らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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千束城 (北安曇郡小谷村中小谷)  

◆千国街道沿いを流れる姫川の左岸に迫り出した峰の上に位置する監視砦◆

さて、話を元の北安曇郡小谷村の城砦群に戻そうと思う。

毎度の事ながら予定数の攻城戦を消化出来ないジレンマに慣れてきたものの、今回は一日かけて三か所で終了と相成った次第。こんなに効率の悪い城攻めは今後ないだろうと思ったが、先日の飯山攻めで再現する羽目に・・・。恐るべし信濃の山城・・(笑)

小谷周辺図
国土地理院の地図に書き込みを加えて往時の城砦群を記載しています。

実際の信越国境は糸魚川と接する北小谷であるが、事実上の信越国境は平倉城を北限とする中土(中小谷)の池原集落周辺だったと推定される。
姫川沿いの左岸を北上する千国街道は、ここで姫川の渓谷が深く厳しくなるために左岸の台地を大きく西に迂回している。ここの通行を監視するための砦が「千束城」(せんぞくじょう)だったと伝わる。

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池原集落の南側から見た平倉城と立山。

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2013年9月末にスズメバチの攻撃により撤収した苦々しい思い出のある平倉城は目と鼻の先にある。

この日の午前中に、黒川城を攻略した我ら信濃先方衆は意気揚々と次の目的地である千束城に向けて進軍を開始して予定通り麓に着いた。
しかし、慢心ゆえに二つの不幸が我々を襲ったのである。

①山を間違えて途中まで登りかけた・・・・   これはダメですね。おかげで時間と体力をロスしました・・(汗)

②道路工事の為に登り口まで車で行けず約1kmを徒歩で進軍・・・ 行政を恨んで体力と時間を消耗。もう最悪パターン(汗)

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二人で車道を歩きながら見上げた城跡。

ここまで来たら止める訳にもいかないので、砦と本城(千束城)のどちらを先に行くかの協議となる。
本城から砦に至る傾斜はかなりキツく見えるので、本城の鞍部の西尾根にへばりついて、千束城⇒南東尾根砦に向かう決断を下す。これが正しい判断だったと山を下りて実感しました・・(笑)

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山の際まで開墾された水田。桃源郷のような世界とはこのような世界であろうか・・・。

【立地】

姫川の左岸になり、対岸の立山と対峙する位置にある。池原より登り口があったようだが、現在は消滅している。城跡の頂部西側の鞍部とその下の斜面が伐木され、木材運搬用のロープウェイが設置されていたので我々はそこを目指して辿ったのだが、疲労困憊は想像以上であった・・・。

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登り口の泥田に足を取られ、途中の斜面の切株に難儀しながら比高150mの鞍部へ登るのに40分とは想定外だった。

千束城(小谷村) (9)
鞍部手前の斜面は切株だらけ・・・歩くのも大変・・・(汗)

【城主・城歴】

小谷村誌歴史編の「第3章 中世の小谷村 題5節小谷の城館跡」編では、「四 その他の城跡」の「1池原周辺の城跡」として以下の記載がある。

「長野県町村誌」や「北安曇郡志」などに「千束(速)城」(せんぞくじょう)あるいは「北ドヤ」などの表現が見られる城跡は、池原西側の標高八七〇メートルmの単郭の山城である。現在、「千束」という地名はこの山の西南の平坦地を指しており、「北ドヤ」は池原から石垣へ通じる旧道の上方部の地名としてのみ残っているに過ぎない。「長野県町村誌」の中の絵図には、石坂から登る道が描かれているが、現在は池原からの道しかない。

千束城(小谷村) (11)
宮坂武男氏も思わず記載した「椿の密生した藪で歩行は困難を極める」・・今も歩行は困難である。

主郭は現在林になっており、見通しが利かないが、姫川を隔てた平倉城、舘山(立山)、あるいは黒川の山城が望まれるため、監視哨としての性格が強かったものと思われる。主郭を取り囲むように帯曲輪も確認されている。この山城はおそらく石坂方面の勢力が持っていたものと思われる。

※以上、小谷村村史の第5節「小谷村の城館跡」より引用。

千束城(小谷村) (12)
道無き椿の藪を掻き分けて進むていぴす殿。信濃先方衆としても異例の「椿漕ぎ」である。

千束城見取図② 001
防御指向が北及び西方向というだけで池原の詰め城と考えてしまうが、背水の陣とす考えれば北の石坂集落というのも納得である。

【城跡】

どことなく三日市場城を彷彿とさせる縄張であるが、城域の広さは1/2以下であろうか。
黒川城で見飽きた「椿(つばき)祭り」の再現であるが、辛うじて西斜面の杉林と堀切の残雪に助けられて何とか城跡の主要部の構造は理解できる遺構が確認できた。この藪の中を宮坂氏はどうやって調べたのか・・・やはり神の領域である・・。

千束城(小谷村) (16)
城域西側の入口にある25×8の削平地。(残雪部分)小屋番の兵士の寝泊まり用の掘立小屋があったのだろうか。

千束城(小谷村) (18)
千束城西側の帯郭と土塁。椿が途切れて杉林になるが、木の根の弯曲は豪雪地ならではの自然の摂理である。

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放射状の竪堀を伴う西側の帯郭。恐らく横堀にする予定で土塁を巡らせたのであろう。

千束城(小谷村) (25)
白馬周辺の主要な山城の最終形は放射状の竪堀が特徴なのか?

かなり加工度の高い縄張を持つので、単なる物見や狼煙台ではなかったようだ。
放射状の竪堀とか書くと「すわ、武田の縄張りだ」などと言われそうだが、しっかり考察する必要はあると思われる。

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西側から見た堀切㋑。残雪で幅がお分かりいただけるかと・・・。

千束城(小谷村) (34)
北端に位置する堀切㋒。かなり埋まりつつある。

さて、踏査を進める我ら信濃先方衆だが、椿の群生は容赦なく城跡を覆い主郭部分から南半分は全く様子が分からないのである。おまけにクーさんらしき物体が主郭の東側を徘徊しているらしく、ハンパない緊張感に包まれる始末である・・・(汗)

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堀切㋑を越えた北側よりみた郭2と主郭との間の堀切㋐。窪地は天水溜だろうか?

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堀切㋐の西斜面への処理。

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北側から見た西斜面の処理。かなり手を加えているのが分かる。

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主郭(郭1)は藪の中に埋没してしまい調査不能であった。

まあね、直接遭遇した訳ではないが、クーさんの接近が感じられたために次の探索地である南東尾根砦に向かうことにした。
椿の花が咲き乱れ、急斜面の先には何も見えない状態で尾根を下る恐怖は想像を絶するものがあった・・・。

「生きて帰れれば、そんな人生、生きてるだけで、まる儲けか・・・(笑)」

千束城(小谷村) (59)
郭4も椿パラダイス・・(汗)

体や顔を容赦なく打ち付ける椿の藪漕ぎに閉口しつつ、「俺の人生って何なのさ・・・」 ふと考えるが、無駄な思考であった。


≪千束城≫ (せんぞくじょう 北ドヤ・北殿・千速城)

標高:870.3m 比高:400m(中土駅より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:北安曇郡小谷村中小谷
攻城日:2015年5月2日 
お勧め度:★★★☆☆  
城跡までの所要時間:80分 駐車場:特にない。路駐。
見どころ:畝状竪堀、横堀、土塁、天水溜など
注意事項:特に無いが、藪漕ぎ必死。
参考文献:「信濃の山城と館⑦安曇・木曽編」(宮坂武男著 2014年 戎光祥出版)、 小谷村誌
付近の城址:千束城南東尾根砦、舘山、平倉城、鳥居城など
Special Thanks:ていぴす様

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山頂が見える山城はとても遠いのである。














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Posted on 2015/12/03 Thu. 21:41 [edit]

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