らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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田草城 (飯山市静間)  

◆野尻湖方面への間道を抑え、甲越軍がそれぞれ改修を加えた山城◆

11月から毎週のように城攻めで長野県の各地を転戦しまくっていたが、無理が祟って14日から風邪を拗らせてダウン。
20日(日)は大事をとって何処にも行けず、仕方がないので暮れの大掃除で地味な活躍・・・(笑)

このまま越年では口惜しいので、あと一日どこかでリベンジしたいと思いつつ、今回ご案内するのは飯山市の田草城。

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廃村となった田草集落からの登り口付近。明け方の土砂降りが現地へ着くと嘘のように晴れてきた。比高130mとは思えない高さ。

【立地】

千曲川の左岸で、国道117号線を中野市から飯山市に入った蓮(はちす)の隣の静間地区の荒船という集落から、昭和40年代まで続いた田草集落(現在は廃村)の西の山の尾根に位置する。現在集落の耕作地は荒地となり、嘗ては城域の尾根を越えた宝蔵谷まで開墾され林道もあったが、廃道となり道形も消えかけている。
田草川の谷は城跡の尾根(ひよどり越えと伝わる))を越え、西へ向かうと富濃を経て野尻湖方面へ通じるルートにあたり、甲越紛争時には戦略上の重要な場所になっていたと考えられている。

田草城縄張図① 001
支城の小田草城は防御構造として段郭を多用しているが、田草城は堀切を多用し畝状の竪堀も改修して付け加えられ、対比が一段と明確である。

【城主・城歴】

小田草城の解説でも述べたが、江戸時代に描かれた古地図には田草城主望月伊豆、小田草城主望月肥後の名があり、そのような伝承もあったらしいが、望月氏の詳細については不明だという。
戦国時代に入ると、蓮、静間一帯は高梨氏の所領だったので、高梨氏の手が加えられた事も考えられるが、現在の縄張りの姿は甲越紛争の頃に本格的な改修が施されたと見るべきであろう。

田草城(飯山市) (2)
東尾根の段郭。

田草城(飯山市) (4)
横堀㋛。東尾根の堀切はこれだけだが傾斜が急なので1本で充分だったようだ。

小田草城と共に甲越紛争の境目の城として越軍が野尻方面への間道を抑える田草城を強化したことは充分に考えられる。また、永禄十一年の甲軍による飯山城総攻撃の時に一時的に武田が占拠しているので、武田の改修も行われたとみるべきであろうか。

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楕円形の主郭に建つ「御嶽座王大権現」の碑。

【城跡】

我々は休耕田を掻い潜って東尾根にへばりついて直登して主郭を目指したが、これが結構キツイ。宮坂武男氏は沢筋を詰めた堀切㋑(ひよどり越え)が本来の大手であろうと推察している。ただ、現在このルートも藪が酷く道が途中で消滅している。
まともな登山道が無いが、南側の堀切㋐に通じる沢を詰めて尾根を目指すのが良いだろう。(帰り道は我々はここを下った)

田草城(飯山市) (11)
主郭(20×17)

城域は尾根上に訳50m展開している。二条の堀と思しき形のある北端の尾根先を城域に含めるかは微妙な判断となる。
郭3つの連郭式の小さな山城だが、八本の堀切を入れて西側の斜面には畝状竪堀まで備えているのには驚く。

田草城(飯山市) (12)
郭1から堀切㋓と郭2を見下ろす。結構な落差がある。

田草城(飯山市) (16)
東の沢に落ちる堀切㋓。

郭2から西の尾根に接続する部分を踏査していた我らは、宮坂武男氏が「見落としたのか、認めなかったのか」という横堀㋝を発見する。造作の途中で放棄されたようだが、堀切㋓に接続させて郭3に入れる意図が感じられる。そう、この技法は岩井城、夜交氏山城(男城)、平沢城に共通しているもので武田の普請と見てよいだろう。

田草城(飯山市) (21)
堀切㋔。郭ではなく横堀として造成されたものだ。

面白いのは、この横堀㋔の下側の西斜面に「ハの字堀+畝状竪堀」という上杉流の築城技術が見られる事であろう。
連続竪堀は途中で埋もれてしまったものもあるが5本は確認出来る。

田草城(飯山市) (22)
横堀㋝の拡大。斜面側に土手を盛っている。

田草城(飯山市) (23)
横堀㋝の下にあるハの字堀㋔。急峻な尾根筋に加工される典型的な竪堀である。

田草城(飯山市) (33)
畝状竪堀。補助線はどうか?とも思ったが、こんな感じで走っているというのがお分かり頂ければ・・・(汗)

西側の斜面からの攻撃を異常なまでに意識した防御であることは縄張からも見て取れる。これは、この城が富濃・野尻方面に通じる間道を抑える要衝にある事に関連があるだろう。一時的に武田軍が野尻城や割ヶ岳城まで制圧した時期に西からの逆襲を恐れた上杉が改修を急いだ跡とも取れなくはない。

●郭1より北側の尾根の処理

一応三連の堀切を入れているが、遮断する意気込みは緩くきわめてオーソドックスなスタイルだ。堀切㋓をV字形の堀切にしたのは最終形であろうか。二重堀切への意図があったようだ。

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堀というよりは道形のような堀切㋓の北側。後付けしたような印象。

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結構荒っぽい補助線(笑)。郭1から北尾根を見下ろすとこんな感じ。

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東斜面に落ちる堀切㋖。藪が酷く写真も酷い。

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連続堀切にしようとして作られたであろう堀切㋗。存在意義はあまり無いような・・(汗)

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藪に覆われた堀切㋘。撮影しても楽しく無いが、仕方ない。

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堀切㋙と堀切㋘との間の郭6。

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堀切㋙を撮影する「ていぴす殿」。

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北尾根の最終堀切だけあって、気合の入れ方が違うような気がした・・・(笑)

●南尾根の処理

司令塔は郭1で、実際の作戦本部は郭2であろうか。西側に畝状竪堀を備え、南尾根は堀切㋒に接続した郭3の塹壕に守られた特殊な場所である。甲越双方の改修が未完のまま終わったのだろう。
面白いのは郭5の東側に構築された堀切㋜で、山口城の塁線と共通するものだ。北信濃の上杉領内の城のスタンダードな技術といったところだろうか。

田草城(飯山市) (68)
郭3。

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城域で最も鋭い堀切㋒。深さ・角度共に申し分ない。

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東斜面に竪堀となる㋒。

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堀切㋑。

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「ひよどり越え」と呼ばれる堀切㋑の田草集落側。現在道は不明朗になってしまったようだ。


この城からのロケーションは限定的で広くない。小田草城が支城として用いられたのは視野の狭さを補うためであったと思われる。

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郭5付近からの眺望。

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郭5。

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塹壕のような塁線を伴う堀切㋜

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堀切㋜の堀中。この塁線は若宮城にも見られる。

こんな山奥の小さな山城に武田流と上杉流の築城技術が垣間見れるとは驚きでしたネ。

それは両軍にとってこの場所がいかに戦略上で重要な場所だったかを物語っている訳です。

≪田草城≫ (たぐさじょう)

標高:719m 比高:130m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:飯山市静間
攻城日:2015年11月15日 
お勧め度:★★★☆☆  
城跡までの所要時間:30分 駐車場:廃屋の庭を借用
見どころ:堀切、塁線、畝状竪堀群など
注意事項:尾根に登るまでは藪漕ぎ。(小田草城ほどではない)クーさん情報があり単独訪問は避けよう。
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(宮坂武男著 2014年 戎光祥出版)
付近の城址:小田草城、蓮城、岩井城、とんば城、坪根城、後谷城など
Special Thanks:ていぴす様

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田草集落より見た田草城主要部。
















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Posted on 2015/12/23 Wed. 08:42 [edit]

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