らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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小田草城 (飯山市静間)  

◆甲越紛争で争奪戦が繰り広げられたであろう境目の城◆

12月だというのに本日は異様な暖かさであった。日中の最高気温は14℃、佐久市は20℃近くもあったという。
そうはいっても来週の木曜日以降の天気は雪マークなので、今週末あたりが降雪前の北信濃攻略のラストチャンスには違いない。
なので、この日曜日は再び飯山方面に進軍する予定ですw

岩井城(中野市) (7)
千曲川右岸より見た飯山口周辺の諸城。(手前の橋は千曲川に架かる謙信公伝説の綱切橋)

今回ご案内するのは、藪に埋もれた飯山口の境目の城「小田草城」(こたぐさじょう)。

【立地】

千曲川の左岸で、国道117号線を中野市から飯山市に入った蓮(はちす)の隣の静間地区の荒船という集落から田草への登り口にある南尾根が城跡である。北を流れる田草川と南の肥後沢に挟まれた細尾根上の要害の地形で、沢の奥には田草城があり、その支城とも考えられている。奥まった田草城よりもロケーションは広い。
ここから田草を通り斑尾山の西麓を抜ければ割ヶ岳城、野尻城に通じるので往時は大切な裏道だったと思われる。

IMG_4034.jpg
荒船集落を過ぎて田草に向かう林道の脇に貯水池があり駐車する。そこから歩いて橋を渡り農道を進み適当に尾根を目指そう。

地図上では農道が南側の肥後沢に続いているように描かれているが、途中で消滅(ってか埋没)しているので藪漕ぎして尾根を目指すしかない。水田の跡は大量のススキが群生しているので畦道を適当に辿って斜面にへばり付くしかない。夏は無理だろう。

小田草城見取図 001
初期段階は段郭を多用した縄張りで、その後堀切を入れて改修強化されたように思えるが。

【城主・城歴】

江戸時代に描かれた古地図には田草城主望月伊豆、小田草城主望月肥後の名があり、そのような伝承もあったらしいが、望月氏の詳細については不明だという。
戦国時代に入ると、蓮、静間一帯は高梨氏の所領だったので、高梨氏の手が加えられた事も考えられる。

小田草城(飯山市) (1)
苦心の末にたどり着いた尾根(城域)はやはり一面の藪・・・ここまで来て引き返す訳にもいかず藪漕ぎを決意・・(汗)

小田草城(飯山市) (5)
土塁を伴う堀切㋑。高梨氏の山城に多く見られる技法だ。

小田草城(飯山市) (3)
堀切㋑の土橋。この奥の田草城の堀切に土橋は一つもない。

甲越紛争時における信玄の飯山攻略に際して、蓮や静間は最前線となり壮絶な陣取り合戦が展開されたと思われ、小田草城も田草城も巻き込まれて両軍による改修を受け物見や烽火台として使用されたと推定される。

小田草城(飯山市) (11)
猛藪を進む我らを段郭が阻止するが、写真を撮っても御覧の通り・・・(汗)

小田草城(飯山市) (14)
堀切㋒。

堀切㋑⇒堀切㋒にたどり着くまで100mを進むのに15分を要した。小谷村ではヤブツバキに苦労したが、ここでは背の低い雑木群に苦戦。そこまでしてみたいのか・・・(笑)

小田草城(飯山市) (17)
堀切㋒の郭2との接続部分の切岸は垂直に近い加工。

IMG_4038.jpg
郭2から堀切㋒を見下ろす。堀底には「ていぴす殿」。かなりの落差がお分かりいただけるでしょうか。

【城跡】

尾根上500mの長さに段郭を多用して展開させた山城で比高差も120m近くある。㋐の堀は未確認だが、㋑も㋒も土橋と土塁を備えた堀切で城域を区画している。ここまでの縄張りの技法は高梨氏の所領にある山城と共通する特徴がある。主郭とその背後を四重とも五重とも重なる堀切で断ち切る手法は武田による改修であろうか。
田草城とは異なる縄張りが対称的で面白い。

小田草城(飯山市) (23)
郭1。少し視界が開けた(笑)

小田草城(飯山市) (25)
主郭の背後の土塁。背後だけ盛られている。

主郭の背後の堀切は圧巻である。必死の形相で藪漕ぎして疲労困憊したものだけが見れる特権であろう。
主郭の後ろに横堀状の空地を置き、その後ろを三重の大堀切㋓で遮断。さらに連続して㋔と㋕で断ち切る豪快なものである。
尾根伝いに田草方面からの敵の来襲を意識した防御ともとれる。

小田草城(飯山市) (30)
主郭背後の横堀。宮坂武男氏は「郭1‘」として堀と見ても良いとしているが同感である。

小田草城(飯山市) (32)
土留めなのか投石用なのか川原石がごろごろしている。

小田草城(飯山市) (35)
三条の堀切で構成される大堀切㋓。

小田草城(飯山市) (44)
大堀切の向こうに見える尾根は田草城。

小田草城(飯山市) (52)
三連で北の谷に竪堀となる堀切㋓

小田草城(飯山市) (54)
堀切㋓の西端から対岸の主郭方面を撮影。上巾20m以上はある。

小田草城(飯山市) (56)
堀切㋔。水分補給を行うていぴす殿。比較的浅い。

小田草城(飯山市) (63)
最終の堀切㋕。ここもかなり埋没してきている。

さて、つらつらと写真を並べてしまいましたが堀切は藪に閉ざされずに見事な雄姿を見せてくれました。
林道脇から尾根まで25分、堀切㋑~主郭まで30分以上の藪漕ぎと城域探索。
我ら信濃先方衆2名は藪漕ぎに疲れ果ててしまい、同じ道を辿って帰るのも飽きてしまい、田草集落まで登り切って林道を下る事も考えたが、集落に出るまで更に藪漕ぎをする労力は致命傷になるので元来た道を戻る事にした。

小田草城(飯山市) (72)
我々は後ろ髪惹かれる思いで堀切からの撤収を開始したのである・・・(涙)


≪小田草城≫ (こたくさじょう)

標高:585m 比高:160m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:飯山市静間
攻城日:2015年11月15日 
お勧め度:★★★☆☆  
城跡までの所要時間:25分(林道から尾根まで) 駐車場:貯水池の脇に車1台分
見どころ:段郭、土手と土橋付きの堀切、主郭背後の四連の堀切など
注意事項:特に無いが、藪漕ぎ必死。かなり体力的には消耗するので注意。
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(宮坂武男著 2014年 戎光祥出版)
付近の城址:田草城、蓮城、岩井城、とんば城、坪根城、後谷城など
Special Thanks:ていぴす様

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藪の切れ間から見える対岸の岩井城方面。この城のロケーションの素晴らしさを垣間見る事が出来る。












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Posted on 2015/12/12 Sat. 21:36 [edit]

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