡の内部。

一説には勝頼が岩櫃城への退避を寸前で翻した理由として、「お坊ちゃま育ち」の勝頼が岩櫃での不便な山城暮らしに不安を抱き小山田信繁直前での進言を採り入れた」といわれるが、果たしてそうであろうか?

最期まで武田氏発祥の地で本国である甲斐を維持したかった・・・それだけのような気がする。

武田フリーク、真田フリークには是非とも訪れて頂きたい「夢の跡」には違いない・・・


≪古谷館≫ (ふるややかた 潜龍院館 郷原城) 
標高:515m 比高:120m (国道より) 
築城年代:天正十年(1582)
築城・居住者:真田昌幸
場所:群馬県東吾妻町郷原
攻城日:2015年7月12日
お勧め度:★★★☆☆ 
城跡までの所要時間:10分 (古谷集会所より)
駐車場:古谷集会所駐車場
見どころ:石積みなど
参考文献:「信濃をめぐる境目の山城と館」(宮坂武男著 2015年 戎光祥出版) 
注意事項:特に無し
付近の城跡:岩櫃城、岩下城、三島根小屋城など

潜龍院跡 (44)
近年稀に見る「自画自賛のベストショット」である・・・(笑)











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Posted on 2015/08/09 Sun. 22:14 [edit]

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