らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0904

大昌寺山城 (長野市戸隠栃原)  

◆このまま朽ち果て眠りにつくならそれも良しかと・・◆

「このような趣味を持たなければ、一生訪れる事無く終わっていただろう・・・」

ここ数年、そんな事を思いながら長野県下を巡っている。

戸隠=神社か戸隠連峰、あるいは上信越国定公園、戸隠ソバ、サユリストの古代杉パワースポット・・(笑)

そんな戸隠地方は、鬼女紅葉伝説も含めて小生を虜にしてしまう魅力がある。

戸隠周辺の城と居館①
国土地理院の1/25000の地図を引用し城跡を追加記載。これ見たら貴方も戸隠紀行に出掛けたくなる事請け負い・・(笑)

室町時代より善光寺と戸隠神社の別当を勤めてきた栗田氏は、北信濃の国人としても勢力を拡大し武田軍の侵攻に対しては北信濃の盟主である村上義清とともに抗戦するも、天文二十二年に義清が葛尾城を自落させ越後の上杉謙信を頼って落ちると、栗田氏も当初は上杉方に支援を求めていたが、武田の誘いに応じ、旭山城に籠城し第二次甲越紛争の当事者として歴史に名を残した。

この頃から栗田氏は戸隠神社の別当を司る「山栗田」(やまくりた)と善光寺の別当を司る「里栗田」(さとくりた)の二系統に分かれ、里栗田氏は甲斐に移転された善光寺の別当を引き続き勤めるとともに、武田氏の武将として活躍した。(この項はいずれ記載する栗田城のところで詳しく述べる予定だ)

山栗田氏が残った戸隠の動乱については⇒「鬼女紅葉伝説②」に詳しく記載いているでご参照ください。

そこまで予習しておきながら、今回ご紹介する大昌寺山城は山栗田氏との関連性は極めて薄い(笑)

大昌寺山城① (14)
麓の大昌寺。永正年間(1504~1521)に福平城主溝口伯耆守の開基で真言宗密蔵寺と伝わる。

【立地】

南尾根先を裾花川に浸食された荒倉山(山頂部は砂鉢山)の南東尾根の先にある台地を囲む山が大昌寺山で、その頂きに砦がある。ここは福平城の南800mの地点で、居館とされる円光寺舘も北東1kmの至近距離にある。
初期の山栗田氏の居館跡と伝わる「追通の栗田屋敷」(おっかよのくりたやしき)とは距離もあり、直接の関連性は無いようで、針立城、中尾城と共に溝口伯耆守が築城した福平城の出城のようだ。

大昌寺山城① (18)
大昌寺は鬼女紅葉伝説にも縁が深く、紅葉慈母観音像や平維盛の位牌も拝む事が出来る。


【城主・城歴】

長野県町村誌の「大昌寺」の項には「曹洞宗高府むら明松寺末派なり、本村の南の方字清水にあり。寺伝に永正(1504~1520)の頃、溝口伯耆守開基し、密蔵寺と号し真言宗なりという。溝口氏没落後衰廃せし・・・」とあるので、築城の主体は溝口氏と考えられ、その後も物見砦として使われたものであろう。

大昌寺山城 (37)
寺の裏山の墓地から稜線に登ると尾根沿いに通路があるので、道の消えた大藪に突入すると城跡に辿り着く。

「本当にこの藪の先に砦なんかあるの??」

藪を掻き分けて30mほど進むと足元に祠が転がっている。その先にしっかりと横切る横堀が忽然と現れる。

大昌寺山城 (1)
かつては道も整備され大事にされていた祠と思われるが、藪に覆われ荒れ放題。

大昌寺山城見取図①
傾斜の緩い大昌寺側の斜面に横堀を穿ち、主郭背後の堀切と連結させただけだが物見としては充分過ぎる防御だ。


【城跡】

山頂の主郭(48×25)の単郭の背後に堀切を穿ち、大昌寺方面の斜面に長さ約100mの横堀を置いた砦である。
主郭のある山頂から80m尾根続きの東尾根の先端には郭があるというが、今回は藪が酷く調査出来なかった。

宮坂武男氏の踏査図には描かれていないが、主郭には常夜灯が倒壊しており、堀切手前には石仏が安置されているので神社が勧進されていたと見るべきであるが、南斜面には比較的新しい山の神の社殿が造営され参道もあるので、この山一帯が後世に地元の信仰場所だったようだ。

大昌寺山城 (2)
大昌寺側の斜面の横堀㋑。堀の土を掻き上げて土塁を作り高さを嵩上げしている。

大昌寺山城 (29)
主郭中心部の常夜灯の跡。

IMG_3319.jpg
主郭背後の土塁前に残る石仏。

IMG_3322.jpg
南側の尾根に参道の残る「山の神」の社殿。地震により幕板が何ヶ所か剥がれてしまった。

IMG_3320.jpg
主郭愛護の堀切㋐

大昌寺山城 (28)
堀切㋐と㋑の合流地点。

大昌寺山城 (13)
長方形の主郭(48×25)

単郭に横堀を施しただけの砦であり、厳重な防備とは言えないが、こんな山奥の地で土手付きの横堀が拝めるとは驚きである。

福平城の入口を守るには最適の地であり、中尾城や追通城とも指呼の間にありネットワークが形成されていたのかもしれない。

藪の無い時期にもう一度しっかり見ておきたい遺構である。

大昌寺山城 (32)
主郭西側の段郭。


≪大昌寺山城≫ (だいしょうじやまじょう 寺山の城) 

標高:856m 比高:45m (大昌寺より)
築城年代:不明
築城・居住:不明
場所:長野市戸隠栃原
攻城日:2015年8月29日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:15分
駐車場:大昌寺駐車場を借用
見どころ:土塁、横堀など
参考文献・書籍:「信濃の山城と館 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
注意事項:特に無し
付近の城跡:福平城、中尾城、追通城、円光寺舘など
Special Thanks:ていぴす殿

大昌寺山城① (19)
大昌寺から見た福平城方面。






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Posted on 2015/09/04 Fri. 22:35 [edit]

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