らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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北条城 (飯山市豊田)  

◆千曲川の右岸に展開する武田領を監視する立地最高の物見砦◆

某国営放送の大河ドラマ「真田丸」が始まった。

後世の評価が著しく低い武田勝頼の名誉回復がこのドラマで為されたその功績は、長く語り継がれるであろう。

真田信繁という敗者が主人公のドラマの第一回目で、武田勝頼という敗者が見事に描かれた。素晴らしいと思う。

まあね、ここで真田関連の城をアップすればアクセス数アップになるのだろうが、頑なに拒んで我が道を行くゾ!・・(笑)

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北条城の登り口は、戸狩スキー場のリフト整備用の道路を登った途中にある。オフシーズンなら小型乗用車でも登れるだろう。

今回ご紹介するのは、この山城の立地条件の素晴らしさに感動すること間違いなしの北条城(きたじょうじょう)。

【立地】

飯山市の北方の豊田地区北条集落の北で、戸狩スキー場の真ん中に立つ山に城跡がある。この山の北側には「とん平(とんだいら)」と呼ばれる平原があり、城の南尾根の西側は越後へ通じる小沢峠への古道が通っていて古くから往来に使われていたという。
行き方は、北条集落から戸狩スキー場とん平に向かい車で5分ほど登り、そこから遊歩道を徒歩で登り約5分で城の鞍部に到着する。※遊歩道入口の標柱が倒れているが目立つ山なので迷うことは無い。

北条城(飯山市) (2)
城への遊歩道を登ると「とん平」が見下ろせる。

北条城(飯山市) (3)
長野ICでは土砂降りの雨で万事休すかと思ったが、何とか雨が止み雲海が見られた。

【城主・城歴】

長野県町村誌では「村の中央より北方に在り。今は草山なり。上る高凡百間、麓は島南西に道及耕地を回らし、頂上に二段の平地ありて、回字形をなし、詰の丸東西二十二間、南北三十間、礎及び古井の跡今に存す。東の丸に八幡石(今は五荷組に属す)と称する方二間余の平石あり。明應年間上倉(後北条と改む)外記安明(尾崎氏の後裔上倉の城主上倉安元の弟分家して之を築くと云ふ)之を築城して近隣を領す。後数世を経て、天正年間上杉輝虎に属し、其子景勝飯山築城後、外様十人衆に列し、慶弔三年戊戌三月、陸奥国會津に移り、後草山となる。又麓を距る事四町に、屋敷跡あり、今は田なり。往昔居住の宅地なる由言傳ふ。字上種と称して民家の傍に塁を存す。」とある。

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長野県町村誌に記載されている北条城(長野県町村誌豊田村P94より引用転載)

また、「飯山市誌 歴史編」(平成五年刊行)では、山城ある城山の麓の「とん平」「飛沢」などの地名により、この城山は飛ぶ火すなわち古代の烽火台であったとの説があるとしている。また、「市河文書」の建武二年(1335)三月の「市河助房着到状」で、守護方の市河氏らが北条方残党(常岩氏か)を攻め、その城郭を壊した記事が載っているので、北条城はその時の常岩氏の詰めの城ではなかったかと推測している。
はっきりした事はわからないが、在地土豪の要害として築城され、甲越紛争の頃には上杉方の烽火台として利用されたとみるべきであろうか。飯山市誌では古い形式の山城として記述しているが、現地を踏査すれば戦国時代にも使われたと思える改修箇所が見える。

北条城見取図① 001
この縄張図から南北朝時代の古い山城のまま終わっていないことが分かる。

北条城(飯山市) (8)
遊歩道からの鞍部は堀切㋝。ここから西の沢へ少し下りると越後との境となる小沢峠に向かう古道につながるらしい。

【城跡】

城山の山頂に楕円形の主郭を置き、東西に郭を置いた簡単な縄張だが、主郭背後の北西尾根は7本の堀切を重ね厳重に警戒し、南尾根は段郭を重ねて麓からの来襲に備え、南東尾根にも堀切を穿つ用心さである。
単なる烽火砦としてではなく、物見としてもかなり重要視されていたことが分かる。

●北西尾根の7連の堀切

鞍部から北西尾根を辿るとかなり入念に断ち切った堀切群が現れる。斜面に対する竪堀の長さは比較的短いが、鋭角な壁の削り方は戦国期の改修であろう。

北条城(飯山市) (9)
鞍部から北西尾根を登るていぴす殿。スパイクピン付きのゴム長は雨上がりで落ち葉の積もる濡れた斜面で大活躍だ。

北条城(飯山市) (14)
臨場感ある堀切の写真は難しい。

北条城(飯山市) (12)
堀切㋜の堀底(薬研堀)はこんな断面図。

北条城(飯山市) (15)
堀切㋜を越えると三重の堀切㋙㋚㋛が行く手を阻む。落差があり効果的だ。

北条城(飯山市) (16)
元々は㋙と㋛の二重堀切だった中間に土塁を付けた㋚を増設し三重にしたようだ。

北条城(飯山市) (22)
堀切㋙の東側は尾根に対して垂直に近い削り方をしている。遊歩道にも虎ロープが付いている。

北条城(飯山市) (32)
堀切㋗の手前から辿った尾根を振り返るとこんな感じで堀切が連続しているのだ。

さて、ここから城の主要部に入るので通常の堀切に横堀を増設して守りを固めている。横堀は後から加えたものだろう。
残念ながら藪に阻まれて写真映えしない。

北条城(飯山市) (33)
正面から見るとこんな感じ。

北条城(飯山市) (34)
㋗の堀底を覗くとこんな感じ。

北条城(飯山市) (38)
堀切㋗は短めですが斜面に竪堀として下ります。

北条城(飯山市) (43)
椿の藪に覆われている横堀㋖。ちゃんとお見せ出来ないのが残念。

●主要部

主郭以外は残念ながら藪に覆われてしまい詳細が確認出来ない。
しかし、「負けるもんか!」と枯れ草とススキの大群に覆われた郭2に強引に突入。こんな場所でアホウな事をしている我らは「比類なき大ばか者であろう・・・」(笑)

北条城(飯山市) (44)
郭3。主郭へは南斜面の帯郭を通り郭2を経由して入ったと思われる。

北条城(飯山市) (48)
郭3の東側を囲むような横堀の堀切㋕は南斜面で竪堀となる。

北条城(飯山市) (50)
主郭。中央の石柱は近世のもので、横の平石が「八幡石」であろうか。古墳の石室の一部のようにも思える。

ここからのロケーションは素晴らしいはずなのだが、当時は雲海に阻まれて幻想的な風景を見せていただいた。

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城の位置は適当です(笑) 五束城の位置は合ってます。

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河東の木島平の城はこんな位置でしょうか。

北条城(飯山市) (65)
背後の山を越えれば越後ですw

さて、郭2に突入しましょうか(笑)

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何が潜むのかも分からない郭2。ここに飛び込む勇気とは?

宮坂武男氏は、堀切㋓を横堀としているが「ひょっとしたら切岸か?」とコメントを加えている。現地踏査では郭の両サイドは堀形が確認出来るが、主郭(郭1)との間は切岸のみであった。また、郭2の北側は岩盤を削った㋒はあったものの、人工的な造作なのかは断定出来なかった。

北条城(飯山市) (69)
郭1と郭2の間は切岸のみである。

北条城(飯山市) (73)
ススキをなぎ倒して探索した堀切㋒。岩盤が露出する堀切で人工的なものかは迷うところである。

北条城(飯山市) (78)
堀切㋓は南北両袖の堀切で、連結部は切岸だった事が判明した。

北条城(飯山市) (84)
郭2から南側へ移動する途中に堀切㋔。堀切㋓との間に畝状竪堀跡があるというが、確認出来なかった。

北条城(飯山市) (82)
郭2から郭3へ続く帯郭。藪に覆われたこんな場所を探索するのは我々ぐらいなものであろうか(汗)


北条城(飯山市) (58)
主郭の南側には石積みが見られるが、往時のものとは判断し難い。

今回は残念ながら南尾根と南東尾根の踏査はパスした。南東尾根は外観からも段郭と堀切は目視で確認出来た。次回訪れることがあれば是非チャレンジしたいものである。

北条城(飯山市) (91)
南方面から見た北条城。

≪田草城≫ (たぐさじょう)

標高:750.6m 比高:350m(北条集落より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:飯山市豊田北条
攻城日:2015年11月15日 
お勧め度:★★★☆☆  
城跡までの所要時間:5分 駐車場:林道脇に路駐
見どころ:連続堀切、横堀、景色など
注意事項:スキー場のオープン中は避けよう。
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(宮坂武男著 2014年 戎光祥出版)、「飯山市誌 歴史編」(平成5年)
付近の城址:五束城、小境城、上境城など
Special Thanks:ていぴす様

北条城(飯山市) (53)
こんな幻想的な風景はなかなか拝めません(笑)













Posted on 2016/01/15 Fri. 07:23 [edit]

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