らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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日向城 (下高井郡木島平村往郷)  

◆信玄に命じられ市河氏が築いた新城か?◆

懸案事項であった年賀状の作成と投函も終わった。

昨年の今頃は降雪も何回かあったのに、今年はこのまま雪も降らずに終わるのだろうか?

毎年恒例の「今年の攻城戦記振り返り」は次回として、今回ご案内するのは日向城(別名:毛見城)

毛見城 (2)
千石地籍から「林道カヤの平線」に入り、約1.5km進んだ脇に標柱がある。ここに路駐して適当に登ろう(笑)

【立地】

城蔵山(1565m)から延びる南西の尾根先で、馬曲川の東側にあり、北東2kmにある平沢城とは同じ峰になる。ここから木島平は一望でき、麓の西小路には市川氏(市河氏)の居館跡と伝わる場所がある。

毛見城 (10)
比高120mなので、こんな山の尾根を適当にゆっくり登れば15分程度で着きます。

日向城縄張図① 001
単郭なんで、縄張も描きやすい。

【城主・城歴】

元々この地の豪族であった毛見氏(けみし)が、勢力を伸ばしてきた高梨氏の被官となりこの場所に砦を持っていたようであるが、武田の侵略により高梨氏が飯山へ退去すると毛見氏もそれに従ったという。
永禄十年(1567 または永禄十一年とも)、信玄は飯山城に対して総攻撃を行い、その年の十一月十七日、市川(市河)信房に対して「縄取(綱切)より下」つまり安田以北の地を宛行い、この地に故障があれば替地として亀倉(上倉か?)近辺と登がり郷(戸狩)を与えるとした。

毛見城 (5)
北西尾根の先端の削平地は物見だったようだ。

越後との国境の志久見郷を本拠地としていた市川氏だが、武田方となるに及び拠点を野沢温泉に後退させていたが、永禄十年以降は木島平の毛見に居館を構え対上杉の最前線を維持していた。

毛見城 (14)
主郭手前の削平地。入口碑から最初に到達する郭である。

毛見城 (13)
郭の脇には天水溜の穴も確認出来る。

信玄は市川氏に安田以北を与えた際に、「然して御地利(とりで)を築かれるか」と暗に市河氏居城の築城を命じており、具体的には年未詳ながらも八月七日、市川城の制礼をだし、「城内昼夜用心を心掛け、普請など油断なくするように。また、地元の人をみだりに城内にいれず、通行人は取り調べること、越後国内のようすを知らせること」などを命じている。この城では計見城(別称日向城・木島平村)とされている。(飯山市誌 歴史編上 P274引用)

毛見城 (21)
堀切㋐。かなり埋没しているが、上巾約10mで土塁でかさ上げしている。

毛見城 (25)
堀切㋐を南側から見る。純然たる横堀で、竪堀にはしていない。

これはあくまで想像だが、この時に信玄が命じた河東への新城築城に関しては、平沢城の改修も含まれていたものと思われる。日向城に対して武田軍の禁制を強いるには規模が小さすぎるし境目の城の緊張感には遠い。平沢城であれば対岸の飯山城の動きが掌握できる立地である。

毛見城 (20)
西南の尾根に延びる舌状の削平地。

【城跡】

尾根の先端を利用して作られた単郭の砦で、背後の尾根の平坦地に対して上巾20mに及ぶV字形の巨大な横堀を穿っている。二重三重の堀切を置かないのは、急ごしらえの築城で、改修の必要も無く、利用期間が短かった事を物語っている。
市川氏も武田氏も、上杉軍が志久見郷から馬曲を経由する間道を越えて木島平に進軍することを恐れ、平沢城の改修に全力を傾けたものと思われる。

毛見城 (29)
主郭は笹薮で覆われているが、二段の段差があり27×23とかなり広い。

毛見城 (37)
説明版があるなら、林道からの遊歩道を整備してほしい・・・(汗)

毛見城 (38)
「ていぴす殿」の立っている土塁は南尾根に伸び、堀切㋒とも微妙な距離感がある。

毛見城 (40)
堀切㋒。堀切㋑を竪堀にしなかったので増設したようだが・・・。

●造成途中で中止されたような痕跡

WEBだけでなく、教育委員会ですら単郭の物見城として片づける記述が多い砦だが、果たしてそうであろうか?
郭の南北に敷設された帯郭は、横堀が造成途中で中断されたものとして見ることができないだろうか?
前後は堀切でガードし、左右は帯郭でガードなんてありえないだろう。

毛見城 (42)
上巾20mの堀切㋑。

毛見城 (45)
北側から見た堀切㋑と主郭。

毛見城 (48)
南側の腰郭。北側に比較すると、削平はキチンとしている。

毛見城 (41)
北側の腰郭。工事途中で放棄された印象が強い。

確かに市川氏の居館の詰め城として改修されたと思われるが、単郭で持ちこたえられるほどの戦国時代ではないので、信玄が要請して改修したのは主に平沢城だったと思われる。

孤高の戦士として信濃の激動を生き抜いた市河氏(市川氏)が、こんな城で終わるはずがない・・・(笑)

毛見城 (58)
北側より撮影した堀切㋐。


≪日向城≫ (ひなたじょう 毛見城・計見城)

標高:610m 比高:210m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:下高井郡木島平村往郷
攻城日:2015年12月13日 
お勧め度:★★★☆☆  
城跡までの所要時間:15分 駐車場:林道脇に路駐
見どころ:横堀、段郭など
注意事項:特になし
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(宮坂武男著 2014年 戎光祥出版) 「飯山市誌」
付近の城址:平沢城、市河氏居館跡、部谷沢城、犬飼山城
Special Thanks:ていぴす様

毛見城 (61)
麓から見た日向城。






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Posted on 2015/12/27 Sun. 23:19 [edit]

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