らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0813

大笹関所 (吾妻郡嬬恋村)  

◆信州街道における信州口への関門◆

ようやくお盆休みとなった。

山城攻めに「オンシーズン」も「オフシーズン」も無いという豪傑の方々には頭が下がる。

蜘蛛の巣、ホーネットの襲撃、時々落下傘攻撃を仕掛ける蛇、藪蚊の逆襲・・・・そんな思いをして「藪茫々」「草茫々」なんて(笑)

小生は、夏場は「整備された史跡公園」「平地の居館跡」の探索が一番と思っているヘタレでございますw

今回ご案内するのは関所シリーズ第一弾の「大笹関所」(おおざさせきしょ)。

大笹関所跡 (1)

【立地】

長野原町から続く信州街道(長野街道)は、長野県境の鳥居峠を越えて上州街道と名前が変わるが、群馬県側の最終宿場町である大笹宿の東端に位置する。ここは吾妻川へ鹿之籠川(しかのろうがわ)が合流する所で、鹿之籠川が10m余の深い峡谷を造っている所を利用した立地で、信州口への関門である。

大笹関所跡 (6)
昨年移転されて元々あった場所に整備復元されている。

【関所の歴史と現在】

江戸時代、中山道高崎宿から、烏川沿いに遡って吾妻郡に入り、浅間山北麓を通って鳥居峠を越えて須坂方面(別名:大笹街道)、または上田方面に通じる街道を信州街道といった。信州街道は関東と北信濃を結ぶ重要な街道で、各所に関所が設けられた。大笹関所はその一つで、寛文二年(1662)幕府から許可され、沼田藩主真田伊賀守により建設された。
その後天和元年(1681)沼田藩は改易、明治の廃関まで幕府の所轄となる。

大笹関所跡 (3)
鹿之籠川に架かる刎橋(はねばし)は有事の際には切落とす仕掛けだったという。(図面は現地説明板を掲載)

大笹関所は、一反五畝八歩(約450坪)とされ、中央に白洲を、それに向かって改所(取調所)など設置され、周囲は土塀や木柵で限られ、それぞれに北門(正門)、東門が設けられた。
現在再現された門は、昭和三十一年、廃関後土屋源三郎氏の先祖が払下げ所蔵していたものを別の所に復元していたが、御関所橋の架け替え工事に伴い現地に移転・再現したものである。
※現地説明板より

大笹関所跡 (9)
正門だけじゃ淋しいですね。

≪大笹関所≫ (おおざさせきしょ) 
標高:945m 比高:-
場所:群馬県吾妻郡嬬恋村大笹
訪問日:2015年7月12日
お勧め度:★☆☆☆☆ 
城跡までの所要時間:-
駐車場有り
見どころ:門
参考文献:「信濃をめぐる境目の山城と館」(宮坂武男著 2015年 戎光祥出版) 
注意事項:道路脇なので通過して「あれっ?」と思ったら引き返そう。
付近の城跡:鎌原城、金毘羅山砦、西窪城など

【沼田真田藩改易後の家臣達の再就職として】

天和元年(1681)に沼田藩が改易されると、沼田真田家の家老鎌原縫殿(五千五百石余)は一転して二十俵二人扶持の大笹関所番となり、代々伝えて明治に至り現在も子孫が続いているという。
他に西窪氏、湯本氏、横谷氏等の家臣も交代で大笹関所番を務めたという。

藩主真田伊賀守信利の暴走を止められなかった家臣たちの支払った代償は高いものとなった訳で・・・・(汗)

大笹関所跡 (10)




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Posted on 2015/08/13 Thu. 09:46 [edit]

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